藤田のぼるの理事長ブログ

11、『日本児童文学』9・10月号がおもしろい(2020,9,15)

【その前に】

◎前回、自民党総裁選のことを書きましたが、昨日“予定通り”菅さんが選出されましたね。会見では、開口一番「秋田の農家に生まれ……」と、その出自(?)を語っていましたが、『週刊文春』(9月17日号)なども指摘していたように、当時地元の進学校に入学し、家を飛び出して(働いた後とはいえ)大学に入学するというのは、それなりに恵まれた方ともいえ、まして「集団就職で」というのは正確でないというより、ウソに近いですね。

 とはいえ、そういう僕も、このブログの最初に、「児文協に出会ったのは、秋田の書店で『日本児童文学』に出会ったのがきっかけ……」と、いかに恵まれない(?)環境で児童文学を始めたかをアピールしているようなところもあり、まあ一国の総理と児文協の理事長を並べるつもりもありませんが、“自戒”です。

 あと、この間見聞きした中で一番おもしろかったのは、何日か前の毎日新聞の投書で、長く続いた安倍政権を「悪夢のような7年8ヵ月」と、安倍さんお得意のフレーズを使って評していたことで、まさしくその通り! 座布団10枚でした。

【さて、『日本児童文学』です】

◎わが『日本児童文学』ですが、前回の7・8月号の「ジェンダーと児童文学」特集もおもしろかったですが、今度の9・10月号の特集「学校と家庭のはざまで」はおもしろかったというか、いろいろに啓発されました。 機関誌の特集内容というのは結構早く、(場合にもよりますが)半年前くらいに決めるので、おそらくこの特集を企画したのは2月か3月ころ、いずれにしても、コロナと社会、コロナと子どもとの関係については、そんなに考察が進んでいなかった時期だろうと思います。もちろん今回の特集は、コロナ禍という問題だけではなく、子どもの貧困、子どもの居場所といった問題を意識して、あるいはそれらの問題の関連性を意識しながら特集内容が検討されたと思うのですが、感心(という言い方は偉そうかもしれませんが)したのは、執筆者の選択でした。思い切って(多分)総論・各論的なところは4人とも児童文学の人ではない、子どもの問題に関わる専門家たちに登場してもらって、今の子どもたちの“居場所”をめぐる問題を、さまざまな角度から論じてもらっています。本当に勉強になりました。(書かれている中身もそうだし、こんなふうに子どもたちと関わっている人たちがいるのだ、という意味でも。)

【増山 均さんのこと】

◎ところで、やや余談めきますが、今回冒頭に登場している増山 均さんは、子どもの文化、ややわかりやすく言えば生活文化の専門家ということになると思いますが、僕は彼のことは学生時代から知っています。というのは、彼は東京教育大で僕は秋田大で学年は一つ二つ彼のほうが上ですが、共にセツルメントというサークルに入っていたのです。セツルメントというのは、元々は地域の中で、医療、生活改善、教育・保育などに取り組むある種の社会運動ですが、僕らの学生セツルメントは、まあ地域での子ども会活動といった内容でした。加古里子さんが(彼は確か東大の工学部ですが)セツラーだった(セツルメント活動をする人を、そう呼びます)というのはよく知られていますし、その時の経験が彼の創作活動の原点にもなっていると思います。

◎セツルメントは上記のように社会運動的な性格を持っていることもあり、僕もまあその一人ですが、そこをきっかけに当時のいわゆる学生運動に参加していく人間が多いという傾向のサークルでもありました。そして、全国学生セツルメント連合(全セツ連)というのがあって、僕はその大会などで、よく東京に出かけていました。その全セツ連の書記長だったのが、増山さんなのです。その後、彼がまだ日本福祉大の教員だったころだと思いますが、何かの席でお会いして、懐かしくあいさつしたことを思い出します。

◎それから、増山さんといえば、彼は今年度から日本子どもを守る会の会長になったのですが、同会発行の『子どものしあわせ』(6月号あたりだったか)に会長就任のあいさつが載っていて、そこで彼は同会としては初めての戦後生まれの会長だと書いていました。子どもを守る会のことは児文協の会員でももはや知らない人のほうが多いかもしれませんが、同会の結成には児文協が深くかかわっていますし、今も団体として加盟しています。僕も会報の理事長就任挨拶に同じことを書いたので、上記の学生時代のことを思い出しつつ、少しく感慨を覚えたことでした。

【エッセイもおもしろかった】

◎そうそう、ここで一言断っておくと、よく外部の方が僕に「この前の『日本児童文学』はおもしろかったねえ」というような言葉をかけてくださる場面があり、それは当然僕が何らかの形で編集に関わっているだろうというような前提でのあいさつのようでもあるのですが、僕は編集委員でもなく、事務局長時代は編集会議を横で聞いていて、たまに口出したりすることもありましたが、今はそういう関りもまったくありません。まあ、理事会の一員として特集タイトルぐらいは事前に聞いていますが、中身は雑誌が発行されるまでわからないので、その点はほかの会員の方たちや一般の読者と変わりないわけです。

◎それで、今回ここまで書いたようにとても興味深く読んだわけですが、上記の4人の寄稿の後に、岡田淳さんを始めとする7人の、「子どもたちの居場所」をめぐるエッセイが並んでいて、これもなかなか見事な人選だと思いました。中身はまあ読んでいただくとして、3番目の中島信子さんは、この雑誌には何十年ぶりの登場でしょうか。というか、中島さんは、かつて(僕などより前の)児文協の事務局員で、その後作家となり、協会の理事を務め、事業部長や財政部長などを歴任されました。いろいろに行き違いがあって退会されたのが、もう二十年くらい前でしょうか。ですから、古い会員の方であれば、「中島さん」といえば誰でも知っているような存在でした。

 作家としても、その後ほぼ“お休み”状態だったのですが、昨年汐文社から子どもの貧困を題材とした『八月のひかり』を久しぶりに出されて、話題になりました。確か帯には「伝説の作家」とか書かれていてちょっとおかしかったのですが、ともかくその中島さんにも本当に久しぶりに登場していただいて、うれしいことでした。編集委員の皆さんのご努力に、敬意を表します。

2020/09/15