藤田のぼるの理事長ブログ

2020年9月

12、この頃のこと・いくつか(2020,9,25)

【小樽に行ってきました】

◎急に涼しくなりましたが、今回は、ここ二週間ほどのことについて、いくつか。

 まず、もう10日以上が過ぎましたが、9月12、13日の土日、小樽に行ってきました。小樽の絵本・児童文学研究センター主催の児童文学ファンタジー大賞の選考会議のためです。コロナになってから、初めての遠出でした。

 羽田空港は、これまで見たことがない人の少なさで、ゲートに入るところでもちろん検温。照明もやや暗めにしているのか(雰囲気のせいで、そう感じただけかもしれません)、なんだか真夜中の空港にいるような気分でした。機内も当然人数をしぼっているのかと思いきや、新千歳行きの便は満席で、つまりは便数を少なくして、お客を集中させているようでした。その事情はわかりますが、だったら、荷物検査の時に距離を取れとかいうのはなんなんだ、という気もしましたが。

◎僕はファンタジー大賞の選考委員を十数年やっていて、いつもはホテルのそれなりに大きい部屋で公開でやります。ギャラリーは例年センターの関係者がほとんどですが、やはり「うかつなことは言えな い」というプレッシャーがあり、最初の何年かは結構緊張しました。今は妙な緊張はないものの、発言する時に、もちろん基本的には他の選考委員に向かって話すわけですが、聞いている方たちにもわかってもらえるような話し方は意識します。それが、今回はコロナということで、ギャラリーはなし、例年同センターの11月のセミナーの際に行われる授賞式もなしということになりました。

 そして、討議の結果、今年度はずっと出ていない大賞はもとより、佳作も奨励賞もなしということになり、かなりに寂しい結果となりました。会員の方の中でも応募された方がいらっしゃると思いますが、(選考結果はすでに発表されていますが)選考評が来月半ばあたりに出ると思うので、ご覧になってください。僕は1作、なかなかの才能だなと感じた作品がありましたが。

【9月理事会では……】

◎小樽から帰った翌日の14日が、9月理事会でした。今回もリモートで行いました。主な議題は、10 月のWeb学習交流会のことで、5月のWeb総会はまずまず無難に終わりましたが、今度は規模も200 人、そして基本的に「講演会」ですから、Webへの参加のしてもらい方や、画面構成など、総会の時とは違う難しさがいろいろあります。総会の時は僕は正直「50人が参加してくれればいい」と思っていましたが、80人ほどの申し込みがありました。多分総会に参加された方の大半は今回も参加されるでしょうし、5月に比べればリモートもかなり普及しましたから、多くの方たちに参加していただけるのではないかと期待しています。

◎一方で、Web上でのやりとりはほとんどやったことがなくて、参加を迷っていらっしゃるという方も 少なからずいらっしゃると思います。そういう方たちにお伝えしたいのは、パソコンでネットとつながっているか、あるいはスマホをお持ちであれば、難しいことはまったくありません、ということです。(カメラのついてないパソコンでも、見たり、聞いたりする分には問題ありません。カメラは通常パソコン画面の上の枠の真ん中辺に、ポチっと穴が開いたようになっています。) 参加申し込みをいただければ、当日の少し前にメールが届きます。それが言わば「招待状」で、参加のためのチケットと思ってください。メールを開けて、そこに記されたhttpsをクリックし、次の画面で 「ミーティングに参加する」をクリックすれば、それでOKです。自分が会議の主催者になって参加者 に招待状を送る側になるためには、例えばZoomと契約したりということが必要ですが、参加する側であれば、そうした事前の手続きは一切必要ありません。

 当日の2日前になるかと思いますが(参加申込者には日時をお伝えするので、ご確認ください)、初めての方のために、そうしたWeb参加の練習日を設定しますので、心配という方はまずそこで“練習” してみてください。

【編集委員会で……】

◎そして16日には、これもリモートの『日本児童文学』編集委員会がありました。僕は編集委員ではないのですが、来年の3・4月号が協会創立75周年記念号なので、その企画について参加させてもらうため、8月と9月の編集委員会に出席しました。もう一つ、75周年の企画として、これは来年の1・ 2月号から、6回にわたって「プレイバック『日本児童文学』」というページを作ります。これは創刊以来の『日本児童文学』の中で、「昔はこんなことをやっていたのか」「こんな議論もあったのか」とい うような記事を選んで掲載しようというもので、来年は評論の連載はなくなります。

 “昔”の こととなると僕の出番なわけで、75年分から6つを選ぶのはさすがに無理なので、1970年代までの『日本児童文学』からおもしろい(と思われる)ものを十何点か選び、そこから編集委員に6点を選んでも らっているところです。ご期待?ください。

◎話が理事会に戻りますが、5月以降、つまり僕が理事長になってから、理事会はすべてリモートで、 まだ一度も実際に集まっていません。もちろん無理はできませんが、上記の選考委員会も(“無観客”ではありましたが) リアルでやりましたし、昨日代々木のオリンピックセンターで「絵本専門士委員会」という十数人規模の会議があったのですが(今年度から、僕が委員として出ているので)、これもリアルで行いました。(オ リンピックセンターの入り口には、空港にあるような検温の設備があり、なかなかものものしかったの ですが。)4、5人であればともかく、二十数人の会議をリモートでやるのはいろいろ限界があり、できれば10月理事会は初めて実際に集まって開こうと、準備しているところです。

「シルバーウィーク」はテレビで見るとかなりの人出で、その影響が心配ではありますが……。

2020/09/25

11、『日本児童文学』9・10月号がおもしろい(2020,9,15)

【その前に】

◎前回、自民党総裁選のことを書きましたが、昨日“予定通り”菅さんが選出されましたね。会見では、開口一番「秋田の農家に生まれ……」と、その出自(?)を語っていましたが、『週刊文春』(9月17日号)なども指摘していたように、当時地元の進学校に入学し、家を飛び出して(働いた後とはいえ)大学に入学するというのは、それなりに恵まれた方ともいえ、まして「集団就職で」というのは正確でないというより、ウソに近いですね。

 とはいえ、そういう僕も、このブログの最初に、「児文協に出会ったのは、秋田の書店で『日本児童文学』に出会ったのがきっかけ……」と、いかに恵まれない(?)環境で児童文学を始めたかをアピールしているようなところもあり、まあ一国の総理と児文協の理事長を並べるつもりもありませんが、“自戒”です。

 あと、この間見聞きした中で一番おもしろかったのは、何日か前の毎日新聞の投書で、長く続いた安倍政権を「悪夢のような7年8ヵ月」と、安倍さんお得意のフレーズを使って評していたことで、まさしくその通り! 座布団10枚でした。

【さて、『日本児童文学』です】

◎わが『日本児童文学』ですが、前回の7・8月号の「ジェンダーと児童文学」特集もおもしろかったですが、今度の9・10月号の特集「学校と家庭のはざまで」はおもしろかったというか、いろいろに啓発されました。 機関誌の特集内容というのは結構早く、(場合にもよりますが)半年前くらいに決めるので、おそらくこの特集を企画したのは2月か3月ころ、いずれにしても、コロナと社会、コロナと子どもとの関係については、そんなに考察が進んでいなかった時期だろうと思います。もちろん今回の特集は、コロナ禍という問題だけではなく、子どもの貧困、子どもの居場所といった問題を意識して、あるいはそれらの問題の関連性を意識しながら特集内容が検討されたと思うのですが、感心(という言い方は偉そうかもしれませんが)したのは、執筆者の選択でした。思い切って(多分)総論・各論的なところは4人とも児童文学の人ではない、子どもの問題に関わる専門家たちに登場してもらって、今の子どもたちの“居場所”をめぐる問題を、さまざまな角度から論じてもらっています。本当に勉強になりました。(書かれている中身もそうだし、こんなふうに子どもたちと関わっている人たちがいるのだ、という意味でも。)

【増山 均さんのこと】

◎ところで、やや余談めきますが、今回冒頭に登場している増山 均さんは、子どもの文化、ややわかりやすく言えば生活文化の専門家ということになると思いますが、僕は彼のことは学生時代から知っています。というのは、彼は東京教育大で僕は秋田大で学年は一つ二つ彼のほうが上ですが、共にセツルメントというサークルに入っていたのです。セツルメントというのは、元々は地域の中で、医療、生活改善、教育・保育などに取り組むある種の社会運動ですが、僕らの学生セツルメントは、まあ地域での子ども会活動といった内容でした。加古里子さんが(彼は確か東大の工学部ですが)セツラーだった(セツルメント活動をする人を、そう呼びます)というのはよく知られていますし、その時の経験が彼の創作活動の原点にもなっていると思います。

◎セツルメントは上記のように社会運動的な性格を持っていることもあり、僕もまあその一人ですが、そこをきっかけに当時のいわゆる学生運動に参加していく人間が多いという傾向のサークルでもありました。そして、全国学生セツルメント連合(全セツ連)というのがあって、僕はその大会などで、よく東京に出かけていました。その全セツ連の書記長だったのが、増山さんなのです。その後、彼がまだ日本福祉大の教員だったころだと思いますが、何かの席でお会いして、懐かしくあいさつしたことを思い出します。

◎それから、増山さんといえば、彼は今年度から日本子どもを守る会の会長になったのですが、同会発行の『子どものしあわせ』(6月号あたりだったか)に会長就任のあいさつが載っていて、そこで彼は同会としては初めての戦後生まれの会長だと書いていました。子どもを守る会のことは児文協の会員でももはや知らない人のほうが多いかもしれませんが、同会の結成には児文協が深くかかわっていますし、今も団体として加盟しています。僕も会報の理事長就任挨拶に同じことを書いたので、上記の学生時代のことを思い出しつつ、少しく感慨を覚えたことでした。

【エッセイもおもしろかった】

◎そうそう、ここで一言断っておくと、よく外部の方が僕に「この前の『日本児童文学』はおもしろかったねえ」というような言葉をかけてくださる場面があり、それは当然僕が何らかの形で編集に関わっているだろうというような前提でのあいさつのようでもあるのですが、僕は編集委員でもなく、事務局長時代は編集会議を横で聞いていて、たまに口出したりすることもありましたが、今はそういう関りもまったくありません。まあ、理事会の一員として特集タイトルぐらいは事前に聞いていますが、中身は雑誌が発行されるまでわからないので、その点はほかの会員の方たちや一般の読者と変わりないわけです。

◎それで、今回ここまで書いたようにとても興味深く読んだわけですが、上記の4人の寄稿の後に、岡田淳さんを始めとする7人の、「子どもたちの居場所」をめぐるエッセイが並んでいて、これもなかなか見事な人選だと思いました。中身はまあ読んでいただくとして、3番目の中島信子さんは、この雑誌には何十年ぶりの登場でしょうか。というか、中島さんは、かつて(僕などより前の)児文協の事務局員で、その後作家となり、協会の理事を務め、事業部長や財政部長などを歴任されました。いろいろに行き違いがあって退会されたのが、もう二十年くらい前でしょうか。ですから、古い会員の方であれば、「中島さん」といえば誰でも知っているような存在でした。

 作家としても、その後ほぼ“お休み”状態だったのですが、昨年汐文社から子どもの貧困を題材とした『八月のひかり』を久しぶりに出されて、話題になりました。確か帯には「伝説の作家」とか書かれていてちょっとおかしかったのですが、ともかくその中島さんにも本当に久しぶりに登場していただいて、うれしいことでした。編集委員の皆さんのご努力に、敬意を表します。

2020/09/15

10、自民党総裁選に思う(2020,9,6)

【安倍さんのこと】

 ◎このブログ、一応5のつく日に更新しているのですが、パソコンを修理に出すことになり、自宅から更新できず、今協会事務局に来て作業しているので、一日遅れになりました。台風10号の被害が思いやられます。

 さて、新聞の社説みたいなタイトルになりましたが、安倍首相の突然の辞任表明には驚きましたね。一方で「やっぱり」という感じもあり、病気については「お大事に」というしかありませんが、あれだけ辞めてもおかしくないことだらけだったのに辞めないとなると、そのストレスは人間の限界を超えていたようなところもあったでしょう。だから、「病気で辞める」という辞任の仕方は、安倍さんにとって“名誉”を守れる最後の手段だったような気もします。しかも、総理大臣としての最長記録を作ったとたんに辞めたわけですから(2000本安打を打ったところで引退したプロ野球選手を思い出してしまいましたが)。逆に言えば、あれだけのことをさせておいて、世論の力で辞めさせることができなかった、というのは、残念というしかありません。

◎安倍さんのこれまでのいろいろにもその都度新鮮に(?)驚かされましたが、さらに呆れるのは、総裁選の成り行きです。上記のように、客観的に見れば安倍政権の行き詰まりの末の辞任だったわけですから、従来の自民党の総裁選であれば、嘘でも(?)なんらかの改革とか刷新といった言葉が飛び交っていたと思います。それが、「安倍政権の継承」を打ち出した、ある意味安倍さん以上に安倍政治の担い手だった人が圧倒的大本命というのですから。 つまりは、「国民のために、今何が求められているか」といった命題に、格好だけでも応える気もなく、あるいは余裕もなく、とにかく今の権力体制をどう維持するかということのみでモノゴトが動いているという、民主主義として誠に危機的な状況を、わたしたちは目の当たりにしているのだと思います。

【菅さんのこと】

◎さて、その大本命の菅さんは秋田出身で、僕より一つ年上、つまり同郷にして同世代になります。菅さんが総理になれば、秋田出身者としては初めてのことになります。ここからは飲み屋で一杯やっているおじさんのたわごと程度に聞いていただければよいのですが、僕が協会の事務局長になってそんなに経ってない頃なので、1990年前後あたりでしょうか、ふと気がついたのですが、児童文学の団体のトップに、妙に秋田関係者が多かったのです。

 そう思い始めたのは、多分児文芸の理事長に高橋宏幸さんが就任されたのがきっかけだったでしょうか。 高橋さんは児文協の会員でもありましたが、元々は小峰書店の編集長で、絵も文も書かれ、教科書にも掲載された『チロヌップのきつね』が代表作でしたが、秋田大学の全国にただ一つという鉱山学部(今は改組・改称されましたが)の前身の鉱山専門学校卒業という、異色の経歴の方でもありました。僕は同郷ということで、いろいろ声をかけてもらいましたが、ふと気が付くと当時の児童文学学会の会長の滑川道夫さん(僕からは滑川先生という感じですが)も日本子どもの本研究会会長の増村王子(きみこ)さんも秋田出身で、お二人は秋田大学教育各部(の前身の、師範学校および女子師範)の大先輩でもありました。(このお二人も児文協の会員でもあり、滑川さんは児文協理事長も務められました。)

◎実は、残念ながらというか、お隣の岩手県には宮沢賢治、山形県には浜田広介という大看板がいるのに比べて秋田出身ではこれといった作家が見当たりません。もう一つの隣県の青森県にも協会の第二代会長の秋田雨雀がいますし、児童文学ではありませんが、太宰治、寺山修司といった大所がいます(秋田は、児童文学だけでなく、大人の文学でも、これといった名前があがらないのです)。そんな中で、上記のように、児童文学の関連団体の長に意外に秋田出身者が多いことに気が付き、児文協事務局長に成り立てだった僕は、つまりは秋田出身者はこういう調整役という役どころには向いているのだろうという、およそ根拠のない感想を抱いたことがあったわけです。そういうふうに思うことで、自分を励ましたのかもしれません。

 菅さんはこれまでまさに「調整役」としての手腕は認められてきたわけで、さてその人がトップになった場合、どうなのか。正直、そんな興味もないことはないのですが、しかしここまで書いたように、秋田出身というだけで何か共通点があるという妄想を抱いたりする僕にとっても、同郷・同世代の菅さんに何かしらの親しみを覚えるかといわれれば、それは自分でも驚くほどゼロです。それほど、今回の自民党総裁戦の構図は、醜いというか、権力闘争丸出しという感じしかしません。

 菅さんは、会見でも「秋田の農家に生まれ……」というふうに、自分の出自をむしろやや誇らしげに(つまりエリート政治家の安倍さんなどとは対極にあることを強調したいのでしょうが)語っていましたが、これからは「秋田」という言葉を彼の口から聞くたびに、やや苦々しく思うことになるのでしょうか。

2020/09/06