子どもと平和の委員会

「ウクライナ情勢」が連日報道される日々に思うこと(西山利佳)

「なんなん?これ、いつの時代だよ、と思っている間に事態が進行しています。」と書いてから一月半が経ち、伝わってくるだけでもひどい状況です。「戦況」や「戦術」が地図と共に解説される様子に、何と言えば良いのでしょう、「他人事」というか、人間の存在を感じない「解説」に違和感(嫌悪感)を覚えたり……。

 

 この間、感じていること、考えたことを書いておきます。

 

 まず、2月末にウクライナで発令された「国民総動員令」。18歳から60歳の男性のウクライナからの出国を禁止するというこれに、ああ、戦前の日本だけでなく、戦争が始まるとこういうことが進むのだ、と恐怖を感じました。市民の軍事訓練含め、伝わってくるロシア軍の暴挙に対して抵抗するのは当然と理解しますが、「戦うより逃げたい」と考えることが許されないのだろうと思うと、「非国民」に相当する言葉もあるのだろうかと考えてしまいます。

 

 ロシア国内での言論弾圧の様子を知るにつけ、降伏してロシアの支配を受け入れた後に続くと予想される長期的な人権侵害による直接間接の「殺戮」を思えば、力を力ではねのけようとするのは当然なのでしょうけれど、兵器提供等の軍事支援にどうしても複雑な思いを抱きます。(そして、いま読み返したいと思っているのは、ドラ・ド・ヨングの『あらしの前』『あらしのあと』です。ナチスドイツの侵攻から1週間で降伏を選んだオランダの「嵐=戦争」の前と後の物語です。)

 

 日本がアジア・太平洋戦争時にどうであったかを、こういう風に教えてもらわなくても良かったのに、「ああ、こうなるのか」「ああ、こういうことか」と理解がリアルに更新されています。

 自作自演の「偽旗作戦」と聞くと、ああ、関東軍が自分で満鉄の線路を爆破しておいて、中国軍の仕業だとして満州での軍事展開の口実としたあれかと思い、

 ロシア語の案内版が不快だと言われて外したり、戻したりのドタバタを聞けば、英語を「敵性語」として排除したナンセンスな戦中日本は今もひょいと復活するのだなと思い、

 化学兵器の使用については、日本軍が毒ガス兵器を作り中国で使用したことを思い出し……。(今関信子さんの『大久野島からのバトン』、未読の方はぜひ!)

 

 日本軍のことだけではありません。核兵器開発疑惑で攻撃とかって、米軍によるイラク攻撃ではありませんか。

 

 そして、繰り返し思うのは「国」って何? ロシア国内で、ものすごく困難な状況の中反戦を訴える人々、声を上げられなくても戦争反対と考えている人にも降りかかる、国に対する制裁。(これまで世界のあちこちで「圧政」から解放するという名目で行われる「空爆」に、いつもなんと皮肉な残酷な仕打ちかと思っていました。)経済制裁に反対というわけではありませんが、こういう複雑な思いをぬぐい去れないのです。

 

 長期的に目指すべきところを見失わず、正気を保ちたいと思います。そこから逆算して、子どもの本の守るべき核をきちんとつかんでおきたい。人間が、所属や属性と関係無しに、ひとりひとりとして尊ばれ、幸せに生きていける世界を目指したい。そのために、ひとりひとりの人間の側に立つ「文学」の力を私は信じたいと思います。

(2022年4月17日)

2022/04/18