藤田のぼるの理事長ブログ

2023年1月

93、協会文学賞のこと(2023,1,25)

【昨日は】

・昨日は、午後から雨、夜には雪という予報だったのに、午後の3時ころまでは結構いい天気で、しかも暖かかったので、「本当に雪?」と思っていたら、4時過ぎくらいだったでしょうか、まずものすごい風が吹いて、“嵐”という感じでした。庭に出て、風で持っていかれそうなものを片づけていたら、なんと雪が舞ってきました。こんなにあっという間に天候が変わるのは、少なくとも今の家に移ってからは(もう二十五年以上になりますが)初めてという気がしました。「一天俄かにかき曇り」という表現がありますが、まさにそんな感じでした。

 僕は日曜日に事務局に出て、午後からは研究部の「子どもの権利」のブックトークのリモート研究会に参加しましたが、その前後は今年の文学賞選考のためのリスト作りの作業をしました。その作業を火曜日か水曜日に出て続けようかと思っていましたが、天気予報を見てやめました。天気とは無関係かもしれませんが、昨日は僕が使う東武東上線が午前と午後の二回人身事故があり(これもめったにないことです)電車がろくに動いていなかったので、まあ行かなくて良かったと思いますが、なんというか心騒ぐ一日でした。

【さて、協会の文学賞のことです】

・協会の文学賞には(長編児童文学新人賞のようなコンクール的な賞は別として)、日本児童文学者協会賞、日本児童文学者協会新人賞、そして三越左千夫少年誌賞があります。少年詩・童謡のみを対象とする三越賞は別として、協会の文学賞は、選考に関して大変なことが二つあります。 というのは、他のたいていの文学賞は、候補作品を選ぶにあたって「推薦方式」をとっています。出版社や関係者に「賞にふさわしい作品を推薦してください」と依頼するわけです。ですから、その時期になると、僕の所にも野間賞や坪田賞といった賞の主催者から、返信ハガキ入りで推薦依頼が届きます。無論、推薦作にはかなりバラツキがありますから、大体の場合予選委員という人たちがいて、その推薦作を絞り込み、候補作品を概ね一桁の数にして、それを選考委員が読み、受賞作品を決定するというパターンです。

 まあ、これでたいていの場合支障はないわけですが、やはり推薦からもれていて、実はいい作品があったのでは、という危惧は残ります。特に、後で述べるように、協会の文学賞は詩集や評論・研究書も 対象としますから、こうしたジャンルのものは推薦にはなかなか入ってきません。

・そこで協会では、こうした推薦方式はとらずに、原則として前年のすべての創作児童文学を対象にしています。「それは理想的だが、本当にそんなことができるのか」と言われそうですが、それを可能にするために、いろいろな工夫をしてきました。そもそも「すべての創作児童文学」というのが何冊くらいになるのかということですが、絵本を別にすれば大体400冊弱というところです。年間の児童書全体では3千冊以上なので、その中の創作児童文学の割合は1割強というところでしょうか。それにしても、すべての選考委員がそれを全部読むなどというのは、事実上不可能なことです。

 そこで以前は、協会賞、新人賞の選考委員が分担してそれを読み、候補作品を絞っていました。ただ、それでも選考委員の負担は大きく、また人によって評価の基準にバラツキがあって、スムースにいかない面がありました。それで、10年ほど前に、「文学賞委員会」というのを作って、ここでリストの中から協会賞、新人賞で検討すべき作品をそれぞれ30作品くらい選び出す、という形にしました。ですから、両賞の選考委員は、その二次リストから候補作品を絞っていく形になったわけです。ただ、僕ら評論に携わっている人間は、否応なくかなりの作品を読んでいますが、作家の場合は、普段そんなに他の人の作品を読んでいるわけではなく、これでもかなり(他の賞に比べれば)負担感は大きく、また選考料も圧倒的に?安いという問題があります。

・もう一つ、協会の文学賞で大変なのは、先に書いたように、創作作品だけでなく、詩集や評論・研究書も対象にしていることです。僕の知る限り、そんな文学賞は児文協の賞ぐらいではないでしょうか。その分、選考委員の負担も大きいわけです。

 以上が、協会の文学賞の「大変さ」の言わば“おおもと”ですが、他にも文庫書下ろし作品の扱いとか、さまざまな問題を抱えていて、いずれその在り方をかなり根本から見直さざるをえないと思いますが、それはまた別の機会にします。

【で、そのリスト作りですが……】

・ということで、選考の前提として、昨年出版された創作児童文学作品のリストを作らなければいけません。方法としては、児童図書出版協会が発行している『子どもの本』というPR誌に、ほぼ一月遅れで出版された児童書のリストが掲載されるので、そこから創作単行本を選んでリストにしています。ただ、児童図書出版協会に加盟していない出版社については、それぞれ独自に調べなければならないので、これはこれで大変です。

 で、その作業をいまだに僕がやっているわけです。本来なら、事務局員に引き継ぎたいところですが、事務局は僕が事務局長時代の三人体制から二人体制、さらに以前は機関誌の編集は嘱託の形で専門のスタッフがいたわけですが、それも大分前から事務局長の次良丸さんが引き受けています。とても、新しい仕事を増やせる状況ではありません。

 ということで、こんな風に書くと愚痴のようになりますが(それも多少ありますが)、このリスト作りをしていると、毎年の創作児童文学の出版傾向が自ずから見えてくるという“副産物”もあり、評論をやっている身としては、ありがたい作業ともいえます。

 ともかく、なんとか9割方はできたので、今週もう一度事務局に出て、このリストを完成させなければ、というところです。賞の発表は4月の終わりですが、1月からそんなふうに選考の準備が始まっていることをお伝えしたかった次第でした。

2023/01/25

92、今年の抱負です(2023,1,15)

【遅まきながら】

・この年になると(僕は1950年生まれなので、年齢は計算しやすいです)、「今年の抱負」といっても、そんなに飛び切りなことがあるわけではなく、むしろし残していることをいかに片づけるか、みたいなことになるのですが、自分の整理のためにも、半月遅れですが、書いておきたいと思います。

 第一は、なんといっても個人誌『ドボルザークの髭』の発行速度を上げること。この個人誌は、まあ僕のライフワークともいえる「現代児童文学論」を書くために発刊したものですが、2015年11月に創刊しましたから、もう七年以上経っていますが、大変恥ずかしながら、まだ9号でようやく1960年代が終わり、今70年代を書き始めている、という状態です。言い訳はいろいろありますが、言い訳するヒマがあったら書け、という具合で、10号は9割方できています。僕は1970年前後に本格的に児童文学を読み始めましたから、ようやく僕のリアルタイムの経験で書ける時代になったので以前に書いたものも援用できることになり、ともかくペースを速める、具体的には今年中に3号は出して、来年くらいには70年代を終わらせ、そこで一区切りにできればと念じています。

 後は順不同という感じですが、はっきりした宿題としては新美南吉著作権管理委員会の資料をまとめて、新美南吉記念館の来年の紀要に載せられるようにしなければなりません。協会が新美南吉著作権管理委員会の窓口になっていたことは以前に書いたと思いますが、そのため南吉作品がどこでどのように使われたのかが(絵本などはもちろんですが、「ごん狐」や「手袋を買いに」などは、人形劇とかアニメとか、いわゆる二次的使用がものすごく多いのです)、すべてファイルになっています。そのファイルはいずれ新美南吉記念館に寄贈するつもりですが、それにあたって、実際に著作権管理に当たった者の責任として、南吉作品の使用の実態について、大雑把にでもまとめて文章にしたいわけです。「ごんぎつね」がすべての国語教科書に載っていることもあり、ある意味、新美南吉は、戦後もっとも読まれた童話作家かもしれません。これはすでに南吉記念館の遠山館長に約束したことなので、明確に「宿題」です。 著作権管理ということで言えば、昨年から、協会に著作権を遺贈してくださった那須正幹さんの著作権管理についてもいくつか宿題というか、今年中にしておきたいこと、しなければならないことがありますが、この具体的な中身については、改めて書きます。

【抱負というか、野心というか】

・もう一つ、僕が今年中に何とかしたいなと思っているのは、僕がそもそも児童文学に関わるきっかけを作ってくれた斎藤隆介に関する仕事です。去年、黒姫童話館で「八郎」の1950年のオリジナル原稿を見たことはすでに書きましたが、『八郎』や『モチモチの木』など、絵本化されて多くの人に親しまれてきたものの、僕からすると、まだ絵本になっていないものでこれを絵本にしたらいいだろうなと思う作品が、いくつかあります。なんとかその可能性を探りたい。そして二年後2025年は没後40年になるので、どこかで斎藤隆介展をやってくれないかな、というのが、まあ僕の“野心”です。今年は6月に秋田市で、11月に八郎潟町で講演が予定されており、秋田の方たちとも共に、その可能性を探れればと願っています。

 最後に、これはまあ“夢”のレベルですが、去年の12月5日付で、詩人の小泉周二さんを囲む会に行きますという話を書きましたが、とても楽しい会でした。そこで僕はビールの勢いも手伝って、「小泉さんの詩に曲をつけたい」と宣言(?)したのでした。小泉さんはご自分で自作の詩にいくつも曲をつけて、CDも出しておられます。僕はどれも大好きで、できたら、まだ曲がついてない詩に曲をつけてみたいなと、これはまさしく野心ですね(笑)。野心のまま終わるかもしれませんが、ここに書いて、自分へのプレッシャーにしておきたいと思います。  

 最後、いかにもなことではありますが、多分(将来も含め)日本の歴史の中で同じ年代の人間がもっとも多い世代の一人として、絶対に「戦前」にはしないよう、子どもや孫世代が武器を持たせられるようなことにならないよう、今まで以上に声を大きくしなければと、やはり書かずにはいられません。

2023/01/15

91、遅ればせながら、新年のご挨拶です(2023,1,10)

【5日遅れになりましたが】

・年が改まり、最初から5日遅れとなってしまいました。今日、今年初めて協会事務局に来ています。例年だと、5日あたりに年賀状のチェックも兼ねて出てくるのですが、今年は4日に池袋で私的な“新年会”があり、6日に協会のホームページ更新に関しての(在宅での)リモート会議があり、ということもあって、僕宛の年賀状は、自宅に転送してもらいました。そのせいもあって、なんだかすっかり「5の日のブログ更新」が頭から抜けていました。

 まあ、それだけ、のんびりとした正月を過ごさせてもらったということでしょう。子どもたちや孫に囲まれて、大分おいしいお酒もいただきました。元日の初詣で例年のようにおみくじを引きましたが、「吉」で、学問の項は「努力すればよろし」。そりゃまあ、そうでしょうと突っ込みたくなりますが、仕事が進まないのにあれこれ理由をつけたがる我が身への苦言かもしれないと、ちょっと反省しました。

 もう一つ注目したのは「失物」の項で、こちらは「出る 物の間にあり」でした。実は、家の引き出しに僕の保険証と病院の診察券を入れておくケースがあったのですが、孫がいじるので、カミさんがどこかにしまったのですが、その「どこか」がわからなくなった、というよくあるパターン。あちこち心当たりを探しましたが、一向に出てきません。診察券はともかく、保険証がないといざという時困るので、文芸美術国民健康保険組合の事務局に連絡して、再発行してもらいました。ひとまず安心ですが、その後「物の間」を注意して見ているのですが、まだ出てきません。

・この「文芸美術国民健康保険」ですが、初耳の方も少なからずだと思います。ご存知のように、健康保険は、会社勤めの方が対象の社会保険と、自営などの人が加入する国民健康保険があるわけですが、 国保も所得によって掛け金が違ってきます。ある程度の収入がある場合は、言わば割を食う形で高い負担を強いられる形になります。そこで、という言い方が経緯として正しいかどうか定かではありませんが、国保は国保なのですが、名前の通り文芸や美術などの分野の職能団体が集まって、独自のグループともいうべき組織を作ったのが、「文芸美術国民健康保険組合」です。現在、67の団体が加盟しており、文芸や美術関係の団体の他にも、日本映画監督協会、日本作編曲家協会、いけばな協会、日本ジュエリーデザイナー協会など、加盟団体のリストを見ていると、日本の芸術関連の分野というのがこんなふうにあるんだ、ということがよくわかります。

 さて、ここに入るメリットですが、医療の負担割合などは通常の国保と同じですが、所得に関わらず保険料は同額で、現在月額21,100円(本人、家族は11,600円)で、人間ドッグなどへの補助も割合手厚いです。国保に加入の方で、今これより多く払っているという方は加入を考えてみてもいいかと思います。ただ、数年前までは、児文協(もちろん加盟団体)の会員であれば無条件にここに加入できたのですが、現在はそれぞれの分野で一定の収入があることや確定申告をしていることなど、要件がやや厳しくなっていますので(でも、文筆で食っていなければダメというほどの厳しさではありません)、詳しくは事務局にお尋ねください。

【年賀状を見ながら】

・僕は例年年賀状は400枚用意するのですが、数年前まではそれでも足りなくて少し買い足す具合でした。二、三年前からその必要がなくなり、今年は3,40枚くらい余る感じでした。その理由の一つは、同世代の人たちがいわゆる「年賀状仕舞い」をする人が増えてきていることで(もう一つの理由は、先輩たちが段々鬼籍に入られている、という残念な現実もありますが)、僕も一時チラッと考えたこともありますが、できれば続けたいと思っています。十数年前までは宛名も手書きしていたので、これは大変でしたが、今はパソコンで印刷できますから、それを考えればまだしばらくは続けられそうです。ただ、全部印刷というのはいかにも味気ないので、自分の名前は手書きにして、なるべく添え書きを一言つけ加えるようにしています。

 名前を手書きにしているのは、それが必要という事情もあって、仕事関係の方たちには「藤田のぼる」と署名するわけですが、秋田時代の友人とか、小学校教師の時の同僚や教え子とかには、本名の「藤田 昇」と書きます。今、その本名で書く場合はほとんどないので、つい「藤田のぼる」と書きそうになるのに気をつけなければいけません。でも、年賀状を書く度に、自分には「藤田昇の時代があったんだな」という感慨も湧いて、それもまた興あり、という感じでしょうか。

 本当なら、「今年の抱負」とかを書きたいところでしたが、それはまた追々に。ともかくも? 本年もよろしくお願い申し上げます。

2023/01/10