【昨日の理事会で】
◎昨日、7月理事会(やはりリモートでしたが)があり、各部(委員会)の部員(委員)を委嘱する方を決めました。今期は、部長・委員長も基本的に留任となったので、必然的に部員・委員も継続の方が多くなったのですが、一方で協会の世代交替という課題もあり、そのバランスを取りつつの人選となりました。もう一つ、5月に実施できなかった学習交流会を秋にやろうという話が出て、その方向で決まりました。当初はリアル開催を目指しつつ、無理そうならリモートで、という話でしたが、昨今の状況も踏まえて、またリモートの方が全国から参加していただけるというメリットもあり、最初からリモート開催でいこう、という話になりました。中身については、もう少し定まってからお伝えします。10月後半の土曜日の予定です。
◎リモート会議も少し慣れた感もありますが、その度に「今回は、ちゃんと画像が映るかな」と心配になるのは、こういうことに慣れていない世代故でしょうか。実際、昨日の理事会でも、なぜか(声は聞こえるけれど)顔が出てこないという人が若干名いました。それはまあいいとしても、リモートだと基本的に発言している人しか映らないので(5、6人であれば全員が画面に出るように設定しますが、20人以上だとその設定は無理があり)、結局一度も画面に出てこないという人が多いことになり、「みんなで討議した」という雰囲気になかなかなりません。リアル会議であれば、発言しなくても、表情やボディーアクションで、参加者の反応が分かるわけで、改めて「集まって話し合う」ことの意義を感じています。8月は例年理事会が休みで、次の9月理事会は(広い会場を取るなどの措置をして)できればリアル理事会にしたいなと願っています。
【話題はガラッと変わりますが……】
◎今回は、「テレビをめぐって」という、よくわからないタイトルですが、とりあえずは、児文協とも児童文学ともまったく関係のない個人的な話題です。(「理事長ブログ」ですが、まあそういうことも含みますので、ご了解ください。)というのは、半月ほど前になるでしょうか、NHKの「ファミリーヒストリー」という番組がとても印象的だったからです。たまたまつけていたテレビで後半を見て、再放送で前半を見ました。ご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、その回は柳葉敏郎さんがゲストでした。実は柳葉さんは僕と同郷(秋田県大仙市)で、彼は今も家族で秋田に住んでおり、僕の田舎にいる甥や姪と同世代なので、「この前、参観日に来たらしいよ」とか、たまに話題に出たりしていました。そして、彼が学校の先生の家系であることも聞いていました。それは僕の家も同様なので、二重に親近感を持っていたわけです。そんな次第で、たまたま見たテレビで喰いついたわけでした。
◎今回初めて知ったのは、先生はお母さんの方で、お父さんの方は映画の看板を描く仕事(内田前理事長の若い頃のお仕事ですね)だったということ。これはちょっと驚きました。というのは、田舎では大体夫婦で先生というパターンが大半だからです。今はともかく、かつては田舎で大学を出てつける仕事というのはきわめて限定されているので、いわゆる“つり合い”ということを考えて、先生同士、あるいは先生と公務員とか、そういうパターンが圧倒的に多かったのです(僕の兄や姉たちもそうでした)。そんなわけで、僕は柳葉さんの家も、ご両親が先生だったのだろう、と思いこんでいました。ですから、お父さんがそういう仕事だったというのは意外だったわけですが、結婚生活としてはやはり難しかっただろうと思います。実際、柳葉さんが6歳の時にご両親は別居、そして彼が8歳の時にお父さんは亡くなったということです。
◎ただ、そこまでであれば、このブログに書こうとまでは思わなかったかも知れません。むしろ、ドラマはそこからでした。これは柳葉さんもまったく知らなかったらしいのですが、そのお父さんが実は二度目の結婚で、一度目の結婚で娘がいた、つまり、柳葉さん(上記のような事情で、一人っ子です)には実はお姉さんがいた、ということが、今回のNHKの取材で、初めて分かったということなのでした。そのお姉さんの側も、もちろん自分に弟がおり、それが柳葉敏郎だということは、驚天動地のことだったわけですが、戦前とか戦時中ならともかく、この時代にそんなことがあるのだなあと、びっくりでした。これで思い出したのが、2005年の協会賞受賞作『4つの初めての物語』(さとうまきこ・作)の中の「初めてのお兄さん」です。主人公の6年生の真理奈は、お姉ちゃんとの二人姉妹ですが、ある時、「実は、お兄さんがいる」と聞かされます。この場合も、お父さんが実は一度結婚していて、その時に息子ができていた、という設定です。お母さんはそのことを知っていましたが、娘たちには知らされていなかったわけです。ところが、その「お兄さん」が、就職を機に訪ねてくる、というのです。これを聞いた真理奈とお姉さんが動揺しつつも、“お兄さん”をどう受け入れていくか、というストーリーです。この話も含めて4つの話からなるオムニバス形式のこの作品は名作だと思います。未読の方にはお勧めします。
【児文協とテレビ?】
◎後で思い出したのは、(さすがに「ファミリーヒストリー」に取り上げられた児文協会員はいないと思いますが)かつてNHKで、「わたしが子どもだったころ」だったか、タイトルは正確ではありませんが、その人の子ども時代をドラマ仕立てにして見せてくれる、という番組がありました。もしかして、「ファミリーヒストリー」と同じプロデューサーかな? その番組に出演されたのが会員の上條さなえさんで、それは彼女の『10歳の放浪記』を素材にしています。上條さんは家庭の事情で10歳の頃、お父さんと二人で池袋あたりの簡易宿舎などを転々とする生活を送った、その頃のことを題材にした作品ですが、お父さん役はあの? 嶋田久作だったと思います。今ウィキペディアで検索したら、2007年4月の放送、その前回は谷川俊太郎、前々回は野村克也でした。
◎「テレビと児文協」といえば、これは創立70周年の協会の(文学賞贈呈式の後の)パーティーで、僕が“余興”として「児文協クイズ」というのを5問ほど出したのですが、その内の一つが、「藤田圭雄元会長が出演したテレビ番組は何でしょう?」という問題で、答は三択で「1、のど自慢」「2、ニュース解説」「3、徹子の部屋」というものでした。
正解は3の「徹子の部屋」で、結構皆さん、あたりませんでした。藤田圭雄(ふじた・たまお)さんというのは、歴代会長の中でも突出して長い九期18年会長を務められた方で、僕の事務局生活のほぼ半分を占めています。たまたま同姓なので、親子か親戚? と思われていた方も少なからずいましたが、「他人」です。中央公論社の編集部長を務めるなど出版界で重きをなした方で、童謡研究が専門、絵本『あおくんときいろちゃん』の翻訳などもされています。その藤田圭雄さんが「徹子の部屋」に出演されて、藤田さんが親しかった飯沢匡さん(黒柳さんが若い頃出演していた「ブーフーウー」の作者)のことなどが話題になっていました。藤田さんは今協会事務局のある神楽坂に近い所のお生まれで、その「江戸っぽい言葉」を黒柳さんがほめていらしたことも記憶に残っています。
◎さて、今回は大分長くなってしまいましたが、最後にクイズです。「今、児文協会員で、一番テレビに出ている人は誰でしょう?」……………、正解は、岡田晴恵さん。今や「コロナの女王」の異名をとる岡田さんですが、「病気の魔女と薬の魔女」シリーズを出された時に、子ども向けの本を出したので、ということで、確か岡田さんの方からご連絡をいただいて、入会していただいたように覚えています。朝の5チャンネルを見る度に、ひそかに声援を送っています。(このブログの日付、記事の最後には表示されますが、わかりにくいので、今回からタイトルに日付を入れ、また番号をつけました。)