藤田のぼるの理事長ブログ

68、学習交流会にご参加を!(2022,5,5)

【ゴールデンウィークです】

・連休、いかがお過ごしでしょうか。僕のようにフリーで時間を過ごしている人間にとっても、なんとなくいつもより休み気分になれる気がします。 一昨日、3日ですが、早く済ませたい仕事があったので神楽坂の事務所に行きました。途中、川越の図書館に本を返しに寄ったのですが、川越も神楽坂も、言わば観光地ということもあり、結構な人出でした。連休は、例年上野公園で児童書のフェアがあり、今年3年ぶりの開催となり、昨日協会もブースを出しました。僕は失礼しましたが、とても盛況だったようです。

・この期間は、僕にとってはなぜか「誕生日ラッシュ」の時期で、昨日の4日がカミさん、1日が孫(2歳になりました)、10日がその孫の母親(つまり娘)の誕生日という具合で、一年の内で多分もっともケーキを食べる時期(笑)でもあります。また、連休期間にはほぼ必ず千葉に野球を見に行くことにしていて、今年は7日に行きますが、3年ぶりにビールを飲める観戦になります。

【学習交流会のこと】

・さて、この連休の期間中に届いていると思いますが(いま郵便物が前より遅れていて、ご遠方の方は連休明けになるかもしれませんが)、総会の案内をお送りしました。ここ2年、総会はリモート、そして前日の学習交流会、文学賞贈呈式は開けませんでした。今年はさすがにパーティーは無理ですが、前日の学習交流会は開催し、その後で文学賞の贈呈、表彰の場も設けます。前日の総会も含めて、リアル参加とリモート参加両方OKの、ハイブリッド開催になります。条件のある方は会場においでいただければと思いますが、ご遠方の方はもちろん、外に出づらいという方も、ぜひこの機会に、リモート参加にチャレンジしてみてください。(初めてで、やり方がよく分からないという方は、遠慮なく事務局にお尋ねください。)

・今年の学習交流会のテーマは、「いま、「主権者としての子ども」を見つめて」ということで、校則の問題を取り上げました。講師の内田良さんは、荻上チキさん等と共に、こうした管理教育の問題について中心的に発信してこられた方で、僕もとても楽しみにしています。

 最近読んだ本に『プリズン・サークル』(坂上香著、岩波書店)というのがあり、これは(僕もまったく知らなかったのですが)若い受刑者の更生を主目的とした「社会復帰促進センター」(PFI刑務所)という施設が国内に四カ所あり、これに取材したノンフィクションです。著者は本と同タイトルの映画も作っていて、あるいはご覧になった方もいるかもしれません。元々はアメリカの取り組みを参考にし、建物の作りや受刑者の管理のしかたも通常の刑務所とはかなり違っているのですが、一方で日本の刑務所の体質を反映している面も隠せません。

・著者は映画を作るため、3年にわたって取材、撮影したのですが、印象的だった箇所に、食事の場面がありました。食事中は一切の会話が許されていないのですが、これを見た方が「娘の学校とそっくり! 小学校でも黙食をやってるんですよ」という感想を漏らされたのだそうです。これに続いて「元小学校教師で教育研究者の霜村三二は、このように沈黙を強要する教育について、全国の現役教員二百名を対象に調査を行い」と、その結果を紹介しています。

 日本の学校の在り方は(詰襟の制服が象徴するように)軍隊の方式が元になっている、という話もありますが、「校則」というはっきりした形になっていることだけでなく、子どもたちを強制し、管理していくという発想が、根本のところにあるように思えてなりません。 なお、上記の霜村三二さんは、実は協会の元事務局員で、僕が入会したころ(50年近く前ですが)事務局にいて、その後教員に転じた方です。いつか、この霜村さんにも話をしていただきたいなと思っています。

 そんなことで、わたしたちの作品を受けとめる日本の子どもたちが、彼らの時間の大半を占める学校という場で、どんな思いでいるのか、改めて見つめ直す機会になければと願っています。リアルでも、リモートでも、ぜひご参加ください。もちろん総会の方もですが、こちらはご出席されない場合は、必ず委任状をお願いします。

2022/05/05

67、防府の那須家に行ってきました(2022,4,26)

【那須家訪問記です】

・一日遅れの更新になりましたが、今回は、山口県防府市の那須家訪問の報告です。先週、19、20日に、津久井惠さん、宮川健郎さんと一緒に、うかがってきました。 那須さんが亡くなられたのは昨年7月ですから、それから9カ月、コロナのために葬儀はもちろんその後も弔問にうかがうこともできず、また3月の会報で報告した那須さんの著作権遺贈について直接ご家族にお礼を申し上げることもできていませんでした。「コロナが明けてから」とずっと待っていたわけですが、完全な収束を待っていてはいつになるかわからず、このタイミングでうかがうことにしました。三人とも事前にPCR検査を受けた上での訪問でした。

・那須さんは、会長時代、飛行機でいらっしゃることが多く、それも調べてみましたが、最寄りの山口宇部空港は本数が少なく、羽田までの時間や空港から那須家までの道のりを入れると、そんなに時間差がないこともあり、それに三人ともJRのジパングクラブの会員で乗車券が3割引きになるということもあり、新幹線での往復となりました。

・東京駅を発ったのが8時半、新山口駅に13時9分ですからほぼ4時間半、防府はそこから在来線で3駅ほど戻る形になります。久しぶりに駅弁を食べました。防府駅について駅前のホテルに荷物を預け、すぐ近くにある花屋に行き、事前に頼んでおいたお花を受け取り、タクシーで那須家に向かいました。2時前くらいでした。

・那須さんのご葬儀は神式で行われたとうかがっていましたが、ですから仏壇ではなく、祭壇というのでしょうか。やはり二礼二拍手でのお参りになります。こぼれるような笑顔の遺影でした。津久井さんは編集者として那須家は7回訪問しており、泊めていただいたこともある由、また宮川さんは三巻にわたる『ズッコケ三人組の大研究』編集の関係で3度おじゃましたことがある由。僕は那須家にうかがったのは1回だけ。それは10年ほど前、那須さんから内々に著作権遺贈のお話があり、その相談のための訪問でした。まさかその時は、「その時」がこんなに早く来ようとは思いもよらず、ようやく那須さんに対面できたうれしさと、ご本人がいない寂しさで、とても複雑な思いでした。

【那須さんの書斎を】

・今回、三人で訪問したのは、弔問やお礼のご挨拶ということもありましたが、今後の著作権管理のために、那須さんの著作リストを作成する必要があり、これを一からやるとなると大変なことになりますが、幸い上記の『ズッコケ三人組大研究』で、2005年までは詳細に記録されています。残りは17年分程になるわけですが、今度は那須さんご本人がいないところで作るわけで、単行本は問題ありませんが、雑誌や新聞などに掲載した作品やエッセイなどは、現物に当たらなければなりません。そのために、書斎の中を調べさせていただく必要があったわけで、それも今回の訪問の重要なミッションでした。

・ということで、果たして一泊二日でそれがどの程度できるか心配でもあったわけですが、結論からいうと、ほぼ達成できたと思います。というのも、那須さんの書棚や書庫が実に整理されていて、近年のエッセイなどが掲載されている雑誌はほぼ同じところにまとめられており、しかも付箋が貼られています。まさか僕らが作業をするのを見越していたわけでもないでしょうが、那須さんの豊富な仕事量は、こうした整理にも支えられていたのだなと感じさせられました。

 また、美佐子夫人の了解を得て、パソコンの中も見ることができましたが、ドキュメントの中は執筆されたものがほぼ時間順に並んでいて、これも著作リストを作る上でとても役立ちそうでした。ただ、その画面の印刷の仕方がわからず、事務局に電話して次良丸さんのコーチを受けながら、なんとか印刷できました。 とはいえ、その場で著作リストを作るということはもちろん無理なので、見つかった資料をとりあえず積み上げ、その日の作業を終えました。

【二日目は】

・翌日10時にまたうかがって、前日探し出した資料を、ホテルで調達したダンボール箱に詰めました。4箱になりましたが、これを協会に送りました。しばらくお預かりすることになります。

 思いの外作業がスムースに進んだわけですが、その後美佐子夫人の車に載せていただき、那須さんが眠る納骨堂にご案内いただきました。防府はその名前が示すように、古くからの歴史を誇る町で、防府天満宮があります。那須さんのお嬢さんがかつてそこで巫女さんの仕事をしていたことがあるようにもうかがっていました。那須さんはもちろん広島生まれですが、防府は美佐子夫人のご実家がある町でもあります。

 その天満宮に隣接したところに納骨堂があり、とてもモダンな作りの納骨堂でした。そこで改めて那須さんとお別れのご挨拶をさせていただいたわけですが、美佐子夫人が「あなたが大好きだった三人がきてくださったわよ」と言ってくださって、泣きそうになりました。

・その後、広大な天満宮を案内していただき、帰途につきました。東京駅に着いたのが18時15分、駅の中のお店で軽く“反省会”をやり、二日にわたる那須家訪問の旅を終えました。ずっと気にかかっていた宿題をひとつ果たした気分ですが、お預かりした資料を精査してリストを作るのはこれからなわけで、改めて那須さんの文学的な成果と向き合う時間がこれから始まります。

2022/04/26

66、「八郎」のインタビュー&43年目のクラス会(2022,4,15)

 【まずは「八郎」のインタビュー】

・少し前、僕が事務所に出ていた日ですから、ちょうど一週間前の8日ですが、事務局に「藤田理事長の連絡先を教えてください」という電話があり、ちょうど僕はそこにいたわけで、電話を替わったら、読売新聞の秋田支局の方からでした。同紙の東北版で、東北縁りの児童文学作品を紹介するコーナーがあって、斎藤隆介の「八郎」を紹介したいので、それに関してインタビューを受けてほしいとの依頼でした。前に書いたと思いますが、僕は大学一年生の時に「八郎」を読んで児童文学に引っ張られたわけで、もちろん喜んで承知しました。

 その電話インタビューが、今日の午前中にあり、一時間ほど話しました。聞いたところ、ブログで僕のことを知ったということで、このブログ(他にはありませんから)でしょうか。協会HPの「会員専用ページ」の中に入ってはいますが、誰でも見られるし、僕の名前を検索すると、何番目かにこのブログが出てきます。

・上記のように、僕は18歳で「八郎」に出会ったわけですが、絵本ではなく、童話集『ベロ出しチョンマ』の中の一作として出会いました。この本は冒頭にプロローグとして「花咲き山」があり、その次に「八郎」が収録されています。二十何作かが入っていますが、その中でまるごと秋田弁で書かれているのはこの作品だけです。インタビューでも話しましたが、斎藤隆介は東京生まれで、1945年に秋田に疎開したのですが、「八郎」が書かれたのは、それから5年も経っていない1950年2月(僕が生まれる一か月前ということになりますが)です。ネイティブな秋田人である僕が、東京生まれの隆介さんの秋田弁の作品に参ってしまったわけです。言わば外国語に近い秋田弁を理解するだけでなく、完全に体の中に沁みこませて、それを文章で表現したという所がなによりすごいと思います。

・隆介さんを初めて見たのは、1972年の山形・上ノ山での児文協の夏の集会で、講演を聞きました。初めて話をしたのも協会がらみで、会議の後、砂田弘さんを交えて三人でお酒を飲みました。26歳の時だったと思います。大感激でした。そんな話をいろいろしたので、インタビューが一時間になりましたが、最後に「改めて、藤田さんにとって「八郎」はどういう作品ですか?」と聞かれて、とっさに答が出てきませんでした。僕にとってはこの作品はなかなか客観的に捉えられない作品だということを、改めて感じました。いずれにしても、楽しい一時間でした。

【そして、43年目のクラス会です】

・僕は(これも前に書きましたが)秋田大学を卒業して、東京に出てきて、中野の私立小学校の教員になりました。いきなり一年生の担任になりました。明日、その中の四人と〈ミニクラス会〉をやることになりました。男一人と女の子(いや、もう女の子ではありませんね~笑~)三人。男一人の方は、一年に1回くらい会って酒を飲みますが、女の子(と書いてしまいますね)たちのほうは、一人は彼女の結婚式に出たので、それでも30年は経っているでしょう、あとの二人は卒業以来です。僕は六年間教員をして、彼らの卒業と共に退職して児文協の事務局員になりましたから、43年ぶりということになります。その二人は20代の僕しか知らないわけで、ジイさんになった姿を見せることになります。

・たまたま明日は、午後に池袋でPCR検査を受けます。これはさすがに飲み会のためではなく、来週の火曜日、山口の那須さんのお宅に伺うので(昨年7月に亡くなられて以来、ようやくうかがえることになりました)、そのための検査です。ともかく楽しみです。

2022/04/15

65、「ドボルザークの髭」あるいはA4文化?のこと(2022,4,5)

【「ドボルザークの髭」とは?】

・年度が替わりました。僕が理事長になってからもう2年近くになるわけですが、なんでもコロナのせいにしてはいけませんが、それにしても2年間なにもできなかったな、という思いが強いです。「コロナが明けたら」という発想はやめて、今の状況の中でなにがどのようにできるかというふうに、切り替えていかなければと思っています。

・さて、タイトルにある「ドボルザークの髭」ですが、これは僕が2015年11月から出している個人誌の名前です。これを発刊したのは、僕のライフワークと(勝手に)思っている「現代児童文学史」を書くためで、4月3日付で8号を出しました。6年半で8号というのも遅いのですが、まだ1960年代をうろうろしているので、これで本当に最後までいきつけるのかというところです。特にこの間、協会の資料集の仕事に追われて(そんなことではいけないのですが)、7号から1年8カ月ぶりの発行でした。ともかく進むしかありません。

 今回の8号は、1960年代の戦争児童文学の考察が中味でしたが、いろいろ読み返してやはりいろいろ発見がありました。最終盤でロシアのウクライナ侵攻があり、かつての日本の歩みと重なって、余計に考えさせられました。

・その現代児童文学史のための個人誌が、なぜ「ドボルザークの髭」なのかを説明するとかなり長くなのですが、僕は中学時代にブラスバンド部で、毎日音楽室を使っていました。そして、ある時に音楽年表の時代の区切りの線(例えば、古典派とロマン派の区切り)が、斜めであることに気がついたのです。一方教室にある普通の歴史年表の時代の区切りの線(例えば江戸時代と明治時代の区切り)は、縦にまっすぐです。「そうか、誰かが○年○月にロマン派を始めたというようなことでなく、後から見るとこの辺りが境目ということなのだな」と得心しました。

 それを思い出したのが、大学生の時児童文学に出会い、いろいろ読み始めた時でした。1970年前後です。現代児童文学の出発から10年という時期ですが、その出発期の作品とリアルタイムで出ている作品とはかなり雰囲気が違うのです。「もしかして、今があの斜めの線の時期なのではないか」と考えたのが、僕の評論の出発点の一つになっています。音楽年表で目を惹くのは、なんといってもベートーベンのモシャモシャ頭とドボルザークの髭なので、「ドボルザークの髭」にした次第です。

【A4文化?の話】

・それで、この個人誌はB5判なので、表紙はB4のカラーの紙を使っています。いつもは高田馬場の紙専門の店でその用紙を買うのですが、今回日曜日に協会の印刷機を借りて印刷するために事務所に向かう途中、池袋のビッグカメラと東武デパートの文具売り場に行ったのですが(日曜日で、高田馬場のいつもの店は休みなので)、カラーの紙はA4しかありません。デパート(伊東屋でしたが)のほうはA4のカラーなら20種類ほどもあるのですが、「B4はお取り寄せになります」とのこと。チラッと、そんなこともあろうかと、前回の残りの紙を用意していたのでなんとかなりましたが、改めて世間? はもうすっかりA4の文化になっているのだなあと、実感させられたことでした。

2022/04/05

64、図書館の「借り直し」のこと(2022,3,25)

【プロ野球の開幕です】

・ウクライナの状況を考えると、のん気に野球の話など、という感じもあるのですが、今日からプロ野球が開幕です。我がロッテは、仙台で楽天との三連戦ですが、心配なのは天気。今日はOKですが、土日が雨の予報です。特に今回は、話題の佐々木朗希が土日のどちらかで先発する予定なので、余計に残念! 今はドーム球場が多くなり、パ・リーグでも、ロッテと楽天以外はドームですから、天気の心配をしなくていいわけですが、それだけに今日はぜひ勝ってほしい。

 大学を卒業して東京に出てきた時、当時はまだドーム球場はなく、雨だと当然中止になります。それで、「今日は、試合はあるかな?」と思うわけですが、東京で試合がある場合は、考えるまでもなく天気はわかるわけです。ところが、秋田にいた時の習い性で、(秋田が晴れていても東京がどうかはわからないわけで)つい、そういうふうに思ってしまい、その度に、「ああ、おれは今東京にいるんだった」と思うことを何度も繰り返した覚えがあります。

【さて、「借り直し」のことです】

・皆さんの地域の図書館の貸出期間は、どのように設定されているでしょうか。僕の知る限り、「2週間」という所と「3週間」という所があるようです。それで、延長して借りたい時は、大体ネットで同じ期間延長することができるようになっていると思います。

 それでも、まだ続けて借りたいという場合があります。まあ、普通に読むだけなら、そんなに長く借りる必要はありませんが、評論の対象にしているような場合は、まだしばらく手元に置いておきたいというケースが結構あります。そういう時は、いったん戻しに行って、(もちろん予約が入ってなければの話ですが)もう一度借りてくる、ということをします。これが「借り直し」です。

・僕は仕事上図書館には誠にお世話になっており、地元および近隣の図書館3館と、新宿区立図書館(児文協が職場ということで)の4枚のカードを持っています。さらに埼玉県立図書館のカードも持っています。通常の本なら4枚の方でほとんどなんとかなりますが、1960年代とかの本や、今出ている本の初版を見たいという場合等は、県立図書館が頼りです。

・先月だったと思います。県立図書館は貸出期間が2週間で、ネットで延長が2週間。それでも引き続き手元に置きたい本が3冊ほどあり、返却に行きました。その県立図書館は久喜という市にあり、僕の家からは2時間近くかかります。ただ返却するだけなら地元の図書館に(袋に入れるなどして)持ち込めば、そこから返してくれるのですが、いったん返してまた地元の図書館を通じて借りると結構時間がかかるので、自分で返しに行って、その場で借り直しをしようとしたわけです。

・ところが、びっくり。カウンターで「規定で、すぐ(同じ人が)借りることはできません」とのこと。無駄足になってしまいました。後で、ホームページを見ると、確かにそういう規定(間に2日ほど置かないと、借りられない)になっています。おそらく一冊の本を誰かが独り占めすることを防ぐための規定でしょうが、そもそも僕が借りるような本は閉架から出してもらって、もしかしたら何十年も誰も借りなかったような本ばかりです。それに、他に借りたい人がいるなら、ネットで予約もできるわけですから、2日間置いておくという規定に意味があるとは思えません。第一、地元の図書館なら三日後に行けば済むことですが、また2時間かけて行くのは大変です。

・どうしようかと思いつつ、また返却の期日が近づいたので、電話をして、改めてその規定について聞いてみました。案の定、「独り占め防止」というのが答で、電話であまり粘ってもなんなので、その後、館長宛に、規定を変更してほしい旨のメールを送りました。その後で、他の県立図書館はどうなっているだろうと、2、3調べてみましたが、神奈川も千葉も群馬も、借り直しOKでした。ちょっといやらしいかなとも思いましたが、もう一度メールを送り、そのことも書きました。

 翌日担当者から返信があり、「少し時間をいただきます」とのこと。それが数日前のことで、さてどうなるか。役所の規定が変わるというのは簡単ではないと思いますが、どう考えても無意味、不合理としか思えないので、がんばってみるつもりです。

2022/03/25

63、協会の文学賞(2022,3,16)

 【ロシア軍のウクライナ侵攻に対する理事会声明】

・このことについては前回も書きましたが、この件で、理事会声明を出しました。ホームページにアップしていますので、まだの方はぜひご覧ください。理事会は11日にあり、その数日前からやはり理事会声明を出そうという話になったのですが、大体この種の文書は僕が草案を書くことが多いのですが、どうも僕の文書はパターン化されていて、今のウクライナの状況を前に、「居ても立っても居られない」という気持ちをうまく表した文章にならないような気がしました。それで、今回は、副理事長の加藤さんに起草してもらい、思った通り、僕が書く文章とはかなり雰囲気の違う声明になりました。上記のように、理事会は11日でしたが、文書の確定に土日をはさんで時間をかけたので、昨日15日付の声明となっています。

・この件では、新聞などでご覧になったと思いますが、日本文藝家協会の林真理子理事長、日本ペンクラブの桐野夏生会長、日本推理作家協会の京極夏彦代表理事が、連名でアビールを出しましたね。ちょっとびっくりしました。ペンクラブは当然声明を出すでしょうが、職能団体である文藝家協会や推理作家協会がこの種の問題で声明を出すのはかなりに異例で、京極さんは「推理作家協会としては初めて」とコメントしていましたね。こうした団体は、理事会声明とかになると異論が出てくる可能性もあり、代表者の、しかも連名のアピールというのは、いい“作戦”だったなと思います。ともかく、今回の件は、それほどひどい事態だということでもあるでしょう。

【さて、文学賞のことですが】

・昨日15日が、本来はプログ更新の日で、そのつもりもあったのですが、昨日は事務局に出て、一日文学賞選考関係の実務に追われ、今日になりました。日本児童文学者協会賞、日本児童文学者協会新人賞は、例年4月終わり頃に決定し、5月の総会の前日に贈呈式というパターンです。 対象が前年の1月から12月までに出された本ですから、決定まで4ヵ月かけていることになり、もっと早く決められないのかという向きもあるでしょうが、児文協の賞は、相当に手間がかかります。

・その「手間がかかる」中味は主に二つあり、ひとつは選考の手順。大体の文学賞は、出版社や関係者にアンケート的に推薦作品を出してもらい、その中から選んでいく方法を取っています。児文協の場合は、そうしたことはせずに、まず昨年出された創作およびノンフィクションのリストを作ります。文庫を別にしても大体三百数十冊です。(文庫については、文学賞委員の一人の榎本秋さんにチェックしてもらっています。)前はこれを二賞の選考委員が分担して全部読んでいましたが、十年ほど前からは、「文学賞委員会」というのを作って、ここである程度協会賞、新人賞で検討してもらう作品を、リストの中から粗選びする方法を取っています。これ自体、かなり時間がかかります。その上で、二回の選考委員会を経て受賞作を決めるわけです。僕自身も文学賞委員ですが、他に、前述の榎本さんの他、内川朗子、加藤純子、西山利佳、佐藤宗子、次良丸忍、宮川健郎、目黒強、米田久美子というラインナップで、自分でいうのもなんですが、かなりに強力な布陣だと思います。

・もう一つ児文協の賞で大変なのは、創作・ノンフィクションだけでなく、詩集や評論・研究書も対象にしている点です。そういう賞は、大人の文学の分野も含めても、他にはないのではないでしょうか。 ということで、僕も文学賞委員の一人として、普段から協会賞や新人賞にノミネートしたい作品はチェックするようにしています。

 ただ、こういう選考方法は、誠に「誠実」だと我ながら思いますが、その分選考委員の負担が大きく、近い将来、もう少し選考委員の負担が小さくなるようなパターンに変えていく必要も感じています。それでも、協会賞や特に新人賞の歴代受賞作品を眺めていると、よくぞこんなふうにいい作品・作家を見逃さずに選んできたなと(新人賞の場合は、その後の活躍度で賞の“正しさ”が証明されるわけですから)、いささか自画自賛ながら、思います。今年は、どんな作品に決まるでしょうか。

2022/03/16

62、旅先で迎えた誕生日の話(2022,3,7)

【ロシア軍のウクライナ侵攻に前にして】

・プーチンによるウクライナ侵攻が、日々激しさを増しています。NATO拡大に対する危機感を理由にあげていますが、これでは東欧諸国がNATOに加わらなければならなかったこと(そうしなければ、ロシアに侵攻される可能性がある)を逆に証明しているようで、その矛盾に気がつかないのでしょうか。

 そして、許しがたいのは、今回の事態を受けて、「だから、国を守るためには武装が必要」と、あろうことか、核武装の検討まで持ち出している安倍元首相や維新の会などの主張です。プーチンの言動は、これまで幾多の(ロシア、ソ連を含めて)戦乱の悲劇から、人類が学び、積み重ねてきた平和への思い、そのための方策に対して真っ向から挑戦するものですが、これを“好機”とばかりに武装を言い立てるのは、ある意味当事者のプーチンよりもさらに卑劣だという気がします。こういう輩は、決して本当に国民の命を守ることなど念頭にないことは、たった八十年前の経験がよく示しています。そして、こういう事態こそ、中学生、高校生あたりにとっては、平和を考える生きた教材(というと、語弊があるかもしれませんが)であり、学校などでも積極的に論議してほしいなと思いますが、どうでしょうか。

【2日遅れとなりましたが】

・さて、「5の日」更新のブログが2日遅れとなりましたが、今回は「うっかり」ではなくて、5日に愛知県半田市で、選考委員をしている新美南吉童話賞の表彰式があり、一泊で出かけてきました。表彰式の日程を決める際に、「3月5日はどうでしょう?」と言われ、その日は誕生日なのですが、まあ多分リアルではできないだろうと思い、「いいですよ」と答えていたのですが、本当にやることになりました。例年だと新美南吉記念館で開催するのですが、狭いので市内の別会場で、そして来賓なども極力絞ってという形でしたが、やはり入賞者の中でも何人か欠席の方もいました。

 最優秀作品を取られたのは、北海道の方で「雪虫」という作品なのですが、元々北海道生まれではなくて、二年前からご夫君と北海道に移住されたということで、そこで雪虫に出会ったということのようです。お腹に赤ちゃんがいるということで、二重の祝福の拍手を浴びました。(この作品など、記念館のHPに掲載されています。)

・それで、僕は誕生日の夜は名古屋のホテルに泊まりましたが、さすがに市内に出かけるのは控えて、ホテルの中の居酒屋で、ひとり祝杯?をあげました。

・思い出してみると、自分の家以外のところで誕生日の夜を迎えるというのは、なんと18歳の時以来ということのようでした。高校3年生の卒業間近の時ですが、僕は大学受験のため、秋田から東京に来ていました。3月3・4・5日と試験で、5日に終わったわけです。そして、その日は多分夜行列車で秋田に帰ることになっていたと思うのですが、その前に人と会う約束をしていました。中学時代のガールフレンド(未満?)が、中学卒業後小田原に引っ越して、3年間文通を続けていました。今にして思うと、これは結構いい文章修行になった気がします。それで、ついに? 試験が終わったその日、3年ぶりに会うことにしていたわけです。場所は、僕が宿泊していたホテルに近い四ツ谷駅にしました。

 ところが、結局、この日「二人は」会えなかったのです。多分、四ツ谷駅の複雑さに負けて? 駅にそんなに出口がいろいろあって、「四ツ谷駅で会う」ではまちがう可能性があるということを、田舎の少年は知らなかったわけです。駅の中を相当うろうろしたことは覚えていますが、あきらめて上野駅に向かった後からのことは、覚えていません。

 そんな、半世紀以上前の、とんだすれ違いドラマを久しぶりに思い出しての、72歳の誕生日でした。

2022/03/07

61、児文協最初のアンソロジーのこと(2022,2,25)

【倉庫の整理の話を】

・このブログの今年の1月15日付で、倉庫アパートの整理の話を書きました。それを読んだ会員の方から、早速『日本児童文学』バックナンバーの注文があったりして、うれしかったのですが、その後も少しずつ整理を続けています。基本的には機関誌のバックナンバーを置くための倉庫ですが、その他にも古い書類や(協会編の)アンソロジーなどを保管しています。

 バックナンバーを整理して空いたスペースに、段ボール箱に入れていた古いアンソロジーを並べていた時でした。今もそうですが、大体協会編のアンソロジーは、シリーズで5冊とか、学年別で6冊といったパターンが多いのですが、中に一冊だけの『ねずみの町』という本がありました。「あれっ!?」と思いました。

 結論からいうと、実はこれこそ児童文学者協会初のアンソロジーなのです。協会の50年史『戦後児童文学の50年』の巻末には、資料として「編纂図書総リスト」が掲載されていますが、そのリストの冒頭「1948年」の項の最初に〈「幼年童話選・ねずみの町」(川流書房、60円)〉と記載されています。1948年ですから創立の46年から2年目の年ですが、奥付を見ると「昭和23年1月1日発行」とあり、年度でいえば47年度、正真正銘協会編纂図書第一号です。この時期、二つの編纂図書が企画され、一つが幼年童話集の『ねずみの町』、もう一つが高学年向けの『赤いコップ』で、こちらも48年のうちに出ています。『ねずみの町』には19編が収録されていて、小川未明、岡本良雄、佐藤義美、与田凖一といった名前が並んでいます。

【資料集に載せた1947年度決算書で……】

・これまでも、この本は倉庫で目にしていたはずですが、気づいていませんでした。今回、「ねずみの町」のタイトルを見て、すぐに初のアンソロジーと気がついたのは、この度刊行した資料集に収録した1947年度の決算書に、そのタイトルが載っていたからです。 これは前にも書いたと思いますが、今回資料集をまとめるに当たって、編集協力の佐々木江利子さんが、事務所の中からいろいろな文書を“発掘”してくれました。その中に創立時の1946年度、47年度の決算書というのがありました。僕も初めて目にしましたし、まさかそんな創立時の決算書が残っているとは思いませんでした。当時のことですから、謄写版印刷ですが、ガリ切りはプロに依頼したもののようで、とてもきっちりしたものでした。46年度は創立年でまだパターンも確立していないので、資料集には47年度の決算書を収録しました。

・さて、その決算ですが、この時期はまだ「銭」という単位が使われていて、総収入は104,535円94銭、支出は85,798円です。収入の内大半を占めるのが「事業収入」83,570円で、そのほとんどは印税です。そしてその中心を占めるのが、48年1月発行(奥付はそうですが、実際は47年の内に出たのではないでしょうか)の「ねずみの町」の印税51,000円なのです。つまり、総支出の半額以上をこの本の印税で賄っているわけです。もちろん、その中から編集委員や著者に支払う分もあり、これが28,000円。残りの23,000円が協会の純粋な収入となっています。

・それで、印税51,000円というのは、何部発行されたのだろうと考えてみました。いくつか計算してみましたが、この本の値段は上記のように60円なので、この金額になるのは、印税率10%で8500部というパターンしかありません(60円×8,500×0,1=51,000円)。敗戦からまだ2年余りの混乱期、紙も充分になかった時代だと思いますが、初版が8500部というのはなかなかだと思いますし、その印税の半額近くを会の運営に宛てていたことになります。この本も含めて初期のアンソロジーを、総会や公開研究会がリアルで開催できるようになったら、ぜひ展示して、創立時の会員の思いを受け取ってほしいなと思っています。

2022/02/25

60、書評の話(2022,2,15)

【3回目のワクチンを】

・前回書いたように、一昨日の日曜日(13日)、地元・坂戸市の集団接種で3回目のコロナワクチンを接種しました。市民健康センターというところが会場だったのですが、僕の家は市の端っこにあるので、車で30分ほど。同じ「集団接種」でも、1回目と2回目は東京の自衛隊の集団接種でしたから、その規模感は100分の1くらいの感じで(もっとかな?)、あっさり済みました。まあ、税金を払っているのだから当然と言えば当然ですが、こんなふうに無料でワクチンがうてるというのは、市民として守られているなという感じも持った(そのあたり、我ながらゲンキンなものです)一方、“高齢者”の僕は済みましたが、カミさんや娘にはまだ接種券も届いておらず、「間に合うのかな」という切迫感もあります。

 それにしても、ちょうど二年前になりますが、コロナが始まったところでは、ここまで長くなるとは思っていませんでした。来月には、協会の役員選挙の投票も行われますが、今の理事たちは集まって理事会が開けたのがたったの1回。5月の総会を前に、せめて4月あたりには顔を合わせた理事会を持ちたいと切望しています。

【さて、「書評」の話ですが】

・僕は「児童文学評論家」として仕事をしているわけですが、きちんとした“評論”というのはきわめて発表舞台がなく、ほぼ『日本児童文学』のみといって過言ではありません。あと、僕はライフワークともいえる「現代児童文学史」を書く場所として、『ドボルザークの髭』という個人誌を発行しています(ここしばらく資料集にかかりきりで途絶えていましたが、ようやく再開しています)。それで、一般の方の目に触れる文章としては、「書評」という形で発表するケースが一番多いと思います。

 これまで何本の書評を書いてきたか、千まではいかないにしても、何百の上の方ではあると思います。イレギュラーで書く場合もありますが、連載というか、固定した場で月に1回といった形で書くことが多いです。かつては、東京新聞や共同通信で毎月時評のような形で何冊かの本を紹介していました。共同通信というのは、全国の地方紙に記事を配信する通信社で、ですからその時期はあちこちの掲載紙が送られてきて、それぞれの地方の記事を見るのも楽しみでした。今はレギュラーで書いているのは二ヵ所で、一つはベルマーク財団の「ベルマーク新聞」(月1回発行)、もう一つは家の光協会が発行している月刊誌『ちゃぐりん』です。前者はネットでどなたでも見られます

・僕がこうした書評を書く時に気をつけているのは、「誰が読むのか」ということ。それによって選ぶ本も変わってくるし、もちろん書き方のスタイルも変わってきます。「ベルマーク新聞」は、二月に1回ですが、読むのは学校の先生方やPTAの親たちですから、僕の“戦略”としては、そういう方たちに、「へえ、こんな本が出てるんだ」というふうな関心を、いかに持ってもらうかということ。絵本、低・中学年向け、高学年以上向けの3ジャンルから概ね2冊ずつという数で、偶数月の号に載るので締め切りは奇数月の月末。今回の2月号では、低・中学年向けの1冊は、竹下文子さんの『ねこのおひめさま』という本で、これは「グリムの本だな」という、グリム童話のあまりメジャーでない話を紹介しようというシリーズの1冊目。そして高学年以上向けでは、偕成社の古典シリーズで花形みつるさんが書かれた『落窪物語』を取り上げました。つまり、この2冊には古典の「再話」という共通項があるわけで、 2冊を並べることで、子どもの本にはそういうジャンルがあるということを伝えたいと思ったのです。

 こんなふうに、毎回ではありませんが、取り上げる6、7冊のうち、隠れテーマというか、何らかの形で共通項のある本を取り上げることで、児童書の世界に興味を持ってもらえるきっかけになればと考えているわけです。

・もう一つの『ちゃぐりん』のほうは、子ども向けで、毎回1冊ずつで10日締め切りなので、4月始めに出る5月号分を書いたところ。この季節感のずれも意識しつつ、雑誌の読者は小学校の低学年から高学年まで幅があるので、毎回同じグレイドにならないように気をつけています。また実際に買ってもらうとすれば大人が介在するわけですから、時に親や祖父母たちの目も惹きそうな本も取り上げるようにしています。前にも書いたように、僕の所にはかなりの出版社から新刊本が送られてきますが、正直こういう書評を書く仕事がないと、読む範囲はぐっと狭くなると思います。その意味でも、こうしたレギュラーの書評の場を持っているのは、ありがたいことだと思っています。

2022/02/15

59、資料集の話②(2022,2,5)

【コロナの行方は……】

・昨秋ようやく収まったかに見えたコロナは、目下拡大の一途。カミさんや娘の仕事先でも感染者や濃厚接触者の話が出てきて、じわりと包囲されている実感があります。東京で連日2万人ですから、5日で10万人。1千万人のうち10万人ということは100人に1人ということですし、なにしろ検査がろくにできない状況ですから、無症状の人も含めればその倍くらいはいてもおかしくないでしょう。学校や保育園などでも感染が広がっており、子どもたちはもちろんですが、先生方が本当に大変だろうなと推察します。

・僕は2回目のワクチンを打ったのが7月12日。このプログにも書きましたが、2回とも東京の(自衛隊の)集団接種でした。ですから、今月の12日が7ヵ月目になります。今週の月曜日、ようやく3回目のワクチンの接種券が届きました。今回は地元の市でも最初から集団接種をやるというので、できれぱそこに予約しようと思っていました。土日のみで、僕にとって一番早い12、13日は1月21日から予約が開始されており、当然とっくに埋まっていると思いました。念のため問い合わせてみると、まだ空きがあるとのこと。すぐに13日で予約しましたが、前の集団接種の時はパソコンに張り付いて必死に取りましたから、なんだか拍子抜けの感じでした。

 察するに、集団接種はモデルナなので、1、2回目がファイザーだった人たちが避けているのではという気もしますが、ともかく(3回目のワクチンも絶対ではないとはいえ)あと一週間気をつけまくるしかないですね。

【さて、資料集です】

・前回、資料集に関して、「もう一つ裏話を」と書きましたが、まあそんなに「裏」の話でもないのですが(笑)、「実は……」というふうな話をひとつ。それは資料集の第四部のことで、第一部の「基本文書」、第二部の「活動方針」、第三部の「声明」は、資料集を作るということを決めた段階から、自ずから決まりました。ただ、それだけではあまりにおもしろくないので、第四部はもう少し「読みたい」と思われるようなものを載せたいと思いました。

 それで、当初は、75年の歴史の中でトピックになるようなできごとについての資料を、機関誌や会報の記事から選んで載せようかと思っていました。例えば1960年の安保闘争に協会がどう関わったのか。これに関しては、声明とかは第三部に載るわけですが、前年の総会をめぐって「長老」である坪田譲治と「若手」の古田足日の論争(?)が『日本児童文学』に載っていることを知っていましたから、そういう当時の人たちの“肉声”が伝わるものを載せたいと思ったのです。それでいくつか候補をピックアップしていましたが、そうしたら最後にくるのが、那須正幹さんが会長在任時代に問題提起した、児文芸との合併案についての会報の報告記事でした。これについては、会報の前号の那須さんの追悼文の中で少し触れましたが、やはり協会にとって「歴史的」な提案だったと思います。

・ただ、どういうできごと、記事を選ぶかについては、どうしてもその選択が、言わば“好み”になってしまいますから、躊躇もありました。そうした折、『日本児童文学』で、75周年企画として、過去のバックナンバーから時代をよく示しているような記事をピックアップして載せようという話があり、資料集は読者も限られますから、僕が考えていたような内容は、こっちの企画で扱う方がいいだろうと考えました。今連載中の「プレイバック『日本児童文学』」がそれです。(で、第四部は各分野の活動に関する資料となりました。)

 ところが、上記の児文芸との合併話の記事は、会報ですから、これには載せられません。それがちょっと残念だったのです。つまり、最初の僕の構想では、協会の75周年記念資料集の最後が、言わば児文協をなくしてしまう、他団体との合併の話ということになったわけで、これはこれでなかなかアナーキー(?)でおもしろかったのではないかと、ひそかに思っているわけです。まあ、批判もされたでしょうけど……。

2022/02/05