107、「怪物」を見ました(2023,6,26)
【更新が1日遅れになりましたが】
・昨日、池袋の映画館で、是枝監督の「怪物」を見ました。僕は日本の映画を観ることはあまりなく(といっても外国の映画もそれほど観ているわけではありませんが)是枝監督の映画を観るのは、今回が初めてだと思います。カンヌ映画祭の評判もありましたが、これまでの(観ていない)映画でも、評を見て、子どもの描き方が気になっていたので、この機会にと思いました。
ネットの評などでは、黒澤監督の「羅生門」のように、登場人物それぞれの視点から描かれる構成、といった言い方をされていたのですが、僕はちょっとというか、大分違うように思いました(まあ、事前にそう思わされたから、違いを感じてしまったのかもしれませんが)。 「羅生門」の場合は、主な登場人物3人のそれぞれの視点から出来事が語られ、言わば「どれも本当で、どれも本当ではない」といった印象になるわけですが、「怪物」の場合は、ひとつのできごとの表面と舞台裏という感じで、それらが矛盾するのではなく、合わさってひとつの真実、という感じを受けました。
【ということで、ネタバレになるかもしれませんが】
・例えば、主人公(と言っていいでしょうか)の少年ミナトが、担任から暴力をふるわれたということで、安藤サクラ扮する母親が、校長に抗議に行くわけですが、そこでの学校側の対応は、絵に描いたような、官僚的というか、誠意のない対応で、校長も担任も作文を棒読みするような“謝罪”を口にするものの、責任逃れとしか思えない言葉に終始します。
これが後では、永山瑛太扮する担任教師の側から描かれるのですが、ここでは「暴力」というのは違っていて、もみあっている二人を引き離そうとして、なぐったような格好になってしまったのですが、新任のこの教師が母親の誤解を解こうとしても、教頭や主任が、母親の怒りがエスカレートするのを怖れて、形式的な謝罪で済ませようとする顛末が描かれます。
・この映画では、上記のミナトと共に、子どもの側の主要な登場人物として、同じ5年生のヨリという男の子がいるのですが、ヨリはクラスではいじめられていて、ミナトはそれをやめさせたいものの、行動に移すことができないでいる、という基本的な設定です。この二人が秘密基地にしているのが、廃線になった駅跡? に残された電車で、そこで二人が過ごすシーンがとても印象的で、僕はかつて観た映画「禁じられた遊び」を連想しました。
【さて、このタイトルですが】
・ネットの評でも、「怪物」というタイトルについての解釈がいろいろ上がっているようですが、心の中にある種の闇を抱えているみんなが(大人でも子どもでも)「怪物」と言える面を持っている、というのは、その通りだと思いましたし、そういう人間たちの関係性自体もある意味「怪物」だとも思いました。その意味で、僕がこの映画で感じたのは、大人と子どもが必ずしも加害者と被害者という関係性ではなく、それぞれに秘密を抱えながら、ある意味対等に渡り合っているところで、それはなかなかいいと思いました。
それを象徴する場面が、終わりに近く、ミナトと田中裕子扮する校長が、音楽室で二人になるシーンがあります。ミナトは、やや確信犯的に担任を辞職に追い込んだ負い目があり、校長は孫を連れ合いが誤って車で轢いてしまうということがあったのですが、どうやら実際に車を運転していたのは校長で、世間体のために連れ合いの方が罪を被ったらしいのです。
元ブラスバンドだったという校長が、ミナトにトロンボーンを持たせ、吹き方を教えます。何度か吹いているうちに音が出始めるのですが、校長はホルンを取り出して吹き始めます。ホルンは金管でも一番音を出すのが難しい楽器で、田中裕子はどれくらい練習したかな、などと考えながら、その二つのぎこちない音の重なりが、この映画のテーマを象徴しているようにも(ちょっと無理矢理かな)思いました。
とても感心、感動したとまでは言えないものの、観てよかったとは思えた2時間でした。