藤田のぼるの理事長ブログ

2023年2月15日

95、秋田に行ってきました(2023,2,15)

【あきた文学資料館の会議で】

・この土日(11・12日)、秋田に行ってきました。前日の金曜日、こちらも雪だったわけで、電車や新幹線が大丈夫かなとやや心配でしたが、もう金曜日の夜から雨で、土曜日の朝にはあらかた解けていましたね。去年の6月にもちょっと書きましたが、僕はあきた文学資料館の資料収集検討委員なるお役目をいただいていて、毎年6月と2月に、その会議で秋田市に出向きます。コロナでしばらく開催できなかったわけですが(僕以外のメンバーは秋田県内の方たちで、中には僕の大学時代の先生もいらっしゃいます)、昨年の6月に久しぶりに会議が開かれました。ただ、2月は3年ぶりの開催でした。つまり、冬の秋田に3年ぶりに向かったことになります。

 いつもだと、その行きか帰りに生家に一泊してくるのですが、今回は、学生時代の後輩に会う用事があり、彼の都合で会うのが翌日の日曜日の昼になったので、土曜日の夜は一人で市内のホテルに泊まりました。会議が終わってから夕食までそれなりに時間があったので、そういう時、僕は映画を観たりします。以前、那覇市でもそんな感じで映画館に入ったことがありました。沖縄まで来て、映画を観ているというのは、我ながらおかしかったですが。

 ホテルも秋田駅とつながったホテルでしたが、同じビルの中に映画館もあるのです。というか、市内にはあと一つ映画館がありますが、そこは結構離れていて、選択の余地はありません。まあ、どこもそうでしょうが、僕の高校時代や大学時代はもっとたくさん映画館があって、僕は高校生の時、テスト期間の土曜日(大体、中間テストも期末テストも土日をはさみます)の午後はテストが終わると映画を観ることにしていて(頭を切り替えて、月曜日からのテストに備える?ために)、当時流行っていたマカロニウェスタン(イタリア製のアメリカ西部劇)なんか、よく観ました。

 で、4時から5時あたりに始まる映画というのが一つしかなくて、「アバター2 ウェイ・オブ・ウォーター」でした。僕は映画の興行収入記録を塗り替えた前作は観ていなくて、時間の長さ(3時間余り)は気になりましたが、まあはっきり言って暇つぶしなので、観てみようと思いました。

 結果としては、60点というところでしょうか。SFとしてはたいした意外性のある設定やストーリーではなく、良くいえば映像で魅せる映画、ということになるでしょうか。それはまあいいのですが、終わり頃になって気になってきたのは、この映画のイデオロギーというか、全編に漂う思想といった面で、主人公は、外惑星に同化した元海兵隊員なわけですが、現地の女性と結婚して子どもを4人もうけています。幸せな生活を送っていたのですが、地球からみれば〈お尋ね者〉的な彼が、地球人の捜索から逃れるために家族とともに海の部族に逃れ(元は森の部族の中で暮らしていたのですが)、そこが攻撃されるとついに地球人との戦いに挑みます。彼は、「家族を守ることこそ自分の務め」というようなことを信念とするわけですが、どうもそれがアメリカが母国(つまりは家族)を守るために原爆を落としたり、ベトナムで戦争を起こしたりということと、重なってくるように思えてくるのです。一方で、彼の子どもたちは地球人と現地人の“混血”なわけで、差別の問題なども出てくるのですが、そういうことも含めて、「銃を取って家族を守ることこそ、男の務め」というのが、かなり濃厚に漂うストーリーだと感じてしまいました。

【翌日】

 さて、話が大分横道に逸れましたが、翌日、後輩のS君との再会でした。以前、那須さんがらみで書いたと思いますが、僕は大学を一年留年して、二年目の四年生をやっている時に、秋田大学児童文学研究会というのを作りました。一年生が5、6人と僕で、まあ半分顧問のような形でした。一年生のほとんどは国語科の学生でしたが、一人S君は美術科でした。彼は県内に残り、地元の子ども園の仕事を務めましたが、僕は当時彼から永島慎二という漫画家のことを教わりました。後年、僕が東京への初空襲を題材にした絵本『麦畑になれなかった屋根たち』を作った時、永島さんに絵を描いていただいたわけですが、僕が永島慎二という名前(漫画の世界ではビッグネームです)を覚えていたのは、S君のおかげだったのです。何年か前に僕が秋田で講演をした折に会ってはいるので、学生時代以来という訳ではないのですが、今回はそのS君夫妻と、お昼を食べながら、ゆっくり話ができました。

 実は、S君のお連れ合いは、やはり大学の後輩なのですが、児童文学研究会のメンバーではなく、僕が一年生の時から入っていたセツルメントというサークルのメンバーでした。ですから、僕が関わった二つのサークルのメンバー同士だったわけです。僕がとりもったわけではありませんが(笑)。 それで、学生時代の話になったわけですが、実はその二日前に、僕はポプラ社で毎日小学生新聞のインタビューを受け、それは那須さんについてのインタビューでした。最初の質問項目が「那須さんとの出会いは?」ということで、その秋田大学児童文学研究会で出した同人誌に載せた作品を、『日本児童文学』の同人誌評で那須さんがほめてくれたのがきっかけという話をしたのですが、それは1973年のことで、つまり50年経ったわけです。S君とも「あれから50年経ったんだよね」という話になり、感慨深いものがありました。 そんな次第で、今回の秋田行は、いつも以上にセンチメンタルジャーニー(古いかな)という趣でありました。

2023/02/15