子どもと平和の委員会

ごあいさつと、いくつかの情報を   (指田 和)

寒中お見舞い申し上げます   

あっという間に1月も十数日が過ぎました。

コロナで明けた2021年、一都三県に出た緊急事態宣言。その後も続きそうな各地の同宣言。気が抜けない日々ですが... いや、でもその間にも世の中ではいろんなことが起きているし、進んでいることを忘れてはいけない、と自戒を込めて。気がついた時に、大事だと思うことはとにかくメモしておかなければ。いくつかですが、みなさんと情報共有できたら幸いです。

●1月22日核兵器禁止条約発行 関連info 「すすめ! 核兵器禁止条約プロジェクト」  https://www.susumeproject.com/?lang=ja 2021年1月22日に迫った核兵器禁止条約発効をさらに盛り上げるべく長崎・広島・東京に住む若者が共同ですすめ!核兵器禁止条約プロジェクト。

▶︎通信社に勤める友人から教えてもらいました。HPを開くと、核禁条約発行までのカウントダウン時計が1秒1秒、時を刻んでいます。条約の内容やポイントもわかりやすく表現され、デザインも素敵です。若者たちのフレッシュな言葉、アプローチに刺激されます。 ヒロシマ・ナガサキ、そして第五福竜丸の被曝。これらの経験を持つ日本の政府が、なぜ核禁条約に参加しないのか。私はヒロシマの絵本を何冊も書いているのに、このことを子どもたちにちゃんと説明できないのが、自分に対してもくやしくもどかしい。

ヒロシマ連続講座・通信「ヒロシマ へ ヒロシマ から」

元教員の竹内良男さん(東京都立川市在住)が、退職後の2016年から開催している学習会。戦争や原爆の被害について理解を深める講座をこれまでに100回以上開催し、通信はNo.580 を超える。慰霊碑や戦争に関する遺跡をめぐるフィールドワークも行なっている。昨年12月、第26回平和・共同ジャーナリスト基金の奨励賞を受賞。

▶︎ヒロシマ で被爆、戦後埼玉に移り、のちに埼玉県原爆被害者の会で長く活動されてきた堀田シズエさん(現在100歳)を取材する中で、竹内さんと出会いました。(竹内さんが二年以上堀田さんの聞き取りをしてまとめた『済南・広島・鴻巣... ーわたしの歩んだ道ー』は貴重な一冊) 8.6のヒロシマ では、平和公園で、シンポジウム会場で、ジーンズにリュック姿の竹内さんといつもばったり。竹内さん、実際には何百回もヒロシマ へ出かけているはず......。戦争や人権に関わる様々なテーマを取り上げ、深く追求した情報を提供し続けている「ヒロシマ連続講座」、ぜひご覧いただきたいです。

ヒロシマ連続講座: qq2g2vdd★vanilla.ocn.ne.jp (★を@に変えて送信すると、竹内さんから通信を送っていただけます)

●第五福竜丸展示館の催しなど(開館情報等、詳しくは第五福竜丸展示館のHPをご参照)

「子どもたちが見たビキニ事件」(展示)2020.9.19〜3.14

1945年に被曝、入院した乗組員たちの元へ届いた、全国の子どもたちからのお見舞いや励ましの手紙は約3000通にも(展示館が保管)。そのたくさんの手紙から50通を展示(コロナ感染防止柵のために、パネルにして展示)。

「3.1ビキニ記念のつどい   〈ふね遺産〉認定記念 オンライン・シンポジウム」 2021.2.21

第五福竜丸の持つ木造船としての価値が認められ、2020年7月、日本船舶海洋工学会の定める「ふね遺産」に認定(終戦直後の建造〈洋型肋骨構造〉で現存する木造船の貴重さが評価された)。産業遺産として、また平和遺産として、福竜丸の価値や保存の意義を改めて広く知ってもらう機会に。

▶︎2005年の冬、太平洋戦争末期に広島で被爆した古いピアノに初めて出会いました。「このピアノのことを絵本にして伝えたい」と心の中で決めた時、私がまず出かけたのは第五福竜丸展示館でした。なぜ...? それは、「原爆や核のことを、ヒロシマだけを見て書いてはダメだ」と直感的に思ったから(被爆ピアノコンサートの手伝い。同行で長崎へも)。それ以来の関わりとは言え、夢の島へ出かけられるのは2年に1、2度ほどなのですが。

昨年、この第五福竜丸展示館・主任学芸員の安田和也さん(第五福竜丸平和協会事務局長でもある)の講演を改めて聴き、これはもっと多くの人・子どもたちに絶対聴いてもらいたいと強く思いました(前述「ヒロシマ連続講座」で参加。安田さんが貴重な写真資料をたくさん紹介しながら、ビキニ事件の経緯や被曝状況、世界・日本の動きなどを詳しく解説してくださった)。いつかぜひ、児童文学者協会の何らかの催しか、この子どもと平和の委員会などで企画できたら.....(いかがでしょう?)。

▶︎余談 『日本児童文学』2021年1・2月号にノンフィクション「いのちと食べものと水俣」を書きました。コロナ禍での移動・取材は悩みましたが、意を決して電車・新幹線を乗り継ぎ、熊本の水俣まで約8時間。原稿には書けないドタバタ劇がいくつもあって緊迫ヘトヘトの約1週間でしたが、いのち・食・健康、人の尊厳、自然の循環など深く考えさせられ、ハッとすることの多い日々でした。今、水俣病の歴史を学ぶことは、コロナ禍との共通点も含め、大きな意味があると感じています。自分の中では、これからも水俣に行く覚悟がついた気がします。

この『日本児童文学』1・2月号の創作特集タイトルは「ディスタンス」。書き手それぞれがこの1年、五感で感じ作品に落とし込んだ「ディスタンス」を、ぜひお楽しみください。

2021/01/14