藤田のぼるの理事長ブログ

総会の月になりました

【5月は総会の月?】

5月になりました。ここのところ、5月の最終土曜日が総会というのが定着しましたが、その前はもう一つ前くらい、“下旬”の土曜日でした。一週遅くしたのは、文学賞贈呈式を以前の土曜日(総会の後)から前日・金曜日に移したことで、児童文芸家協会の贈呈式と重なるケースが出てきたためですが、事務局としては、一週間延びた分準備に余裕があるので、ウェルカムです。(特に、活動方針審議や役員改選のある年は、連休の後がバタバタで大変でした。)

ところで、協会の総会は昔から5月に決まっていたかというと、そうでもありません。僕は1974年に入会しましたが、確か最初の頃は4月だったのです。それが、一度“春闘”のストライキで交通機関がストップし、延期になってしまったことがあり、以来5月にした、というのが体験だったか聞いた話だったか……。そうです。その頃は、日本でも、ちゃんと待遇改善のためのストライキというものがあったのですね。

それで、年表を確認してみると、僕が入会した74年は4月27日に総会が開かれています。そして、次の75年は5月10日、76年が再び4月で24日、77年が5月14日、78年が5月20日で、その後は概ね5月の後半という時期に定まっています。でも、74年までずっと4月だったのかというと、そうでもなくて、73年は5月19日、72年は4月22日とバラバラ、68年などは6月1日にやっていますから、この頃のパターンはよくわかりません。その時のさまざまな状況で決めていたのでしょうか。ともかく77年からは総会は38年間、例外なく5月に開かれています。

【綱領の問題について】

さて、今回、総会通知に、綱領再検討に関する特別報告というのを同封しました。新しい会員の方たちにとってはかなりに唐突な印象だったかと思いますが、なにしろ綱領に関する提起がなされるのは1970年代以来ということですから、大半の会員の方たちにとって、「なぜ、今?」という疑問が当然おありかと思います。

かなりに長い文章になったので大変と思いますが、めったにないことなので、特別報告をよくお読みいただくとありがたいです。中に書かれているように、当時の関英雄理事長が、綱領の第一条の改定を提起したのは1978年、ちょうど上記の、総会の5月開催が定着した頃のことです。そして、以下いささか私的なことになりますが、この問題について論議が伯仲していた79年に、僕は協会の事務局員になりました。実は、それと前後して、僕も会報にこの問題について投稿したのです。細かい点は覚えていませんが、基本的には関提案を支持する立場で、それ以上に、関提案への反対意見が、なにか「民主主義をとるべきでない」の一点張りで、関氏の問題提起の最大のモチーフである協会の将来像ということに答えてないことへのいら立ちみたいなものがありました。

そしたら、会報編集の責任者だった塚原亮一総務部長(当時は会報部というのはありませんでした)に、「これから事務局員になる君が、なんだかみんなをしかりつけているような文章で、これは掲載しない方がいいと思う」と言われ、僕もそれもそうだなと思って、“ボツ”になりました。だから、というわけでもありませんが、綱領の問題はずっと心のどこかにひっかかっていました。今回創立70周年ということで、次の80周年になってしまったら、当時のことを知る人はほとんどいなくなってしまうことも予想され(僕自身にしてもですが)、なんとかここで、少なくとも当時の論議の紹介だけでもしなければと、理事会に持ち出した次第でした。

理事の皆さんの熱心な論議で、こういっては語弊があるかもしれませんが、僕が思っていた以上に問題が深まり、僕自身としては、事務局員になった時からの宿題が、事務局員をやめたこの年に少し果たせた気がしています。会員の皆さんに、これを機に「綱領」について考えていただく中で、協会の70年の歩みの意味を受け止めていただければうれしいです。

 

2015/05/01