子どもと平和の委員会

平和について語るときに私の語ること(その3) 小手鞠るい

去年の10月に書いた話の続きです。

 

『平和の女神さまへ-----平和ってなんですか?』(講談社・小学校高学年向け)が2月22日に無事、刊行の運びとなりました。どういう内容の作品なのか、これについては(その1)にわりと詳しく書きましたので、ここでは省きます。

 

この作品のジャケットのラフ画(下絵)を見て、私は、登場人物が「みんなそろって、元気で素直で明るくて健康そうな、いい子」でいいのだろうかと疑問を感じた、という話は前回に書いた通りです。そして、私からさまざまな提案をし、編集者と話し合いを重ね、イラストレーターのサトウユカさんに細かいリクエストを何度か出して……試行錯誤をくり返しながら、最終的にできあがったイラストを見て、私の心配は杞憂に終わったと実感しています。単純な言い方をあえてしますと、素晴らしいジャケットになった、と思っています。これなら、自信を持って、日本の読者に届けることができる、と。

 

素晴らしいと思える点をいくつか。

 

まず、9人全員が違った方向を見つめているところがいい。願っていることは「世界の平和」なのだから、同じ方向を見つめていてもいいわけですが、そうはなっていない。ひと口に「平和を願う」と言っても、その「平和」は決して同じではないと、私は思っています。たとえば、戦争で勝った国の人と、負けた国の人では「平和」の解釈も異なるはずです。たとえば、攻め込んだ国と、攻め込まれた国、あるいは、被爆した人の原爆観と、そうではない人のそれとが異なるのと同じでしょうか。

 

9人の髪の色や肌の色が微妙に異なっているところもいい。日本人とヴェトナム人とアラブ人の髪は黒、アメリカ人とヨーロッパ人は金髪。このようなステレオタイプから、明らかに脱却できていること。同様に、人物のファッションにもバラエティがあり、なおかつ、それが人種のステレオタイプに陥っていないこと。

 

結果的には、9人の人種や生まれ育った国がなんとはなしにわかるようで、はっきりとはわからなくて、現代の子か、過去の子かも曖昧になっていて「そこがいい」と、私は思いました。めがねの子、ちょっとぽっちゃりした子も、もちろん入っています。ラフではそれが「みんな同じ」に見えていたけれど、それはあくまでもラフだったからなのです。

 

また、9人の表情が3人(笑顔ではないが、厳しいわけでもない)を除いて「きらきら笑顔」というのもいい。なぜなら、9人がみんな泣きそうな顔をしていたら、誰もこの本に手を伸ばさなくなるだろうから。「児童書で戦争の話を書いた」と私が言うと、知人・友人の大半は「重い、暗い、悲惨なお話は読みたくないし、子どもにも読ませたくない」と言います。もちろん、戦争の話は、決して軽くもなければ、底抜けに明るくもないはずだし、そもそも、悲惨なできごとの起こらない戦争なんて、ないわけです。それでも、戦争についての物語を書いて、子どもたちに読んでもらうためには、ジャケットを見ただけで、親にも子にも尻込みをさせてしまうような暗い絵ではなくて「こんなにもきらきらした笑顔の子どもたちが戦争について語っているのなら、ひとつ、話を聞いてみようか」と、思わせなくてはならない。これは教科書ではなくて、商品なのだから。

 

そして、あともうひとつ。9人の子どもたちが虹の上に立っていたり、座っていたりする、この「虹」がいい。そう、LGBTの象徴として知られているレインボウ・フラッグがさりげなく出ているところが素晴らしい(この「虹」は、私からのリクエストではありません)。

 

サトウユカさん、お疲れ様でした! と言いたくなりました。うるさい私からのリクエストにしっかりと、でもご自身の絵のスタイルと美学を壊すことなく、本文中の挿絵も含めて、丁寧に、真摯に描いてくださいました。

 

そうそう、こんなエピソードもありました。ジャケット裏の絵。そこには「自由の女神」を見学しているアメリカ人の家族の絵が描かれています。両親とふたりの娘。父親はイラク戦争に派遣されることになった軍人です。

 

この軍人は、アフリカ系なのか、非アフリカ系なのか、物語の中では、私は特定していません。上がってきた絵は非アフリカ系、つまり、白人系でしたが、それはそれで問題ないと思いました(アメリカ国内で出す児童書においては、アフリカ系がひとりも入っていないと、もうそれだけで大問題ですが、これは一応、日本国内で出る、日本語で書かれた本ですので)。

 

ただ、できあがってきた絵の「軍人である、アメリカ人の父親」がなんとはなしに、いかにも日本人男性っぽく、しかも、会社員風(しかも、堅い会社?)に見えてしまったのです。私の目には、ということです。

 

それで急きょ、すでにできあがっていた絵なのに、ふたたび手直しをしていただきました。そのとき私は「これがアメリカン・ダディだ」と思えるような写真を探し出して、編集者に送ったのですが、その写真というのが……がっしりとした体格、カウボーイハットをかぶり、ジーンズ姿の、髭もじゃの男の写真だったのです!

 

何が言いたいのかと言いますと、私自身の内面には、そのような偏見というか、ステレオタイプ像が存在しているのだ、ということ。つまり、アメリカン・ダディとは、家族を守る強い男、知的で優しい男性ではなくて、むしろ、肉体労働や大工仕事などを得意とする、たくましい、荒々しい男。「俺に付いてこい!」タイプ。そういう偏見です。軍人は、ひ弱な男であってはならない、というステレオタイプかもしれません(もちろん、軍人には、そういう「たくましい女性」がいるべき、とも思っています。これもやっぱり偏見かな?)。

 

サトウさんは、このような私からの理不尽なリクエストに、非常にうまく応えてくださっています。みなさま、ぜひ、実物をご覧ください。ジャケット表・裏・本文の挿絵、すべてをお見逃しなく!(今回は、かなり気合いを入れて、自著の宣伝をしました。ご容赦を)。

2021/02/11