藤田のぼるの理事長ブログ

28、3,11&大牟田セミナー、そして創立75周年

【10年目の3,11でした】

◎皆さんは、10年目の3月11日を、どのように受けとめられたでしょうか。僕の故郷・秋田は東北の中では比較的被害が少なかったわけですが、仙台に兄と姉がいて、連絡がつくまではかなり気をもみました。そして、福島の原発が東北電力ではなく、東京電力の発電所であるという事実に、東北出身の人間として改めて思い至りました。

 とはいえ、10年経った今、僕の中で何かが変わったのか、あの災害を児童文学に関わる者としてどう受けとめようとしてきたのかと問われれば、確たる答えは返ってきませ ん。3,11の「思想化」といえば大仰かもしれませんが、ほとんどこの問題を深めることができないまま、10年が経ってしまったというのが率直な感想です。

◎では、3,11の「思想化」とはなんだと問われれば、充分な答は持ち合わせませんが、阪神・淡路の大震災の後に、これを題材にした児童文学作品がそれなりに出てきて、そうした作品(もちろん一括りにはできませんが)を読んでいくうちに、ある問題点というか、疑問が生じていきました。

 それは、どうして児童文学では、「震災に負けずに健気にがんばった」あるいは「震災で建物は壊れたが、人の絆は壊れなかったぞ」というような話ばかりが書かれるのだろうという思いです。「子どもを励ます」ことによって自らをも励ます、というのは児童文学を書くものの本能? みたいな面はあるのかもしれませんが、これで本当に励ますことになるのか、と考えざるを得ませんでした。そのことを評論に書きたいと思って作品のリストアップなどもしていたのですが、それが果たせないまま東日本大震災を経験することになりました。

◎東日本大震災の作品化は、阪神・淡路に比べても、むしろ遅い感じでしたが、そのことはうなずけることでした。あれだけの圧倒的な不条理を児童文学として作品にするということは、並大抵のことではありません。大人の文学であれば不条理を不条理として書くということも可能かもしれませんが、それをどう子どもに向けたことばにするのか。さすがにあれだけの災害、そして原発事故を前にしては、安易な「健気にがんばった」物語の出る幕がないことは、むしろ当然だったでしょう。

 そうした中で、濱野京子さんの『石を抱くエイリアン』(2014)、これは『日本児童文学』の連載作品でしたが、「希望」をキーワードに、中学生にとっての3,11を描いた、僕の知る限りでは、初めての本格的な児童文学作品だったと思います。そして、柏葉幸子さんの『岬のマヨイガ』(2015)のテーマは、やはり「家族」ということになるでしょうか。岩手在住で自らも震災を体験した作家のこの作品は、明らかに以前に書いた短編「ブレーメンバス」(同タイトルの短編集所収)を下敷きにしており、僕はそのことにとても興味を覚えました。つまり、濱野さんにせよ、柏葉さんにせよ、(当たり前ですが)3,11を通過して別の人になるわけではないので、それまでのモチーフがあのできごとを通してどのように試されたのか、ということのような気がします。

 その点では、川上弘美が前に書いた「神様」という作品を、震災の直後に書き直し「神様 2011」を発表したということを思い出します。評論の立場で言えば、もちろん3,11後の作品を論じることも重要ですが、それ以前の作品を「3,11後」の視点から見つめ直すことで、もっと何かが見えてくるかもしれません。

 ともかく、『石を抱くエイリアン』と『岬のマヨイガ』(できれば、短篇集『ブレーメンバス』も合わせて)をまだお読みでない方は、この機会にぜひ読んでみてくだ さい。

【大牟田セミナー、そして創立75周年が……】

◎この週末、13、14日と、福岡県大牟田市で協会主催の児童文学セミナーが開催されました。内田前理事長の出身地で、ここに内田さんの絵本作品を中心とした美術館が建てられることをお祝いする意味も込めてセミナーを企画したわけですが、2月の段階で、福岡県にも緊急事態宣言が出されていましたから、予定通り開催するかどうか大分悩みました。

 それでも開催に踏み切ったのは(懇親会や子ども参加 のワークショップなどはとりやめましたが)「ぜひ実現させたい」という地元からの熱い思いに応えたいと思ったからで、実際この状況では大幅な定員割れは必至だろうと思っていたのですが、あべ弘士さんの講演をメインにした全体会は、150人の定員に迫る申し込みでした。当日の電話では、あべさんのお話や、その後の内田さん、大牟田市動物園の園長さんをまじえてのトークショーもとても好評だったようで(絵本美術館は動物園の敷地の中にできるのです)、本当に良かったです。

 このセミナーについては、大分先になりますが、7月の会報で報告されます。僕が担当するはずだった実作指導の分科会は中止(作品を提出された方には、文書で感想を送る形にしました)となって、行けなかったのですが、美術館がオープンしたら(コロナの関係などで、当初の予定より遅れています) 一度うかがってみたいと思っています。

◎そして、まもなく協会は創立75周年を迎えます。創立総会が開かれたのは、1946年3月17日ですから、あと二日ですね。3,11から10年、コロナ禍の中での75周年というのは、語弊があるかも知れませんが、なんとなく児文協らしい感じもします。

 お手元に『日本児童文学』の3・4月号(記念号)が届いたと思います。自分も書いたのでやや手前味噌になりますが、とてもいい記念号になったと思います。25年後の「100周年」を見据えて、というのがいいですね。

 僕はまあ確率はかなり低いですが、100周年は96歳になるわけで、よく冗談で、「100周年の集いに車椅子で出席して、(その時は誰も昔のことなど知りませんから)あることないこと、嘘ばっかりしゃべる」などと広言? しています。そんな“夢”を見ながら、当面は“嘘のない”記念資料集の編集に力を注ぎます。 

2021/03/15