戦争と環境破壊をテーマにして書いた『ぼくたちの緑の星』(童心社)が「第37回うつのみやこども賞」を受賞しました。この賞の大きな特徴は、選考委員を子どもたちが務めていることです。毎月、読んだ本の中から「友だちにすすめたい作品」を選び出し、最終的には、1年分の各自の推薦図書の中から1冊だけを選んで、賞を与えてくれるようになっています。今年は、14人の子どもたちが選考に当たってくれたそうです。
思うに、子どもたちはきっと、作家の名前、出版社の名前、帯の宣伝文などにはまったく左右されないで本を選んで、読んでいるのではないでしょうか。1ページだけ読んで、おもしろくなければパタンと本を閉じてしまうかもしれませんし、たとえあと10ページになっていたとしても、つまらないと思えば、あっさりと読むのをやめてしまうかもしれません。曇りのない目、色眼鏡をかけていない視点を持っている子どもたちがこの作品を最優秀賞に選定してくれたことがただただ嬉しくて、ああ、書いてよかった、と、喜びに浸っています。
思い返せばこの作品、出版までは苦難の道のりでした。最初の壁は、編集者から「男の子の物語を書いて欲しい」とリクエストされたこと。彼はどうしても「男の子の物語が読みたい」と言うのです。これまで私は、多くの児童書の主人公を女の子にして、書いてきました。それはやはり、書きやすいからです。自分はかつて女の子であったし、実は今もそうだから(私は親ではないので、いつまでも子ですし)。私は「女の子の視点」を永遠に持ち続けたいと思っています。女性の視点でもなく、女の視点でもなく、大人の視点でもなく、女の子の視点。言ってしまえば永遠に「女の子」でありたいのです。そんなことは不可能だと笑われようとも。
そんな私が男の子の視点で物語を進めていくのは、至難の技でした。できあがった作品は、果たして男の子の物語になっているのだろうか。今も疑問に思っています。もしかしたら、男の子の姿を借りた、女の子の物語なのかもしれないと思ったりもしています。
アメリカでは現にそうなりつつあるのですが、私は、これからは女が戦争へ行く(もしも、戦争が起こったら)時代になっていくのではないかと思っています。男は戦争を起こす、女は平和を願う、と、長年、信じられてきた性の神話は壊れつつあるのではないか、と。女には母性がある、母性とは平和を願う性である、なんて言説、こんなにも実母による幼児虐待がはびこっている昨今、手放しで信じることは到底できません。
だから、いつか、同じテーマで書くことになったら、私は女の子を主人公にして、戦争の物語を書いてみたいと思っています。兵士として、戦争へ行く女の子のお話を。女の子は戦場でどう戦い、戦争をどう生きるのか。だって「1本の竹槍で10人のアメリカ人を殺せ!」と国から命令され、実際にそういう訓練を受けていた、私の母のような女の子は、今からわずか70年あまり前には日本に存在していたのですから。
もうひとつの難しかった点は、この作品がSFであった、ということ。SF小説は読むのも書くのも苦手なのに、それでも書こうとして、苦労に苦労を重ねました。それというのも、本作の場合「最後の1行だけ」が最初から決まっていたのです。この最後の1行にたどり着くためには、SFにするしかなかった。ああ、難しかった! SFはもう二度と書きたくないし、書かないでしょう(苦笑)。
大いなる産みの苦しみを味わい尽くしたこの作品。子どもたちからのエールをいただき、すべての苦労が報われたような気持ちでいます。平和とは、願うものでも祈るものでもなく、アクションを起こして築いていくもの。そうして、築いた平和を守っていくことが大切。平和が崩れたら、地球環境も破壊される。戦争で死ぬのは人間だけではなくて、生き物も自然も死ぬ。これが、子どもである私がみんな(←ここには大人も含まれています)に伝えたかった「平和」です。子どもたちに受け止めてもらえて、本当に嬉しい。 (2021年4月8日)