【田畑精一展が】
◎田畑精一さんというお名前をご存じでしょうか。絵本作家というよりは、画家という言い方の方がぴったりくる感じもありますが、代表作は古田足日さんとの共作の『おしいれのぼうけん』、それから先天性四肢障害児父母の会の方たちとの共作の『さっちゃんのまほうのて』も良く知られています。
『おしいれのぼうけん』は、普通なら「古田足日・文 田畑精一・絵」と表記されるところですが、 絵本の表紙には「作/ふるたたるひ たばたせいいち」と書かれてあります。もちろん基本的には古田さんが文章を書き、田畑さんが絵を描かれたわけですが、古田さんも絵にがんがん注文をつけ、田畑さんも文章にどんどん意見を言い、ということで、二人の「共作」という形になったのでしょう。
◎その田畑さんが昨年6月に亡くなられて、折からのコロナ禍でお別れの会もできず、秋くらいに田畑さんのお仕事を振り返る展覧会ができないかという話が持ち上がっていました。中心になっていたのは、 『おしいれのぼうけん』の担当編集者、というより、もう一人の共作者といっていいほどの役割を果たされた童心社会長の酒井京子さんですが、その酒井さんが、田畑さんと関わりのあった編集者や絵本作家、そして宮川健郎さんや西山利佳さん、僕にも、実行委員会に入ってほしいと声をかけてくれました。
この三人は、田畑さんとの直接のつながりというよりも、古田足日さんを通じてのおつきあいで、特に童心社から「全集 古田足日子どもの本」を刊行する際に、田畑さんと西山・宮川・藤田の4人が編集協力者ということで、随分集まりました。
◎そんなご縁があったので、もちろん実行委員会に加わり、追悼展の準備が始まったわけですが、昨秋はコロナ禍がますます猛威をふるう中で、開催を断念。この6月、一周忌のような形で追悼展が実現しま した。そして、昨日が初日で、午前中にオープニングセレモニーがあり、僕が司会をやらせてもらいましたが、実行委員長のいわむらかずおさん、展示を設営したデザイナーの谷口広樹さん、そしてかけつけてくださった詩人のアーサー・ビナードさんや絵本作家の西巻茅子さんたちから、田畑さんの思い出が次々に語られました。報道関係の方たちも集まられ、昨日の内に朝日のデジタル版で紹介されていましたので、下のURLでご覧ください。
https://digital.asahi.com/articles/ASP6S636HP6SUTFL005.html
◎会期が来週の火曜日(29日)までと短いのですが、池袋に無理なく行ける方は、ぜひのぞいてみてく ださい。『おしいれのぼうけん』などの絵本原画はもちろんですが、田畑さんはむしろ挿し絵の仕事の方が多く、例えば灰谷健次郎さんの『太陽の子』、後藤竜二さんの『算数病院事件』、それから沖井千代子さんの『もえるイロイロ島』なども、田畑さんの仕事として並んでいました。あと印象的だったのは、 二十年近くにわたって毎月担当された『日本の学童ほいく』誌の表紙画で、さすがに二十年間分全部では ありませんが、ずらっと並んだ原画は圧巻でした。
【木暮正夫展が……!】
◎なんだか余談のようになってしまうのですが、田畑展にいらした元偕成社の編集者の方から、「群馬で木暮正夫展をやってたよね」という話を聞き、「えっ、聞いてないよ!」とびっくりしました。群馬には(歌人の)土屋文明記念の県立文学館があり、そこでかつて木暮さんのプロデュースの少年詩関係の展示があったこともあり、そこかと思いましたが、帰宅して検索してみると、そうではなくて、前橋文学館 (こちらは荻原朔太郎記念で、前橋市立のよう)でした。確かに「木暮正夫展」というのが出てきましたが、なんと2月20日から6月6日までとなっています。「えー、終わっちゃったの!?」と心のなかで悲鳴。前橋は木暮さんの出身地で、そこで木暮正夫展が企画され、開催されたことはうれしいことですが、まったく知りませんでした。文学館の木暮さんのプロフィールにも、協会の理事長や会長を務められたことも書かれており、知らせてほしかったなと、ちょっと恨(?)です。ただ、6月6日までだと惜しさが募りますが、コロナのまん延防止等措置で、5月15日に閉館のため終了したとあり、逆にちょっとあきらめがつきました。次回は、木暮さんの思い出を書こうかな……。