藤田のぼるの理事長ブログ

2022年8月

78、カの話(2022,8,25)

【蚊の話です】

・タイトルを見て、「ちから」の話かと思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、「か」の話です。 今日は、ようやく少し涼しくなり、雨でもなかったので、午前中、庭の草むしりをしました。ちっぽけな庭ですが、雑草は一人前に生えます。 毎年、春になると、「ああ、また草むしりの時期だな」と思うほど、結構時間を取られます。それで、この季節に草むしりをする場合、暑さということもありますが、一番の問題は蚊にさされないようにしたいということです。

・蚊に刺されやすい人とそうでもない人がいて、これは体質なのでしょうが、僕はかなり刺されやすい部類に入ると思います。酒飲みは(血液が酸性なので)刺されやすい、という説を聞いたことがありますが、これは眉唾でしょう。血液型でO型は刺されやすいというデータを見たことがあり、僕はO型なので、そうかもしれないと思いました。(まあ、そんなに信憑性のある話ではないかもしれませんが。)

・当然、万全(?)の備えをします。上はさすがに半袖ですが、下は短パンではなく長ズボンをはき、蚊取り線香は二つ用意します。そして、片方は、丸の形の三分の二くらいに切って、その両側に火をつけます。つまり、普通の二倍の威力があるようにするわけです。その上で、虫よけのスプレーを、足、両腕、首周りにかけます。

・ところが、それでも刺されるのです。刺されたところを見ると、やはりそこはスプレーのかけ方が充分でなかったところなのです。ちょっと感心(?)してしまいます。今の家に越してきた二十数年前、この経験を初めてした時、僕はラフカディオ・ハーンの「耳なし芳一」を思い出してしまいました。耳だけに経文を書くのを忘れ、耳をもぎ取られてしまうわけですが、実は耳のあたりも結構刺されるのです。昔は虫よけスプレーはなかったけれど、虫除けに塗る薬液のようなものはあったでしょうから、この作者は、もしかして耳に塗るのを忘れて蚊に刺された経験者なのではないか、などという、ばかばかしい連想をしたりしました。

【蚊取り線香に蚊帳】

・蚊取り線香も夏の風物詩ですが、懐かしいのは蚊帳ですね。「となりのトトロ」は全編なつかしいものでいっぱいですが、お父さんがさつきとめいに蚊帳をつるしてあげ、その中から二人が夜の庭を眺める(早く芽が出ないかと)ところは、好きな場面の一つです。布団は自分で敷けたとしても、蚊帳は子どもの身長や力では、ほぼつるすことができません。つまり、大人(父親であることが多かったように思います)が蚊帳をつるしてくれる、そういう家族の思い出やその時の匂いみたいなものと重なって、懐かしさがふくらみます。なんというか、毎日テントの中で寝ていたような感じですね。

 夏に、寝る前に親がしてあげること。今ならエアコンのタイマーをセットする……とかでしょうか。ちょっと味気ない、と思うのは、やはり昭和の人間の感傷でしょうか。

2022/08/25

77、お盆とキリシタン(2022,8,15)

【今年のお盆は】

・このところ、東北北部の大雨で、秋田でも県の北部に大きな被害がありましたが、僕の故郷の大仙市辺りは、雨は大丈夫だったようです。ただ、いずれにしても、13日のお盆は、台風の影響もあり、お墓参りどころではなかったと思われます。

 お盆というのは、子ども時代を思い出すと、なんとなく心騒ぐ日だったような気がします。まず正月同様、家族がそろいます。僕の家は、年の離れた兄たちが進学や就職で家を出ていて、お盆は(必ずでもなかったかもしれませんが)帰ってきます。つまり、久しぶりに、兄たちと会える時であったわけです。

 それと、子ども心に印象的だったのは、夜、たくさんの人が道を歩いているということで、田舎ではそういう状態はお盆と秋のお祭りくらいなのです。僕の家は父親が次男で「分家」でしたから、自分の家の墓というものはなく、「本家」つまり父の生家のお墓にお参りに行きます。お寺は学校の少し手前ですから、いつも歩く道なわけですが、夕暮れの時間、そして両親や兄・姉たちが一緒ということ自体、かなり非日常的な感じでしたし、お寺に向かう人たち、帰ってくる人たちで道はいっぱい(という印象)で、今思えばちょっとファンタジックな世界だったように感じられます。

・父の生家はそれなりの規模の地主で、ですからお墓もかなりのスペースを占めていました。ただ、不思議にお墓参りで本家の人たちと会った覚えがありません。父は、戦前家を飛び出したような格好で海軍を志願し、その他の事情もあって、生家とは折り合いがよくありませんでした。今にして思えば、わざと時間をずらしていたのかもしれません。ですから、僕にとっても父方の「先祖」というのは、なんとなくなじみがうすい感じで、行き返りの“にぎわい”の方が記憶に残っているのだと思います。

【〝キリシタン〟のことですが……】

・さて、父は僕が19歳の時に亡くなりました。墓は、本家の墓とは違うお寺で、歩いて10分足らずのところです。父の葬儀は、僕にとっては多分初めてのお葬式でした。中学生の時に父方の祖父が亡くなっているので、普通なら(近くに住む孫ですから)葬式に出るでしょうが、上記のような背景があり、父は「学校を休まなくていい」と言いました。ともかく、父が亡くなるまで、自分の家の墓地がそのお寺にあるということ自体、知らなかったと思います。浄土宗のお寺で、歴史はあるのですが、しばらく無住だったので大分荒れていて、ちょうど父が亡くなる少し前に住職が入った時でした。

・葬儀自体のことは、あまり覚えていません。さすがにショックを受けていたのだと思います。父が亡くなったのが4月で、その新盆の前あたりだったでしょうか。母と僕でお墓の掃除に行った時のことかもしれません。お寺の門に入ってすぐのあたりに、かなり昔のものと思われる墓石の残がいのようなものが、まとめられています。それを見た母が「この墓は、キリシタンのものかもしれない」と言ったのです。

・母も近隣の村から嫁いできた人ですから、話ははっきりしないのですが、その寺にキリシタンの墓があるという言い伝えは、それなりに流布している話のようでした。その時僕は大学の2年になっていたわけで、少し調べてみましたが、江戸時代初期に秋田の佐竹藩にキリシタンがいて、処刑されたという記録は確かにあります。東北では、伊達藩(これは割と有名ですね)と佐竹藩にキリシタンが多く、伊達や佐竹は大藩で徳川に対してもそれなりに対抗心があり、キリシタン禁令にしばらくの間は抵抗したらしいですが、さすがにそれも無理となり、処刑されたのは主に武家ですが、町人や農民の信者もいたようです。

・僕はキリシタンというのは、九州か京都あたりの話だとばかり思っていたので、母から「キリシタン」という言葉を聞いた時は相当びっくりしました。処刑されたということは、つまり教えに殉じたわけで、今から何百年も前に、この地でそんなことがあったということは、本当に驚きでした。当時学生運動の渦中にあって、「思想に殉じる」というようなことが、やや自分自身の問題と重なったこともあったかもしれません。処刑された中には、子どもも含まれていたようでした。

・そんなこともあり、その後キリシタン関係の本は結構読みました。そして、そのことを作品に書きたいと思ったこともありました。そう思ったのは、離婚して息子と二人で暮らしてからで、離婚の是非はともかく、子どもは自分の意思とは関わりなく、親のせいでそうした生活を余儀なくされるわけです。構想としては、離婚して片方の親と別れて暮らすようになった(現代の)子どもと、親がキリシタンのために不自由な生活を余儀なくされた(昔の)子どもを、タイムファンタジーの形で重ねようと考えました。

 ただ、信仰の問題、特にその時代のキリスト教信仰の問題というのは、僕にはあまりに難しく、結局1行も書けませんでした。先般の安倍首相襲撃事件の背景が親の「宗教」がらみということもあり、このことがまた思い出された、という次第でした。

2022/08/15

76、ヒロシマ、そして統一教会のこと(2022,8,7)

【77年目のヒロシマでした】

・2回続きで、2日遅れになってしまいました。前回、「2日遅れているので、もしやコロナ感染?」というメールをいただいて、恐縮しました。今回もそういうことではなく、なんだかバタバタしているうちに7日になってしまいました。

 昨日は8月6日。77回目の原爆の日でした。今日の毎日新聞に、この日をなんと呼ぶかについてのコラムが載っていて、戦後しばらくの間は「原爆記念日」が主流だったけれど、今は「原爆の日」と呼ぶことが多い、ということでした。確かに「原爆記念日」は抵抗がありますね。

・11月に出す那須正幹さんの追悼本『那須正幹の大研究』(ポプラ社刊)の編集が目下急ピッチで進められています。編集委員の一人である宮川健郎さんが担当する、第一章の「那須正幹のことば」(那須さんのエッセイなどで、その生涯を振り返る)の原稿が次々にメールで入ってきて、「ああ、これからは、8月6日は那須さんを思い出す日になるなあ」とも思いました。

 そういえば、僕はまだ見てないのですが、昨日の朝日新聞で、文芸評論家の斎藤美奈子さんが、那須さんの「ズッコケ三人組」と「ヒロシマ」三部作を紹介していたようですね。

・8月に向けて、児童書の世界でも何冊かヒロシマに関わる本が出ましたが、僕が注目したのは2冊。指田和さんの『「ヒロシマ消えたかぞく」のあしあと』(ポプラ社)と中澤晶子さんの『ひろしまの満月』(小峰書店)です。「あしあと」の方は、3年前に指田さんが出され、課題図書にもなった『ヒロシマ消えた家族』という写真絵本についての本、という、児童書ではちょっと珍しいタイプのノンフィクション。これは、両親と4人のお子さんの6人家族のアルバムから選んだ写真によって、この家族の日々を構成したものですが、その6人共原爆で亡くなったのです。女の子がねこをおんぶして笑っている表紙をご記憶の方もいるかもしれません。この絵本がどうして作られたのか、どんな反響を呼んだのか、といった舞台裏の話から、この絵本が出たことによって明らかになってきたことなど、まさに「本についての本」として、とても興味深いものがありました。ノンフィクションを書きたいと思っている人にとっては、ひとつの教材にもなるのではないでしょうか。

・『ひろしまの満月』のほうは物語で、作者の中澤さんはずっとヒロシマを追いかけてきた書き手です。庭の池に棲む一匹のかめが語り手で、ここに越してきた女の子につらい思い出を語るのですが、この作品の味わいは、あらすじでは伝わりにくいように思います。ただ、「かめ」そして「月」という〈時間〉を象徴する存在が、あの時からの時間の流れと、これからの時間の行方をも感じさせ、戦争が時間を断絶させるものであることが無理なく伝わってくるようでした。

【統一教会のこと】

・さて、統一教会と政治家のつながりが連日報道され、政治家の無責任なコメントにはあきれるばかりですが、統一教会の活動が盛んになったのは、1960年代の後半あたりからで、僕の高校生、大学生時代と重なります。当時、学生運動が盛んになり、それに対抗させるために組織されたとも言われています。桜田淳子は秋田出身ですが、秋田でも(当時は「統一原理」と言っていたように記憶します)かなり活発な“布教”活動が行われていて、僕も何度も誘われたことがあります。

・僕は高校時代、ユネスコ研究会という学外サークルに入っていて、その会場は県立図書館の一室でした。秋田駅からほど近く、かつての城跡が大きな公園になっていて、その入り口辺りに県立図書館と県民会館がありました。研究会の前後、会館の前のベンチとかで本を読んだりしていると、大学生くらいの男女が近寄ってきます。毎度のことなので、「あっ、統一原理だな」と思うわけですが、僕はどんなくだらない議論でも引き受ける体質なので(笑)、門前払いはしません。

 大体、「いついつに集まりがあるので、来てみませんか」といったお誘いなのですが、僕が言ったことに反論というか、説得を試みる輩もいます。今でも覚えているのは、「神はいるか」論争で、その彼(だったと思いますが)が、世の中のものはすべて生み出したものがいるはずで、その大本をたどれば一つの存在に行き着く」というので、僕は「だとしても、それをなぜ神と呼ぶのか、大根と呼んでもいいのではないか」というと、彼はさすがに憮然として去っていきました。我ながら50年以上も前のそんなことを覚えているのは、「勝った」と思ったからでしょうか(笑)。

・ただ、学生時代、僕の周囲でもその統一原理の集まりに行ったり、合宿のようなことに参加したりということは、そんなに珍しいことでもありませんでした。当時は「カルト」という言葉はなかったように思いますが、今はどんなふうに“布教”しているのでしょうか。僕にしても、当時なにか身辺にひどくつらいことがあったりしたら、果たしてどうだったか……。「大根」にすがったかも知れません。いずれにしても、人の弱みに付けこむような、こういう集団を許してはなりません。

2022/08/07