【コロナの行方は……】
・昨秋ようやく収まったかに見えたコロナは、目下拡大の一途。カミさんや娘の仕事先でも感染者や濃厚接触者の話が出てきて、じわりと包囲されている実感があります。東京で連日2万人ですから、5日で10万人。1千万人のうち10万人ということは100人に1人ということですし、なにしろ検査がろくにできない状況ですから、無症状の人も含めればその倍くらいはいてもおかしくないでしょう。学校や保育園などでも感染が広がっており、子どもたちはもちろんですが、先生方が本当に大変だろうなと推察します。
・僕は2回目のワクチンを打ったのが7月12日。このプログにも書きましたが、2回とも東京の(自衛隊の)集団接種でした。ですから、今月の12日が7ヵ月目になります。今週の月曜日、ようやく3回目のワクチンの接種券が届きました。今回は地元の市でも最初から集団接種をやるというので、できれぱそこに予約しようと思っていました。土日のみで、僕にとって一番早い12、13日は1月21日から予約が開始されており、当然とっくに埋まっていると思いました。念のため問い合わせてみると、まだ空きがあるとのこと。すぐに13日で予約しましたが、前の集団接種の時はパソコンに張り付いて必死に取りましたから、なんだか拍子抜けの感じでした。
察するに、集団接種はモデルナなので、1、2回目がファイザーだった人たちが避けているのではという気もしますが、ともかく(3回目のワクチンも絶対ではないとはいえ)あと一週間気をつけまくるしかないですね。
【さて、資料集です】
・前回、資料集に関して、「もう一つ裏話を」と書きましたが、まあそんなに「裏」の話でもないのですが(笑)、「実は……」というふうな話をひとつ。それは資料集の第四部のことで、第一部の「基本文書」、第二部の「活動方針」、第三部の「声明」は、資料集を作るということを決めた段階から、自ずから決まりました。ただ、それだけではあまりにおもしろくないので、第四部はもう少し「読みたい」と思われるようなものを載せたいと思いました。
それで、当初は、75年の歴史の中でトピックになるようなできごとについての資料を、機関誌や会報の記事から選んで載せようかと思っていました。例えば1960年の安保闘争に協会がどう関わったのか。これに関しては、声明とかは第三部に載るわけですが、前年の総会をめぐって「長老」である坪田譲治と「若手」の古田足日の論争(?)が『日本児童文学』に載っていることを知っていましたから、そういう当時の人たちの“肉声”が伝わるものを載せたいと思ったのです。それでいくつか候補をピックアップしていましたが、そうしたら最後にくるのが、那須正幹さんが会長在任時代に問題提起した、児文芸との合併案についての会報の報告記事でした。これについては、会報の前号の那須さんの追悼文の中で少し触れましたが、やはり協会にとって「歴史的」な提案だったと思います。
・ただ、どういうできごと、記事を選ぶかについては、どうしてもその選択が、言わば“好み”になってしまいますから、躊躇もありました。そうした折、『日本児童文学』で、75周年企画として、過去のバックナンバーから時代をよく示しているような記事をピックアップして載せようという話があり、資料集は読者も限られますから、僕が考えていたような内容は、こっちの企画で扱う方がいいだろうと考えました。今連載中の「プレイバック『日本児童文学』」がそれです。(で、第四部は各分野の活動に関する資料となりました。)
ところが、上記の児文芸との合併話の記事は、会報ですから、これには載せられません。それがちょっと残念だったのです。つまり、最初の僕の構想では、協会の75周年記念資料集の最後が、言わば児文協をなくしてしまう、他団体との合併の話ということになったわけで、これはこれでなかなかアナーキー(?)でおもしろかったのではないかと、ひそかに思っているわけです。まあ、批判もされたでしょうけど……。