藤田のぼるの理事長ブログ

2023年2月

96、評論研究会のこと(2023,2,25)

【那須さんの本の書評が】

・今朝新聞を取りに行って、早速開いたのは読書欄でした。日曜日に読書欄という新聞が多いと思いますが、毎日新聞は土曜日が読書欄で3ページにわたります。その2ページ目と3ページ目の見開きの右上、一番目立つところに『遊びは勉強 友だちは先生~「ズッコケ三人組」の作家・那須正幹の大研究~』の書評が載っていました。載ることは内々に聞いていましたが、本の中身だけでなく、那須さんが著作権を児童文学者協会に遺贈されたことも含めて紹介されていて、懇切な紹介になっていました。ちょっと値段が高めではあるのですが(2700円+税、なにしろ1の冊の中に執筆者が多く、手間がかかっているので)、この記事を目にしたかつてのズッコケファンに手に取ってもらえれば、うれしいことです。

 これは偶然なのですが、前回に書いた毎日小学生新聞から受けた、那須さんのことについてのインタビュー記事も今日付けで載っています。こちらは、文字データだけならインターネットでもご覧いただけると思います。 今日は、そんなことで、書評の部分をスキャンして、他の編集委員やポプラ社の編集部に送ったり、(全然別の話ですが)4月のロッテの野球のチケットを取る算段をしたりで終わってしまいました。

【評論研究会の始まり】

 昼食の後、今日は午後2時から、児童文学評論研究会の月例会が予定されていました。今はやはりリモートでの開催です。この研究会は、毎月最終土曜日に行われるのですが、僕にとってはまさにホームグラウンドともいうべき場です。

 始まりは、なんと1970年代。前に書いたと思いますが、僕が『日本児童文学』に初めて評論を載せてもらったのは1974年で、「現代児童文学の出発点」という特集でした。この特集の評論の執筆者はすべて20代、30代の若手、中でも僕が一番若くて24歳でした。それで(後にも先にも異例なケースでしたが)分担された原稿を事前に出して、編集長の砂田弘さん、担当編集委員の古田足日さんを交えて合評(というか、指導というか)をしてもらい、その上で掲載するという形にしたのでした。それまでまったく一人で評論めいたものを書いてきた僕としては、新鮮でもあり、緊張する場でもありました。

 ちょうどその当時、児童文学学校の分校?のような感じで、批評評論教室が開講されていて、当時まだ学生だった宮川健郎さんなどが受講していました。昔も今も、児童文学の作家になりたいという人はたくさんいますが、評論を志す人はなかなかいません。それで、古田足日さんの意向が大きかったと思いますが、若手の評論家未満?がそろった機会をとらえて、児童文学評論の勉強というか研鑽の場を作ろうということになったわけです。それが児童文学評論研究会の始まりでした。

【それから48年……】

 ということで、第一回の例会は1975年6月、最初から最終土曜日だったと思います。以来、ほとんど休んだことはなく、今日の例会が第572回でした。あと2年で50年になります。

 こう書くと、随分“まじめ”な会のように思われるかもしれませんが、ここまで続けてこられたのは、その緩さということもあるように思います。「会員」というのは、例会に出た人、それ以外なんのしばりもなく、「児童文学評論研究会」という名前も確か『日本児童文学』に例会の案内を載せてもらうというので、「適当につけよう」と決めた気がします。略称の「評論研」もその頃からの呼び名です。

 創立時からのメンバーは、細谷建治、宮川健郎、僕というくらいですが、その後河野孝之、濱崎桂子、佐藤宗子、西山利佳、奥山恵、内川朗子、井上征剛といったメンバーが加わりました。こんな緩い集まりですが、もしもこの研究会がなかったら、現在の児童文学評論の層はもっと薄かったかもしれません。なにしろ児童文学の批評について語り合える場というのは、他にほとんどないのです。

 なにより、29歳の時教員を辞して、協会の事務局員になる時、僕のもっとも心の支えになったのはこの研究会の存在でした。少なくとも月に1回、その場では、口の利き方とかを気にせず思ったことを話すことができ、僕が事務局の仕事を長く続けられたのも、この評論研の存在抜きには考えられません。

 ところで、今日のテキストは、ジョナサン・ゴットシャルの『ストーリーは世界を滅ぼす』というアメリカの本でした。僕は地元の坂戸図書館と新宿図書館の両方にリクエストしたのですが、新宿はもとより、坂戸図書館の方も(大分前に予約したときは6人だか7人待ちでした)あと一人までになっていましたが、結局手に入らず、買うにはやや高かったので、結局読まないままで参加しました。まあさすがにそれはめったにないことですが、「読まずに参加できる評論研」、児童文学の評論に関心のある方は、機会がありましたら、覗いてみてください。ちなみに、4月例会(29日)のテキストは、最初に書いた『遊びは勉強 友だちは先生』です。

2023/02/25

95、秋田に行ってきました(2023,2,15)

【あきた文学資料館の会議で】

・この土日(11・12日)、秋田に行ってきました。前日の金曜日、こちらも雪だったわけで、電車や新幹線が大丈夫かなとやや心配でしたが、もう金曜日の夜から雨で、土曜日の朝にはあらかた解けていましたね。去年の6月にもちょっと書きましたが、僕はあきた文学資料館の資料収集検討委員なるお役目をいただいていて、毎年6月と2月に、その会議で秋田市に出向きます。コロナでしばらく開催できなかったわけですが(僕以外のメンバーは秋田県内の方たちで、中には僕の大学時代の先生もいらっしゃいます)、昨年の6月に久しぶりに会議が開かれました。ただ、2月は3年ぶりの開催でした。つまり、冬の秋田に3年ぶりに向かったことになります。

 いつもだと、その行きか帰りに生家に一泊してくるのですが、今回は、学生時代の後輩に会う用事があり、彼の都合で会うのが翌日の日曜日の昼になったので、土曜日の夜は一人で市内のホテルに泊まりました。会議が終わってから夕食までそれなりに時間があったので、そういう時、僕は映画を観たりします。以前、那覇市でもそんな感じで映画館に入ったことがありました。沖縄まで来て、映画を観ているというのは、我ながらおかしかったですが。

 ホテルも秋田駅とつながったホテルでしたが、同じビルの中に映画館もあるのです。というか、市内にはあと一つ映画館がありますが、そこは結構離れていて、選択の余地はありません。まあ、どこもそうでしょうが、僕の高校時代や大学時代はもっとたくさん映画館があって、僕は高校生の時、テスト期間の土曜日(大体、中間テストも期末テストも土日をはさみます)の午後はテストが終わると映画を観ることにしていて(頭を切り替えて、月曜日からのテストに備える?ために)、当時流行っていたマカロニウェスタン(イタリア製のアメリカ西部劇)なんか、よく観ました。

 で、4時から5時あたりに始まる映画というのが一つしかなくて、「アバター2 ウェイ・オブ・ウォーター」でした。僕は映画の興行収入記録を塗り替えた前作は観ていなくて、時間の長さ(3時間余り)は気になりましたが、まあはっきり言って暇つぶしなので、観てみようと思いました。

 結果としては、60点というところでしょうか。SFとしてはたいした意外性のある設定やストーリーではなく、良くいえば映像で魅せる映画、ということになるでしょうか。それはまあいいのですが、終わり頃になって気になってきたのは、この映画のイデオロギーというか、全編に漂う思想といった面で、主人公は、外惑星に同化した元海兵隊員なわけですが、現地の女性と結婚して子どもを4人もうけています。幸せな生活を送っていたのですが、地球からみれば〈お尋ね者〉的な彼が、地球人の捜索から逃れるために家族とともに海の部族に逃れ(元は森の部族の中で暮らしていたのですが)、そこが攻撃されるとついに地球人との戦いに挑みます。彼は、「家族を守ることこそ自分の務め」というようなことを信念とするわけですが、どうもそれがアメリカが母国(つまりは家族)を守るために原爆を落としたり、ベトナムで戦争を起こしたりということと、重なってくるように思えてくるのです。一方で、彼の子どもたちは地球人と現地人の“混血”なわけで、差別の問題なども出てくるのですが、そういうことも含めて、「銃を取って家族を守ることこそ、男の務め」というのが、かなり濃厚に漂うストーリーだと感じてしまいました。

【翌日】

 さて、話が大分横道に逸れましたが、翌日、後輩のS君との再会でした。以前、那須さんがらみで書いたと思いますが、僕は大学を一年留年して、二年目の四年生をやっている時に、秋田大学児童文学研究会というのを作りました。一年生が5、6人と僕で、まあ半分顧問のような形でした。一年生のほとんどは国語科の学生でしたが、一人S君は美術科でした。彼は県内に残り、地元の子ども園の仕事を務めましたが、僕は当時彼から永島慎二という漫画家のことを教わりました。後年、僕が東京への初空襲を題材にした絵本『麦畑になれなかった屋根たち』を作った時、永島さんに絵を描いていただいたわけですが、僕が永島慎二という名前(漫画の世界ではビッグネームです)を覚えていたのは、S君のおかげだったのです。何年か前に僕が秋田で講演をした折に会ってはいるので、学生時代以来という訳ではないのですが、今回はそのS君夫妻と、お昼を食べながら、ゆっくり話ができました。

 実は、S君のお連れ合いは、やはり大学の後輩なのですが、児童文学研究会のメンバーではなく、僕が一年生の時から入っていたセツルメントというサークルのメンバーでした。ですから、僕が関わった二つのサークルのメンバー同士だったわけです。僕がとりもったわけではありませんが(笑)。 それで、学生時代の話になったわけですが、実はその二日前に、僕はポプラ社で毎日小学生新聞のインタビューを受け、それは那須さんについてのインタビューでした。最初の質問項目が「那須さんとの出会いは?」ということで、その秋田大学児童文学研究会で出した同人誌に載せた作品を、『日本児童文学』の同人誌評で那須さんがほめてくれたのがきっかけという話をしたのですが、それは1973年のことで、つまり50年経ったわけです。S君とも「あれから50年経ったんだよね」という話になり、感慨深いものがありました。 そんな次第で、今回の秋田行は、いつも以上にセンチメンタルジャーニー(古いかな)という趣でありました。

2023/02/15

94、図書館の話(2023,2,5)

【新人賞の話】

・昨日は事務局に出て、前回書いた文学賞のリストの修正と、新人賞の対象作品のチェックをしました。協会の新人賞は、その著者の「3冊目程度まで」となっています。「程度」というのは、微妙な表現ですが、かつては最初の本(「処女出版」という変な言い方がありましたが)のみが対象でした。(僕が関わる前ですが、かつては同人誌の掲載作品なども対象でした。安房直子さんなどはそれで新人賞を受賞しています。)それが、1冊目はあまり注目されなかったものの2冊目で力作を出版、といったケースが結構見られるようになり、「2冊目まで」としたのも、大分前のことになります。

 ただ、出版状況が厳しくなる中で、特に高学年向けの本がなかなか出せず、3冊目でようやくその書き手本来の持ち味を発揮できた、といったケースも見られるようになり、これもそんなに最近ではありませんが、3冊目までを対象にすることにしたわけです。ただ、自費出版的な本をどうカウントするかといった問題や、逆に1冊目から(新人賞は逃すも)かなり力作を出している人の3冊目と、本当に1冊目の人を同列に扱っていいかといった問題もあり、「3冊目程度」として、機械的な運用を避けたり、3冊目の人は多少ハードルを上げたりしているわけです。このあたりは、なかなか難しいことですが、協会新人賞の歴代の受賞者を見ると、本当によくぞ有望な書き手を見逃さなかったな、と感心してしまいます。

【さて、図書館ですが】

・これも前回書いたかと思いますが、僕も文学賞委員をしています。去年出た本をそれなりに読んでいるとはいえ、リストを作ると、当然気になる本で読んでいないものが結構あることに気づきます。協会事務局にあるものもありますが、ないものは図書館で借りることになります。

 僕は公共図書館のカードを、6枚持っています。地元の坂戸市の図書館のカードの他に、今は(多分、全国的にそうだと思いますが)近隣の市町村の図書館のカードも作れるわけで、毛呂山町、鶴ヶ島市、川越市の図書館のカードを持っています。更に協会事務局は新宿区にありますから、勤務先という形で新宿区の図書館のカードもあります。これに、埼玉県立図書館のカードを加えて6枚です。3年前までは、講師をしている3つの大学図書館のカードも加え、9j枚を駆使(?)していました。

 j県立図書館は、古い本とかが必要な時に使うので、日常的に使うのは他の5館。一番近いのは(僕の自宅は、坂戸市の西端なので)隣町の毛呂山図書館で、数えたことはありませんが、年間100冊前後は借りるのではないでしょうか。ですから、受付のカウンターの方たちも「また来たな」という感じですが、小説や歴史の本などに加え、絵本や児童書をしばしば借りるわけで、「このオッサンは何者?」と思われているのでは、というのは自意識過剰でしょうか。また、鶴ヶ島や川越は本館までは距離がありますが、どちらも事務局に行く時に乗る東上線の駅前に分館があるので、借りる時も返す時も便利です。5館合わせると、年間で借りる数は相当な量になると思います。

・僕はこういう仕事をしている割には、蔵書は少ない方だと思いますが、持っている本は学生時代の60年代終わり頃からになります。学生時代、大学の図書館にはあまり寄り付きませんでしたし、行ったとしても児童書はほとんどなかったと思います。今思えば秋田市内の県立図書館や市立図書館に行けば当然児童書はあったはずですが、そうした発想というか、習慣がありませんでした。ですから、読みたい本は基本的に買い求めたわけです。ところが、どこでどうやって買ったのかほとんど覚えていません。むろん、市内の本屋でお金を出して買ったわけで(笑)、貧乏学生がよく買えたな、と思ってしまいます。ただ、そのおかげで、60年代終わりから70年代にかけての主要な本は、大体本棚にそろっているという状態です。

 これからも、図書館にはおおいにお世話になるでしょう。いま民間委託が主流になるなど、公共図書館はさまざまな問題を抱えていると思いますが、児童書の出版がなんとか支えられているのも、こうした図書館の存在抜きには語られません。『日本児童文学』についても同様です。皆さんの地元の図書館で『日本児童文学』がないところには、ぜひリクエストしてください。多分、上記のように今は広域での貸し借りが浸透しているので、どこからか取り寄せになってしまうと思いますが、それでも図書館の人にこの雑誌の存在を知らせることになるわけで、ぜひリクエストを続けていただければと思います。

2023/02/05