みなさん、こんにちは。「子どもと平和の委員会」委員長の西山利佳です。
10月15日付けで、私たち日本児童文学者協会では、理事会声明「日本学術会議の任命拒否問題について、わたしたちはこう考えます」を出しました。 → https://jibunkyo.or.jp/old/index.php/about/declaration ご覧いただけましたか? 自分の会のHPにアップされるのと、「日刊ゲンダイ」(10月16日)に当声明に言及した記事が載るのとほぼ同時だったようです。なんか、びっくり。
私は本件が最初に報道されたとき思ったのは、「総理大臣って、天皇が任命することになっているけれど、任命拒否ってできるの? もし、そんなことがあったら、大問題じゃない?」ということでした。いろいろ見ていたら、宇都宮健児弁護士も以下のようにコメントされていました。
<「日本学術会議法17条2項は日本学術会議の会員は同会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命すると定めているが、同会議の独立性を考えれば内閣総理大臣には任命権はあるが任命拒否権はないと解釈すべきである」との考えを示した。宇都宮氏は同様の例として「憲法6条1項により天皇に内閣総理大臣の任命権はあるが任命拒否権はないのと同じ考えである」と指摘した。>https://www.daily.co.jp/gossip/2020/10/04/0013755364.shtml より
さて、以下、本件に関してこのところ考えたことをつらつら書きたいと思います。
(いま、うっかり「書かせていただきます」と書きかけて、おっといけねぇ!と書き直しました。「〇〇させていただきます」の蔓延に抵抗する会の会員として。注・そんな会あるんかい?)
スエーデンの児童文学「ステフィとネッリ」シリーズ(全4巻、アニカ・トール作、菱木晃子訳、新宿書房、2006~2009年)をこのところ毎年学生と読み合っています。今年も再読をはじめて、何度読んでもすごい作品だわーと思っているところです。これは、ナチスドイツの占領下におかれたウィーンからスウェーデンに逃れたユダヤ人の姉妹の物語です。救援委員会から養父母に支払われるお金、自宅の空いた部屋に住まわせ進学を支えてくれているお金持ち……。
ステフィは、しばしば不当な扱いを受けます。お金を出してもらっている、家に置いてもらっているから感謝しなくてはならないのだろうけれど……と納得できない思いを抱える場面を読んで、ああ、これ、日本学術会議の任命拒否をずらして、税金10億がどうのこうのという話にされている、これだ、これ! とつながりました。
「だれに食べさせてもらってるんだ?!」
親から子へ
夫から「専業主婦」の妻へ
あるいは生活保護受給者へ、福祉支援を受ける障がい者へ……
なかなか無くならないパワハラ発言の数々。
2019年度の協会賞受賞作『むこう岸』(安田夏菜・講談社)が、生活保護受給に対するパワハラマウンティングをきもちよく切り返していたことも思い出されます。
どうしてお金を出す方がえらいと思うかな?
<菅首相は会見の中で、学術会議の会員は特別職の国家公務員としての性格を持ち、税金から出費しているのだから、その構成にも責任を持つべきといった趣旨の発言をしています。まさに「金を出すのだから、口を出すのも当然」という論理です。>
今回の、児文協理事会声明の一節です。
公共施設で「九条」をタイトルにしたイベントが開きにくいとか、この理屈の延長線上にありますよね。愛知トリエンナーレ問題もまさに同じ。
「私は苦心して、慰安所をつくってやった」と自慢していた中曽根康弘という政治家(あ、もちろん、その他いろんなことをなさっています。)の内閣と自民党の合同葬儀に弔意を求める文書を国立大学に出すとか、くらくらするような、暴挙もこの延長戦もとい延長線上にあるのではないでしょうか。「国立」なんだから、国の言うことは聞け、と。
国ってなんでしょね。
それに、先にパワハラ親父やパワハラ夫、と今回の件を相似形の構造として並べましたが、そもそも、国の運営資金は私たちが出し合っている「税金」です。
<政府・与党は、学術会議には税金が投入されているとか、既得権益だとかいうような議論を展開し、今回の判断を正当化しようとしていますが、税金は国民全体のものであり、時の政権の「私物」ではありませんし、組織のもつ問題点と委員任命の手続きが正当か否かはまったく別の問題であることもいうまでもありません。いずれも悪質な議論のすり替えというべきものです。>
「フォーラム・子どもたちの未来のために」の「声明」の一節です。 https://www.f-kodomotachinomirai.com/appeal
限られたお金を、どういう風に使うか、様々な立場、価値観の人間が集まっている社会をよりよく運営するために、より公正にやりくりするのが政府の役目ではないのでしょうか。大事なお金を、やれマスク配るのに460億、中曽根の葬儀に約1億円、オスプレイにいくら投入した? あたしゃ、なさけないよ、ちびまる子ばりにため息をつきたくなります。
芸術・文化、学問研究、それぞれ好きなことをやってるんだから、自分の金でやれよって、「自助」バンザイの人は言うのかもしれませんが、自由に展開される芸術活動・研究活動に、出資する度量の国になればいいのに。しなくちゃな、と思います。
ああ、それから、日本学術会議の会員が総理大臣の任命になったときからこの事態は始まっていたのだろう、というのも、この間の感想です。1983年、中曽根政権下で政府高官が「実質的に首相の任命で会員の任命を左右するということは考えていない」と国会で答弁したのだそうですが、「国旗・国歌法」(国旗及び国歌に関する法律)が1999年に成立したとき、志位和夫議員の質問に対し、内閣総理大臣小渕恵三が、1999年6月29日の衆議院本会議で以下のように答弁したのだそうです。(「ウィキペディア」ありがとう!)
<国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております>
でも、その後どうなりました?
君が代伴奏を拒否した音楽の先生を処分し、歌っているかどうかを教育委員会の人間がチェックするとか!
法律は力を持つのですよ。安倍政権以来、法律が軽視されていますけれど、私たちは法に律されます。
そう思うと、「特定秘密保護法」(特定秘密の保護に関する法律・2013年)とか、「共謀罪法」(改正組織的犯罪処罰法・2017年)とか、あらためてじわじわ怖い。
うーん、土曜日の「学習交流会」がとても楽しく充実していて、豊かな気分になったところで、書くほどに憂鬱になってしまいましたけれど、ひとりで悶々とするよりみんなで怒った方が精神衛生上よいですね。
「金を出していただくのだから、言うことを聞くのは当然」という価値観なんて、はぁ?という子どもや若者がのびのびと活躍する児童文学をたくさん読みたいと思う、西山でございます。最後まで読んでくださって、ありがとうございました!(2020/10/18記)