藤田のぼるの理事長ブログ

古田さんのこと・ラスト

【8月になりました……】

沖縄、九州方面の会員の方たちには、台風お見舞い申し上げます。我が郷里秋田も、すごい雨のようです。

さて、「古田さんのこと・3」を書いてから、大分間が空いてしまいました。当初から4回で、というつもりだったので、しめくくりに何を書こうかなと、いろいろ考えているうちに、8月になってしまいました。

【古田さんの絶筆】

今、9月にお送りする会報の編集が始まるところで、今回は半分以上が古田さんの追悼ページになります。その最初のところで紹介する予定なのが、古田さんの“絶筆”となったエッセイです。これは童心社のPR紙『母のひろば』600号に寄せたもので、5月15日発行ですから、まちがいなく古田さんが最後に書かれた公式の文章だと思います。タイトルは「児童文学、三つの名言」で、「安倍政権は二〇〇六年十一月、教育基本法を改悪した」という文で始まります。安倍首相の推し進めている愛国心教育、それに対して、児童文学は何ができるのか。これは古田さんの児童文学者としての出発に関わる最大のテーマだったと思います。それを語るために、古田さんは、自身の言葉ではなく、童心社創業者の村松金治さん(秋田師範出身で、僕にとっては大先輩になります)の二つの言葉と、小出正吾さん(60年代に協会の会長を務められた児童文学者)の言葉を引用しています。言葉自体は、今度の会報でお読みになってください。

僕が古田さんらしいなあ、と思ったのは、村松さんの言葉は童心社創業55周年の『母のひろば』から、小出さんの言葉は同じく『母のひろば』500号からの引用であることでした。つまり、古田さんは、『母のひろば』600号の巻頭言を依頼され、さあ何を書こうと考えたときに、『母のひろば』のバックナンバーをひっくりかえして、今の状況の中で紹介すべき村松さんと小出さんの言葉を見つけたということです。この、なんというか、律義さというか、手を抜かないところ……。仕事に関しては、古田さんは、本当に妥協しない人でした。

【古田さんの最後の手紙】

僕が古田さんから最後にもらった手紙は、昨年の10月2日付。その半月ほど前に、古田さんの盟友だった鳥越信さんの追悼会が大阪であり、僕がそれに出席したことへの「ご苦労様」という趣旨のものでした。実は、その追悼会の日が、奇しくも古田さん、鳥越さんと、学生時代からの「悪友」だったともいうべき、元童心社編集長の神戸光男さんの葬儀の日になってしまったのです。その一、二カ月ほど前だったか、僕は神戸さんの入院のことをたまたま知り、古田さんにお知らせしたのでした。古田さんはすぐ神戸さんに手紙を書き、死を覚悟されていたらしい神戸さんから、返信があったようです。そこに書かれていたという、神戸さんの俳句が、僕への手紙で引用というか、紹介されていました。「補陀落(ふだらく)の舟俟つ浜や 乱れ萩」という句でした。そして、手紙の最後は、「体調不良 鳥越、神戸と世を去ってがっくりした(こ)ともあるか、〈新しい戦争児童文学〉の会への出席も もうあと、1、2度ですね。」と結ばれていました。古田さんの寂しさと共に、“覚悟”のようなものを、ひしひしと感じました。

その〈新しい戦争児童文学(おはなしのピースウォーク)〉の長編シリーズが、協会創立70周年記念出版として5冊出版されることが、ついこの前決まりました。そして、安倍政権による秘密保護法、解釈改憲という一連の動きに対して、今児童文学の側から関係団体が結束して反対ののろしをあげようという動きが急速に進んでいます。(これについては、近くまたお知らせします。)児童文学は、もちろん悪しき社会状況に反撃するためにあるというものではありませんが、古田さんが一貫して子どもの側に立った児童文学のあり方を模索してきたことに少しでも応えられるよう、気合いを入れなければと思います。

なお、会報では先に書いたように、9月の号で追悼特集を組みますが、機関誌『日本児童文学』では、来年の1・2月号を追悼号とすべく、準備を始めていることもお伝えしておきます。

 

 

 

2014/08/01