【3回目のワクチンを】
・前回書いたように、一昨日の日曜日(13日)、地元・坂戸市の集団接種で3回目のコロナワクチンを接種しました。市民健康センターというところが会場だったのですが、僕の家は市の端っこにあるので、車で30分ほど。同じ「集団接種」でも、1回目と2回目は東京の自衛隊の集団接種でしたから、その規模感は100分の1くらいの感じで(もっとかな?)、あっさり済みました。まあ、税金を払っているのだから当然と言えば当然ですが、こんなふうに無料でワクチンがうてるというのは、市民として守られているなという感じも持った(そのあたり、我ながらゲンキンなものです)一方、“高齢者”の僕は済みましたが、カミさんや娘にはまだ接種券も届いておらず、「間に合うのかな」という切迫感もあります。
それにしても、ちょうど二年前になりますが、コロナが始まったところでは、ここまで長くなるとは思っていませんでした。来月には、協会の役員選挙の投票も行われますが、今の理事たちは集まって理事会が開けたのがたったの1回。5月の総会を前に、せめて4月あたりには顔を合わせた理事会を持ちたいと切望しています。
【さて、「書評」の話ですが】
・僕は「児童文学評論家」として仕事をしているわけですが、きちんとした“評論”というのはきわめて発表舞台がなく、ほぼ『日本児童文学』のみといって過言ではありません。あと、僕はライフワークともいえる「現代児童文学史」を書く場所として、『ドボルザークの髭』という個人誌を発行しています(ここしばらく資料集にかかりきりで途絶えていましたが、ようやく再開しています)。それで、一般の方の目に触れる文章としては、「書評」という形で発表するケースが一番多いと思います。
これまで何本の書評を書いてきたか、千まではいかないにしても、何百の上の方ではあると思います。イレギュラーで書く場合もありますが、連載というか、固定した場で月に1回といった形で書くことが多いです。かつては、東京新聞や共同通信で毎月時評のような形で何冊かの本を紹介していました。共同通信というのは、全国の地方紙に記事を配信する通信社で、ですからその時期はあちこちの掲載紙が送られてきて、それぞれの地方の記事を見るのも楽しみでした。今はレギュラーで書いているのは二ヵ所で、一つはベルマーク財団の「ベルマーク新聞」(月1回発行)、もう一つは家の光協会が発行している月刊誌『ちゃぐりん』です。前者はネットでどなたでも見られます
・僕がこうした書評を書く時に気をつけているのは、「誰が読むのか」ということ。それによって選ぶ本も変わってくるし、もちろん書き方のスタイルも変わってきます。「ベルマーク新聞」は、二月に1回ですが、読むのは学校の先生方やPTAの親たちですから、僕の“戦略”としては、そういう方たちに、「へえ、こんな本が出てるんだ」というふうな関心を、いかに持ってもらうかということ。絵本、低・中学年向け、高学年以上向けの3ジャンルから概ね2冊ずつという数で、偶数月の号に載るので締め切りは奇数月の月末。今回の2月号では、低・中学年向けの1冊は、竹下文子さんの『ねこのおひめさま』という本で、これは「グリムの本だな」という、グリム童話のあまりメジャーでない話を紹介しようというシリーズの1冊目。そして高学年以上向けでは、偕成社の古典シリーズで花形みつるさんが書かれた『落窪物語』を取り上げました。つまり、この2冊には古典の「再話」という共通項があるわけで、 2冊を並べることで、子どもの本にはそういうジャンルがあるということを伝えたいと思ったのです。
こんなふうに、毎回ではありませんが、取り上げる6、7冊のうち、隠れテーマというか、何らかの形で共通項のある本を取り上げることで、児童書の世界に興味を持ってもらえるきっかけになればと考えているわけです。
・もう一つの『ちゃぐりん』のほうは、子ども向けで、毎回1冊ずつで10日締め切りなので、4月始めに出る5月号分を書いたところ。この季節感のずれも意識しつつ、雑誌の読者は小学校の低学年から高学年まで幅があるので、毎回同じグレイドにならないように気をつけています。また実際に買ってもらうとすれば大人が介在するわけですから、時に親や祖父母たちの目も惹きそうな本も取り上げるようにしています。前にも書いたように、僕の所にはかなりの出版社から新刊本が送られてきますが、正直こういう書評を書く仕事がないと、読む範囲はぐっと狭くなると思います。その意味でも、こうしたレギュラーの書評の場を持っているのは、ありがたいことだと思っています。