ロシアのウクライナ侵攻に関する報道を遮断して、思っていること (小手鞠るい)
委員会の西山さんから、アメリカの仕事部屋に届いた「声を上げることが大切」という声。これは本当に大切な声だと思う。人には、声を上げなくてはならない時がある。しかし今の私には上げる声がない。これが正直な私の声である。
それというのも、コロナ報道、ロシアのウクライナ侵攻に関する報道をはじめとする、いっさいのマスコミ報道を、私は現在、遮断しているからである。要するに、ニュースの断捨離。実はこういうことを、私は日頃からよくやっている。
理由はただひとつ。うるさいからだ。聞くに耐えない、見るに耐えない、煩わしい。コロナ、コロナ、感染拡大、感染拡大、と、拡声器でのべつまくなしに騒音を垂れ流されたあと、今度は、ロシアとウクライナである。もういい加減にしてくれ、と言いたくなる。もちろんそれは、ロシア対してもそう言いたいわけだけれど。
レイ・ブラッドベリだったと記憶しているが(正確ではありません)、彼は「僕は3年前の新聞を読む。それくらいがちょうどいい」と、小説かエッセイに書いていた。言い得て妙である。これから3年後に、コロナ報道、戦争報道を読んでみればいい。報道がいかに杜撰で、いかに不正確で、いかに偏っていて、いかにヒステリックであったかがよくわかるのではないだろうか。
ゆっくりと、静かに、物を考えたい。時には、報道や情報のBGMをシャットアウトして。だれもがそう思っているのではないだろうか。それをできなくしているのはインターネットであり、SNSなのだろう。
戦争は現在、ロシアとウクライナだけで起こっているわけではない。民族紛争、中国のウィグル族への弾圧など、マスコミが大きく取り上げない戦争もたくさんある。また、こうした戦争のおかげで儲かっている人や、武器を作ることで生計を立て、家族を養っている人たちもいる。戦争をなくすためには、軍隊や武器産業をなくさなくてはならない。それはほとんど不可能なことなのだ。私たちはまず、そのことを認識しなければならないだろう。原発と同じかもしれない。原発に反対している人たちもまた、日々、原発によって作られた電気を使って生活をしている。
日本では、8月になったら、判で押したようにみんなが戦争について語り始め、書店には戦争をテーマにした本が並ぶ。これはおかしい。戦争は一年中、語られなくてはならない。戦争は世界中で起こっている。太古の昔から、戦争を止(と)められない、戦争を止(や)められない人類って、どういう生き物なんだろう。というようなことを、私は静かに考えたい。そして、子どもたちに語っていきたい。日本は平和ではないのだ、と。地球は平和ではないのだ、と。そのことを、決して悲観的ではない形で語っていくために、私は戦争報道を遮断している。(2022年4月24日)