藤田のぼるの理事長ブログ

2022年09月15日

80、小樽、半田そして黒姫に(2022,9,15)

【小樽に】

・このブログは、基本10日毎の更新ですが、この間は僕としては珍しくかなりの“走行距離”を稼いだ日々でした。その手始めは、10、11日と小樽に行ってきたことで、児童文学ファンタジー大賞の選考委員会のためでした。

 すでにご存じの方も多いと思いますが、この賞は今回の第28回で終了となります。よく知られているように、大賞はわずかに2回、第1回の梨木香歩さん「裏庭」と第3回の伊藤遊さん「鬼の橋」のみです。委員になる前は「ぜひ大賞を」と思っていましたが、佳作すらなかなか出ないという状況で、最後の今回も最終候補作は3点ありましたが、佳作の次の奨励賞もなしという残念な結果になりました。 最終候補作は3作で、僕はそのうち1作はおもしろく読み、せめて奨励賞と思いましたが、賛同を得られませんでした。受賞作なし、というのも、この賞らしい終わり方といえるかもしれません。

・賞を今回で閉じることは2年ほど前から決まっていたこともあり、前回から新たに茂木健一郎さんとアーサー・ビナードさんが選考に加わりました。特に茂木さんのような他ジャンルの人の読み方、評価の仕方はなかなか新鮮で(かつ説得力もあり)、その点はおもしろかったです。「ファンタジー児童文学」を掲げた公募賞がなくなることはやはり残念ですが、東京ではなく、小樽に拠点を置く民間団体が、こうした大きな賞を実施してきたことは特筆されることだと思います。ちなみに、通算の応募数は5443作品ということでした。

【半田、そして黒姫へ】

・日曜日の夕刻に帰宅し、翌月曜日は協会の理事会でした。前回まではずっとリモートでしたが、コロナがいつ明けるか見通しにくい状況のなかで、集まれる人は集まり、リモートの人はリモートで、ということで、今回から“ハイブリッド”方式で理事会を開くことが決まっていました。理事長の僕としては、当初は事務所に出向いてリアル出席のつもりでしたが、前日に北海道から帰り、次の日の火曜日は半田市の新美南吉記念館に行かなければならず、体力的なことを考えて、今回はリモート参加のつもりでした。

 ところが、月曜日の午前中パソコンを開けると、ネットにつながりません。たまに、ルーター周りの配線がゆるんで繋がらなくなることがあるのですが、それも確認しましたが、相変わらず繋がりません。それが11時過ぎだったでしょうか。僕の家から神楽坂の協会事務局までは1時間半以上は優にかかります。ぐずぐずしている暇はないので、急きょ事務所に向かうことにしました。理事会は2時からでしたが、事務所についたのが1時45分くらいだったでしょうか。なんとかセーフでした。

・そして、火曜日、愛知県半田市の新美南吉記念館に向かいました。前も書いたように思いますが、僕は南吉記念館には年に3回出かける用事があり、夏の「事業推進委員会」、秋の「新美南吉童話賞選考委員会」、そして冬に同賞の表彰式です。今回はその事業推進委員会だったわけで、これは要するに館の運営に関して、外部の「有識者」にいろいろ意見を求めるための機構なのですが、去年から宮川健郎さんに加わってもらっています。半田市は、名古屋から名鉄線の特急で30分余りの距離です。その名鉄線の出発ホームで宮川さんと一緒になりました。そして、電車の中では那須さんの話になりました。ちょうど名古屋に向かう新幹線のなかで、那須さんの奥さんからラインが届き、広島ホームテレビで作成した那須さんの追悼番組をYouTubeにしたのを、送ってもらいました。それを宮川さんに見せながら、いろいろ話をしていたわけです。

 ふと気がつくと、止まった駅は知多武豊。本来降りなければならない知多半田駅を過ぎていました。あわてて降りて、記念館に電話し、戻りの電車を待って、大分遅刻して、記念館につきました。上記のように僕は通算すれば数十回記念館に行ってるはずですが、初めての乗り越しでした。

・会議は無事終わり、名古屋に戻りました。前は名古屋に泊まったりもしましたが、近年はその日のうちに帰るパターンが多くなりました。ただ今回はいつもとは違う旅程を組んでいて、名古屋から中央線経由で、長野に向かいました。というのは、長野県の黒姫童話館に行く用事があるのに、なかなかその機会が取れなかったので、「名古屋に行くついでに」黒姫に向かうことにしたわけです。

 名古屋から長野までは、松本を通って特急でちょうど3時間です。新幹線なら3時間あれば東京から大阪に行けますが(今ならもっと行けるかな)、在来線はやはり時間がかかります。それでも、5時40分に名古屋を発って、缶ビールなど飲みながらゆっくり長野に向かうのも(いささか疲れましたが)いい“旅”でした。

【黒姫童話館で】

・黒姫童話館に行こうとした一番の理由は、斎藤隆介関係の資料を見せてもらうためでした。以下、詳しく書き始めると相当長くなるのではしょりますが、黒姫童話館には、斎藤隆介夫人から童話館に寄贈された、原稿などの資料が保存されています。その中に、斎藤隆介の童話の言わば原点である「八郎」の原稿が含まれているのです。1950年に書かれた原稿ですから、僕の年と同じ、72年前の原稿です。このことは以前書きましたが、僕は「八郎」の原稿が童話館にあることは知っていましたが、これが1950年に書かれたオリジナルの原稿であることを知ったのは、結構近年のことです。僕の思い込みで、隆介さんがそんな古い原稿を保管しているはずがなく、後で原稿用紙に書き直したものだろうと思いこんでいたのです。それで、これが72年前の原稿だと知り、これは絶対見に行かなくては、と思っていました。

 今回、それが叶ったわけですが、この4月から館長になられた山崎玲子さんに黒姫駅まで迎えに来ていただき、「八郎」の原稿や、その他の資料をゆっくり、じっくり、見させてもらいました。本当に行って良かったです。行かなけれは絶対わからないことが、いくつかわかりました。出し惜しみするわけではありませんが(笑)、これについては、場を改めて、“発表”しようと思っています。

 僕は研究者ではなく、あくまで評論家だと思っていますから、今まで作家の(モノとしての)原稿に対する関心はほとんどありませんでした。ただ今回は、繰り返しますが、実物を見なければわからない発見がいくつかあり、そういう作業を遠ざけていた自分を反省する思いもありました。

 ということで、昨日の夜に帰ってきたわけで、最初に書いたように、僕としては珍しい強行軍でしたが、充分モトはとれた二日間でした。(なお、ネット接続は配線の問題とパソコンの方の接続がたまたまオフになってしまっていた二重の理由で、今朝ほど復旧しました。)

※那須さんのYouTubeは、広島ホームテレビ作成の「反戦への思い ズッコケ三人組と作者・那須正幹」です。結構長いです。https://youtu.be/JfOrFqNBPJQ 

2022/09/15