藤田のぼるの理事長ブログ

2023年3月16日

98、3,11の集会のこと(2023,3,16)

【昨日は】

・このブログも、100回に迫ってきました。たいしたことは書いていませんが、僕としてはよく続いてきたかなという感想です。本来の更新日の昨日は、事務局に出かけ、11時から新しいホームページについてのミーティング、午後からは、文学賞の選考委員に本の手配などの連絡で一日終わってしまい、ブログまで行きつけませんでした。歴代の会長・理事長で、いまだにこんなことをしているのは僕ぐらいでしょう。まあ「事務局員あがり」だからということなのですが、僕が事務局長を退任した時点で本来なら新しい人を入れたかったわけですが、財政上それが無理で、次良丸さんが事務局長の仕事をしつつ、『日本児童文学』の編集実務まで担当し(以前は、専任のスタッフがいたわけですが)、宮田さんは数年前から契約社員的な条件で経理をやってもらっている、という体制の中では、僕が引き続きやらざるを得ない、という事情があります。

 正直言って、そうした事務仕事が、僕は嫌いではありません。協会の事務は、経理のような文字通りの事務もありますが、いろいろなところとの連絡、調整というのが大きなウェイトを占めていて、前に書いたことがあったかどうか、僕が事務局員になって密かに? 楽しんで? いたのは、会議日程の調整でした。例えば6人の集まりを設定する場合、6人の都合がそろえばいいのですが、なかなかそうはいきません。仮に5人の都合がそろった日(つまり、一人が欠席になってしまうケース)が2通りあったとして、どちらの人を欠席にするかというのは、なかなか微妙な選択になります。だから、欠席を余儀なくされた人が「自分が軽視されている」というふうに思わないように、いろいろ工夫しました。逆に言えば、これはまあ会社などでも同様と思いますが、そういうふうに思ってしまう人が少なからず、と僕には感じられ、結構気を遣いました。

 今回の本の手配なども、一つの本を回し読みにする場合は、誰を先にするのか、誰から誰に回してもらうかなども、機械的には決めず、いくつかの要素を考えながら、順番や組み合わせを設定しています。まあ、その辺はやや“趣味”の領域になるかもしれませんが、そういうことをある程度“楽しみ”という風に思わないと、仕事はつまらなくなるばかりではないでしょうか。

【12年目の3月11日に】

・さて、今年は東日本大震災から12年目の3月11日でした。この日、日本ペンクラブ・子どもの本委員会の主催で「平和の危機の中で考える 13年目の「3・11」」という集会があり、その第一部では、那須さんの『ねんどの神さま』を俳優の中村敦夫さんが朗読されました。この作品は、東日本大震災とは直接関りませんが、ペンクラブの会員でもあった那須さんの追悼という意味と、戦後という時間で忘れ去られていったことへの告発がモチーフになっているこの作品を読み返すことで、まだ12年しか経ってないのに、原発の再起動どころか新設まで話が出ている現状への異議申し立てという意味が込められてのプログラムだったと思います。

 僕は、この『ねんどの神さま』については、那須さんの作品の中では必ずしも手放しでは評価していません。この絵本は読者の「共感」というより「異化」を誘うことでメッセージを届けようという仕掛けの物語だと思いますが、果たしてそれが子ども読者に届くかどうか、微妙だと思うからです。

 しかし、中村さんの朗読は、むしろ淡々としていて決してドラマチックに流されず、それだけに切々と迫ってきて、この作品の迫力を再認識させられました。

 第二部では、「「3・11」は“今”に何を問うのか」というタイトルでのシンポジウムで、朽木祥さん、高田ゆみ子さん、中澤晶子さん、濱野京子さんがパネリスト、西山利佳さんが司会でした。高田ゆみ子さんは、核戦争を描いた『最後の子どもたち』などの訳者で、このテーマではこれ以上の組み合わせはないという顔ぶれだったと思います。その内容については、ペンクラブのHPなどでも紹介されると思いますが、作家のモチーフと“責任感”のような思いを重ねていくことはとても厳しい作業だと思うのですが、それに果敢に挑んでいるパネリストに、「作家魂」といったものを感じる時間でした。

 シンポジウムの中身からはちょっとずれるのですが、中澤さんがお話の中で高村薫の『神の火』を挙げられたのを聞いて、『ふうせんの日』という作品を思い出しました。『神の火』は原発をめぐる諜報戦、原発への襲撃計画が描かれ、多分中澤さんは児童文学ではあり得ない設定という感じでおっしゃったと思うのですが、『ふうせんの日』では、夏休みに原発で働くおじさんを訪ねた子どもが、原発への襲撃に巻き込まれるという展開です。

 作者の八起正道さんは『ぼくのじしんえにっき』という作品でSF童話大賞を受賞され、デビューしたのですが、これも東日本大震災どころか、阪神淡路の震災より前に書かれた作品です。そして、そのリアリティーは、二つの震災を経験した後に読むと、いっそう身に沁みます。その後、上記のように原発を舞台にした『ふうせんの日』(1992年)以降は本を出されてはいませんが、改めて注目したい作家だと思いました。

2023/03/16