【総会まで一月】
・5月27日の総会(前日26日は学習交流会と文学賞贈呈式)まで一か月となりました。今日は事務局で総会案内状の発送作業をしているはずで、明日発送、郵便物が遅れがちですが、連休前にはなんとか届くかと思います。
今年は役員改選のない年で、お送りする議案もやや少なめになるのですが、その中に、総会声明の案文があります。「安保3文書」に反対する声明です。 声明文(案)の裏に説明をつけて、そこにも書いたのですが、協会で出す声明のパターンには概ね3種類あって、一つは「総会声明」。当然ですが、これは総会の時にしか出せません。それで、総会時ではなく緊急を要する場合は、「理事会声明」という形をとります。ただ、理事会がこれは「日本児童文学者協会」という名義で出すべきだし、その方がいいと判断した場合は、「協会声明」ということになります。この中で、やはり総会の名で出す総会声明が、協会にとって一番重みがあるかと思います。
・今回の総会声明は、上記のように岸田内閣の「安保3文書」に反対する声明で、「子どもたちが再び戦場に立つことがないように!~日本を「戦争をする国」に変質させる「安保3文書」に反対します~」というタイトルです。この中身を書いていると長くなりますし、まもなく案文が届くわけですから、それをお読みいただければと思うのですが、強調したいのはその最後の部分です。以下、最後の段落部分のみ、引用します。
今回とりわけ危惧されるのは、日本の進路を大きく左右するこのような決定が、国会に諮ることすらなく、閣議決定という形で押しつけられようとしていることです。わたしたちは、安保3文書の撤回と共に、きちんとした情報が提供される中で、日本の安全保障のあり方、国際貢献のあり方について、国民的論議が保障されることを求めます。そして、わたしたち一人ひとりがそうした国民的論議に主権者として参加していく決意を、ここに表明するものです。
これまで協会の声明はいろいろありましたが、多分最後は「〇〇ゆえに、●●に反対します」というパターンの結びがほとんどだったと思います。しかし、今回は、私たち自身が、(もちろんいろいろな意見があり得るだろうし、分からないこともたくさんあるわけですが)こうした大事な問題を政治家任せにせずに、国民、市民の一人として、議論に参加していくということが、とてもとても大事だと思うのです。ある意味、中身の問題以上に、こうした大切な問題が一方的に決められていくということに危機感を感じてもいて、こうした結びにしました。
そして、だとすれば、協会がこうした声明を出すこと自体やその中身について、「理事会がそう言うのなら、まあいいんじゃない」ということでなく、疑問に思う点や付け加えたい点など、会員の皆さんから積極的に出していただくことがその第一歩かと思います。よろしくお願いします。
※岩波の『世界』の5月号で、この問題を特集しているようです。ぼくもこれから見てみます。
【那須さんは左利き?】
・話は全然変わりますが、『ちゃぐりん』という雑誌をご存じでしょうか。JA系の家の光協会が出している子ども向け月刊誌で、学研の『科学』と『学習』もなくなった今、ほとんど唯一残っている子ども向けの総合誌(読み物もマンガも情報記事もいろいろ)ではないでしょうか。実は那須正幹さんの多分最後の創作作品が載ったのも(2021年7月号)、この雑誌でした。
この雑誌に、「いのちの歴史」という連載があって、いろいろな分野で業績を残した人の一生をマンガで紹介する、言わばマンガ偉人伝といった趣です。今年の7月号のこの欄で、那須さんを取り上げることになったのです。僕はこの雑誌では毎号新刊紹介を書いたり、掲載記事を対象にした感想文コンクールの選者を務めたりしています。そういうご縁で、那須さんの「伝記」の監修をすることになったのですが、あがってきたマンガの原稿を見せていただいて、「あれっ?」と思ったことがありました。那須さんが手紙や原稿を書いている場面が、全部左利きの形になっているのです。僕の知る限り、那須さんは右利きでした。編集部から漫画家の方に確認してもらうと、こちらで参考資料に指定した、中国新聞の連載インタビューで、那須さんが東京から郷里に戻りお父さんの書道塾を手伝うことになったというところで、「僕は左利きで(習字は得意じゃなかった)」という言葉があったのです。このインタビュー記事、何回も見ていたはずなのに、気が付いていませんでした。
さて、問題は、左利きだったとしても、ボール投げなどは左だったでしょうが、果たして字を書くのも左だったかどうか。そして、僕らが知る那須さんは確かに右手で字を書いていましたから、いつからそのようになったかということです。それによって、漫画の絵柄が変わってくるわけですから。
ということで、奥さんや幼なじみの方に問い合わせたり、この何日か、那須さんの「利き手問題」でいろいろやりとりしましたが、結局確かなことは分かりませんでした。子ども時代、箸を持つのはやはり左手だったようですが、果たして字はどちらで書いていたのか。でも、子ども時代の那須さんが(字はともかくとして)左利きだったということが分かって、なんだかひどく新しい発見をしたような気になりました。
ところで、今年の(総会前日の)学習交流会は、那須さんの追悼本『遊びは勉強 友だちは先生』の第一章「那須正幹のことば」(那須さんのエッセイなどから、その生涯を再構成したもの)を、12人の方に朗読してもらって、みんなで聞こう、という趣向です。(第二部は、那須さんをめぐっての鼎談です。)朗読者も募集中です。ぜひ手を挙げてください。