藤田のぼるの理事長ブログ

2021年6月

37、田畑精一さんの追悼展が(2021,6,25)

【田畑精一展が】

◎田畑精一さんというお名前をご存じでしょうか。絵本作家というよりは、画家という言い方の方がぴったりくる感じもありますが、代表作は古田足日さんとの共作の『おしいれのぼうけん』、それから先天性四肢障害児父母の会の方たちとの共作の『さっちゃんのまほうのて』も良く知られています。

 『おしいれのぼうけん』は、普通なら「古田足日・文 田畑精一・絵」と表記されるところですが、 絵本の表紙には「作/ふるたたるひ たばたせいいち」と書かれてあります。もちろん基本的には古田さんが文章を書き、田畑さんが絵を描かれたわけですが、古田さんも絵にがんがん注文をつけ、田畑さんも文章にどんどん意見を言い、ということで、二人の「共作」という形になったのでしょう。

◎その田畑さんが昨年6月に亡くなられて、折からのコロナ禍でお別れの会もできず、秋くらいに田畑さんのお仕事を振り返る展覧会ができないかという話が持ち上がっていました。中心になっていたのは、 『おしいれのぼうけん』の担当編集者、というより、もう一人の共作者といっていいほどの役割を果たされた童心社会長の酒井京子さんですが、その酒井さんが、田畑さんと関わりのあった編集者や絵本作家、そして宮川健郎さんや西山利佳さん、僕にも、実行委員会に入ってほしいと声をかけてくれました。

 この三人は、田畑さんとの直接のつながりというよりも、古田足日さんを通じてのおつきあいで、特に童心社から「全集 古田足日子どもの本」を刊行する際に、田畑さんと西山・宮川・藤田の4人が編集協力者ということで、随分集まりました。

◎そんなご縁があったので、もちろん実行委員会に加わり、追悼展の準備が始まったわけですが、昨秋はコロナ禍がますます猛威をふるう中で、開催を断念。この6月、一周忌のような形で追悼展が実現しま した。そして、昨日が初日で、午前中にオープニングセレモニーがあり、僕が司会をやらせてもらいましたが、実行委員長のいわむらかずおさん、展示を設営したデザイナーの谷口広樹さん、そしてかけつけてくださった詩人のアーサー・ビナードさんや絵本作家の西巻茅子さんたちから、田畑さんの思い出が次々に語られました。報道関係の方たちも集まられ、昨日の内に朝日のデジタル版で紹介されていましたので、下のURLでご覧ください。

 https://digital.asahi.com/articles/ASP6S636HP6SUTFL005.html

◎会期が来週の火曜日(29日)までと短いのですが、池袋に無理なく行ける方は、ぜひのぞいてみてく ださい。『おしいれのぼうけん』などの絵本原画はもちろんですが、田畑さんはむしろ挿し絵の仕事の方が多く、例えば灰谷健次郎さんの『太陽の子』、後藤竜二さんの『算数病院事件』、それから沖井千代子さんの『もえるイロイロ島』なども、田畑さんの仕事として並んでいました。あと印象的だったのは、 二十年近くにわたって毎月担当された『日本の学童ほいく』誌の表紙画で、さすがに二十年間分全部では ありませんが、ずらっと並んだ原画は圧巻でした。

【木暮正夫展が……!】

◎なんだか余談のようになってしまうのですが、田畑展にいらした元偕成社の編集者の方から、「群馬で木暮正夫展をやってたよね」という話を聞き、「えっ、聞いてないよ!」とびっくりしました。群馬には(歌人の)土屋文明記念の県立文学館があり、そこでかつて木暮さんのプロデュースの少年詩関係の展示があったこともあり、そこかと思いましたが、帰宅して検索してみると、そうではなくて、前橋文学館 (こちらは荻原朔太郎記念で、前橋市立のよう)でした。確かに「木暮正夫展」というのが出てきましたが、なんと2月20日から6月6日までとなっています。「えー、終わっちゃったの!?」と心のなかで悲鳴。前橋は木暮さんの出身地で、そこで木暮正夫展が企画され、開催されたことはうれしいことですが、まったく知りませんでした。文学館の木暮さんのプロフィールにも、協会の理事長や会長を務められたことも書かれており、知らせてほしかったなと、ちょっと恨(?)です。ただ、6月6日までだと惜しさが募りますが、コロナのまん延防止等措置で、5月15日に閉館のため終了したとあり、逆にちょっとあきらめがつきました。次回は、木暮さんの思い出を書こうかな……。

2021/06/25

36、ワクチン、野球、戦争(2021,6,15)

 【まずは、ワクチンの話】

◎なんだか、三題噺みたいなタイトルになりましたが、まずは前回の予告通り、コロナのワクチンの話です。僕は地元の接種が待ちきれず、東京の大規模接種が埼玉・神奈川・千葉県民もOKとなった時点でこちらに申し込み、先週9日に受けてきました。

 印象としては、実にスムースというか、”流れ作業”という感じ。会場が大手町の合同庁舎ということで、東京駅(もしくは地下鉄大手町駅)が最寄りだろうと思っていましたが、調べたら一番近いのは地下鉄東西線の竹橋駅。協会事務局のある神楽坂駅の三つ隣です。この駅は僕にとっては「毎日新聞社のある所」でしたが、案内通りその反対側の4番出口に出たら、もうそこがワクチン会場という感じで、一 度下見に行こうかなとも思っていたのですが、まったくその必要はありませんでした。

◎案内に従って進むと、合同庁舎の庭?に建てられたプレハブの建物が受付になっていて、持参した接種券を見せ、検温すると、黄色いクリアーファイルを渡され、後は「黄色の方はこちら」というスタッフについていき、エレベーターで上がって……という具合で、接種会場に到着。ここで問診(といってもあっという間に終わり)を受け、いよいよワクチン接種。そして15分ほど様子をみる間に、第二回の予約をして、「はい、終わり」でした。

◎僕は10時半という予約時間でしたが、余裕を見て10時前くらいに着いたのですが、まったく待つこともなく、全部終わったのが10時半少し過ぎくらいだったでしょうか。一番印象的だったのは、同じ年代の大量の人たちを見た(?)こと。高齢者枠の中でも75歳以上が先で、それから65歳以上という順番なので、まわりにいるのは、多分ほとんどが65歳から74歳までの人たち。それだけ大量の同年代の人間を見たのは初めてなのではなかったでしょうか。うじゃうじゃという感じ(笑)で、なんだかすごいなと思わされ ました。

◎ただ、ニュースでは、東京も大阪も、大規模接種会場は、最初の内は混んでいたものの、今は予約がガラ空きなんですね。僕はこの日もワクチン接種の後神楽坂の事務所に行って仕事しましたが、一般的にはわざわざ埼玉県から2時間近くもかかって大手町までワクチンを受けに行くというのは、ハードルが高いですよね(電車に乗ること自体、リスクがあるし)。自治体によっては地元でスムースに受けられるところもあるようで、地域の条件もあるでしょうが、やはり担当者の才覚が問われるところですね。

【そして、野球と戦争】

◎ワクチンの副反応は、その日は打った左腕がやや重いかなという程度。次の日がややだるかったかな、 と後になって思いましたが、まあ標準的なところでしょうか。そして、13日の日曜日、今シーズン初めて、千葉の幕張にあるロッテ球場に野球観戦に行きました。前にも書いたと思いますが、自宅から野球場までは3時間近くかかりますが、年に3、4回は見に行きます。ですから、通算にするとかなりの回数になると思いますが、今回初めての経験だったのはビールが飲めなかったこと。もちろんコロナ禍での時別な制約です。これも去年行った時に書いたかもしれませんが、日本人は本当に言うことを聞くな、と思わされるのは、誰も大声を出したりしないこと。ロッテは元々トランペットや太鼓に合わせて歌ったり (もちろん個々の選手によって歌が違うわけですが)、跳んだり跳ねたりという応援が有名ですが(僕はやりませんが)、そんなことをする人はただの一人もいません。代わりに拍手(これもいつのまにか結複雑なリズムが定まっています)での応援です。ホームランが出ても、「歓声」まではいかない、うれしいため息のような音がするだけです。

 オリンピックを(開催すること自体無茶苦茶な話ですが)無観客にするかどうかで、政府や組織委員会は、「他のスポーツイベントの例も見て」などと言い出しています。しかし、プロ野球の観客は、基本常連さんたちですし、遠くからといってもほとんど首都圏からですから、オリンピックとは全然違います。プロ野球が昨年の春のように無観客ではなく客を入れているのは、オリンピックに観客を入れる伏線のような気がして、自分も観戦に行きながら、なんだか利用されているような思いでした。 ちなみに、試合は交流戦最後の巨人戦で、菅野が早々に降板。5対0から5対4に詰め寄られましたが、なんとか勝利しました。

◎さて、「戦争」です。ロッテとジャイアンツの戦争という話ではありません。球場との往復が5時間以上あったわけで、当然その間は本を読みます。いつもだと、帰りはビールで眠たくなったりしますが、 今回はそれもなかったわけです。どの本を持っていこうかなと思い、選んだのは、池上彰の『君と考える戦争のない未来』(理論社)でした。

◎仕事柄、というか、かなりの数の出版社から、見本本が送られてきます。出版契約書を交わしたことのある方は、契約書の中に、出版部数の内、50部とか100部は宣伝用に使うので、印税計算の対象から外す、という項目があるのをご存知でしょう。そうした宣伝用の本は、新聞社や児文協のような団体に送られるわけですが、僕らのように、書評などを書いている個人にも送られてきます。相当な数で、 正直言ってなかなか処理に困ります。ある程度たまったところで(2週間に1回くらいのペースでしょうか)包装から出して、”仕分け”します。つまり、書評に取り上げる可能性がある本とない本に大別するわけです。 書評には取り上げないかもしれないが、協会の文学賞で対象にするかもしれない本もチェックします。 その「残しておく本」を仕事場に積んでおくわけです。(書評に使う可能性のない本のほうは、近所の子どもたちや地元の学校、カミさんの知り合いのお母さんたちに差し上げたりしています。それならほしいという方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。)

 以前は、事務所や大学に行く日が週4から5日あったので、(積んであるほうの本を)行き返りに大分読めたのですが、今は週1、2なので、なかなか減りません。それで、野球の行き返りに、気になってい た池上彰の本を取り出したわけです。

◎結論からいうと、とてもおもしろかったです。一言でいうならば、日本を中心とした現代史の話。これは、自ずから戦争の話になります。池上彰さんについてはいろんな評価がありますが、僕は制約の多いマスコミの中で、うまく(というと語弊があるかもしれませんが)言うべきことを言っていると思います。文学的文章のうまさとは違いますが、やはり文章がうまいですね。平易に書きつつ、ポイントはおさえてあります。戦争がなぜ起こるのか、という一般論と、日本がなぜ無謀な戦争に走ったのかという問題とが、絶妙に重ねられて語られていきます。

 よく、子どもたちに答を押しつけるのではなく、考えてもらうよう問いかける、とはいいますが、これはとても難しいことです。戦争という、ある意味一番語りにくくかつ語らなければならないテーマについて、こうした本が子どもたちに向けて出されることは、心強いと思いました。ちなみに池上さんは僕と同じ1950年生まれ。その仕事量にも頭が下がります。

2021/06/15

35、総会とワクチン(2021,6,5)

【総会が無事に終わりました】

◎なんだか、随分時間が経ったような気がするのですが、今年度の総会は5月29日(娘の誕生日でも ありましたが)、予定通り開かれ、滞りなく終わりました。総会というのは、会にとってもっとも大切な意思決定の場ですから、「無事に」とか「滞りなく」というのが必ずしもいいのかどうか微妙ですが、 まずはホッとしています。

 参加された方はおわかりのように、最初の注意事項や、途中の資料などが画面にタイミングよく提示されたのは、次良丸さん、西山利佳さん、榎本秋さんたちが、いろいろと準備をしてくれたおかげで、やはり去年よりも手慣れた感じで進行しました。実は今回90人以上の方が参加してくださったのですが、僕の知る限り、総会出席者としては最高記録だと思います。リモートの威力でした。

◎僕の役回りとしては、最初の理事長挨拶と、それに続くこの一年間の物故者の読み上げ(黙とうのために)、それから終わりの方で、75周年の本のプレゼントの呼びかけ(サイン本提供のお願い。6月10 日までです!)を、させてもらいました。自分でしゃべっていると、短いつもりでも結構時間がかかっていることもあるので、開会挨拶は一応原稿を書いて、3分に収まるようにしました。最初に書いた原稿は後になってやや大上段すぎる気がして書き直し、今度はあまりに日常的すぎる気がして書き直し、 まあその中間くらいでなんとかまとめました(このあたりが僕の”小物感”を表わしていますが)。

◎物故者は6名でしたが、その中に、僕にとっては”特別”な方が二人いました。一人は元信州支部長の高橋忠治さん。高橋さんは名誉会員で、60周年の時の学習交流会だったか、3人のベテラン会員に話を聞くという設定で、あまんきみこさんの聞き役が宮川健郎さん、西内ミナミさんの聞き役があんびるやすこさん、そして高橋忠治さんの聞き役が僕でしたから、ご記憶の方もいらっしゃるかと思います。 高橋さんは詩人としてももちろんいい仕事をされましたが、僕はその”人物”が大好きでした。

 そしてもうお一人が伊豆の伊東にお住まいだった山本悟さんという方で、この方も古い会員でした。 年代としては古田足日さんとか鳥越信さんのちょっと下ぐらいで、山本さんは静岡大学の学生時代に児童文学に関心を持ち、書き始めたこともあり、1950年代の同人誌、例えば古田さんたち早大少年文学会の「小さい仲間」、いぬいとみこさんたちの「麦」、京都の上野瞭さんたちの「馬車」など、大阪国際児童文学館にしかそろってないような貴重な資料を、たくさんお持ちでした。僕は目下個人誌『ドボルザークの髭』で「物語的現代児童文学史」というのをシコシコと書いているわけですが、山本さんからそうした貴重な資料をかなりお譲りいただきました。

◎山本さんと初めてお会いしたのは、かつて伊東で開催された夏のゼミナールの時ですから、もう40 年近い前になります。山本さんは教員を辞められてからも地元の図書館などで子どもたちのために伊豆の民話をまとめた冊子を作るなどの活動を続けられていて、十数年前かと思いますが、そうした活動が認められて、野間読書推進賞を受けられてもいます。 その少し後だったかと思います。細かいことは忘れましたが、会報で山本さんにエッセイをお願いするという話があったものの、紙面の都合で次号回しになりました。ところが、その次号の時に、僕が忙しさに紛れてうっかり忘れてしまい、山本さんにお願いできなかったということがありました。そしてその後、山本さんから退会届が送られてきました。

 僕は例え退会のご意志自体は変わらないとしても、とにかく失礼をお詫びしなくてはと、上記の夏ゼミ以来だったと思いますが、伊東に向かいました。山本さんは何もおっしゃらず、ちょうどその折に地元の図書館で、山本さんのコレクションを使った展示をしていたのを見せてくださいました。そして、 退会は思いとどまっていただきました。さらにそれから何年かして、先に書いたように、僕が現代児童文学史を書き始めるにあたって、「見せてほしい」とお願いした同人誌などの資料を、見せていただくだけでなく、大きな段ボールに二箱ほど、そっくり譲ってくださったのです。

◎というようなことで、黙とうでお名前を読み上げるとき、高橋さんと山本さんについて、コメントを述べるかどうか迷いましたが、6人の内二人だけ、僕との関りで話をするのは他の4人の方に失礼かなとも思い、やめました。それでも、名前を読み上げながら、胸に迫るものがありました。

 総会自体は、すべて議案もご承認いただきましたので、ことさら報告することはありません。ほぼ予定時間で終わり、その後30分ほどの「文学賞お祝いタイム」も、協会賞受賞者のお一人の山口進さんがご入院中ということでご参加いただけませんでしたが、協会らしい、文学的な?時間になったように思 います。

【ワクチンの予約が】

◎最初に、「(総会から)随分時間が経ったような気がする」と書いたのは、その後、31日の月曜日に、 東京の大規模接種のコロナワクチンの予約というイベントがあったせいかもしれません。僕が住んでいる埼玉県坂戸市も同じ31日から予約開始だったのですが、その前にいくつかの医院に問い合わせてみたところ、「早くても7月半ば以降」とか、予約自体少し後になってからという具合だったので、東京の大規模接種(少し前から埼玉県民もOKになっていたので)に狙いを定めました。31日の11時から ということで、パソコンを2台並べて試みましたが、「サイトが混雑しているのでお待ちください」という表示が一向に切り替わらず、「これは無理かな……」と思い始めた頃、なんとか画面が切り替わっ て、それからは意外にスムースに進み、6月9日に予約が取れました。

 このところ、同年代の人たちとは「ワクチンの予約、取れた?」が挨拶代わりでしたが、まずはホッとしています。次回のブログでは、その報告ができるでしょうか。

2021/06/05