【「ドボルザークの髭」とは?】
・年度が替わりました。僕が理事長になってからもう2年近くになるわけですが、なんでもコロナのせいにしてはいけませんが、それにしても2年間なにもできなかったな、という思いが強いです。「コロナが明けたら」という発想はやめて、今の状況の中でなにがどのようにできるかというふうに、切り替えていかなければと思っています。
・さて、タイトルにある「ドボルザークの髭」ですが、これは僕が2015年11月から出している個人誌の名前です。これを発刊したのは、僕のライフワークと(勝手に)思っている「現代児童文学史」を書くためで、4月3日付で8号を出しました。6年半で8号というのも遅いのですが、まだ1960年代をうろうろしているので、これで本当に最後までいきつけるのかというところです。特にこの間、協会の資料集の仕事に追われて(そんなことではいけないのですが)、7号から1年8カ月ぶりの発行でした。ともかく進むしかありません。
今回の8号は、1960年代の戦争児童文学の考察が中味でしたが、いろいろ読み返してやはりいろいろ発見がありました。最終盤でロシアのウクライナ侵攻があり、かつての日本の歩みと重なって、余計に考えさせられました。
・その現代児童文学史のための個人誌が、なぜ「ドボルザークの髭」なのかを説明するとかなり長くなのですが、僕は中学時代にブラスバンド部で、毎日音楽室を使っていました。そして、ある時に音楽年表の時代の区切りの線(例えば、古典派とロマン派の区切り)が、斜めであることに気がついたのです。一方教室にある普通の歴史年表の時代の区切りの線(例えば江戸時代と明治時代の区切り)は、縦にまっすぐです。「そうか、誰かが○年○月にロマン派を始めたというようなことでなく、後から見るとこの辺りが境目ということなのだな」と得心しました。
それを思い出したのが、大学生の時児童文学に出会い、いろいろ読み始めた時でした。1970年前後です。現代児童文学の出発から10年という時期ですが、その出発期の作品とリアルタイムで出ている作品とはかなり雰囲気が違うのです。「もしかして、今があの斜めの線の時期なのではないか」と考えたのが、僕の評論の出発点の一つになっています。音楽年表で目を惹くのは、なんといってもベートーベンのモシャモシャ頭とドボルザークの髭なので、「ドボルザークの髭」にした次第です。
【A4文化?の話】
・それで、この個人誌はB5判なので、表紙はB4のカラーの紙を使っています。いつもは高田馬場の紙専門の店でその用紙を買うのですが、今回日曜日に協会の印刷機を借りて印刷するために事務所に向かう途中、池袋のビッグカメラと東武デパートの文具売り場に行ったのですが(日曜日で、高田馬場のいつもの店は休みなので)、カラーの紙はA4しかありません。デパート(伊東屋でしたが)のほうはA4のカラーなら20種類ほどもあるのですが、「B4はお取り寄せになります」とのこと。チラッと、そんなこともあろうかと、前回の残りの紙を用意していたのでなんとかなりましたが、改めて世間? はもうすっかりA4の文化になっているのだなあと、実感させられたことでした。