藤田のぼるの理事長ブログ

2022年1月

58、ついに資料集が!(2022,1,25)

【ようやく、やっと、】

・ここ5年程、そしてこの1、2年はほぼかかりきりだった、協会創立75周年記念資料集が、先程印刷所から届きました。このブログ、いつもはなるべく午前中にアップするために、前の日に大体書いて、それをチェックしてアップするというパターンが多いのですが、今日ばかりは宅急便が届くのを待って、できあがった資料集を実際に手にしてから、これを書いています。開いてみて、「あっ、第一部とか第二部の扉のページは色付きにすれば良かったな」などと、早速反省したりもしていますが、自分自身の本ができあがってきた時と同じくらい、ひょっとするとそれ以上に、感慨があります。苦労の押し売りくらい嫌いなことはありませんが、今回ばかりは、これを形にするために「かなり苦労しました」と素直に言いたい気分でもあります。

 当初200冊という発行部数の設定でしたが、おかげさまで会員からの予約が70冊を越える勢いだったので、250冊に増やしました。とはいえ、少部数の印刷物ですが、僕としては、今なるべく多くの方に読んでいただくと共に、将来これをいろいろに役立ててくれる人が現れることを、そしてそういう場面が必ずやってくることを、確信したいと思います。

【ちょっと、裏話を~「粛清」と「粛正」】

・今回、校正は編集委員の長谷川潮さんや、最後は理事で編集者の津久井さんにもお願いしましたが、改めて校正の大変さやプロの仕事のすごさを感じさせられました。まあ、印刷物に校正ミスはつきもので、ある程度の長さのもので、校正ミスが一つもないという本はまずめったにないと思いますが、後で「これを見過ごしていたら、大変だった」とぞっとしたところが一つ。

 それは第三部の「声明」の二つめに出てくる「「児童文学者の戦争責任」に関する粛正委員会による覚え書」のところです。協会の設立総会にはいくつかの議案が提出されたわけですが、その第一が「児童文学界の戦争責任明確化及び戦責出版七社への不執筆動議」でした。つまり、戦争遂行に積極的に関与したと思われる児童文学者や出版社を名指しで弾劾しようとしたわけです。そのために8名からなる「粛正委員」が選出されました。そして、この委員会でそのための文書が8月15日付で作られたのです。しかし、この文書は発表されませんでした。なぜなら、批判する側の児童文学者にしても、多かれ少なかれ戦意高揚の作品を書いたものが大半で、果たして戦争責任を追及する資格があるのかという問題があったわけです。そのため、結局この文書は公表されませんでした。

 このことは、会設立時の事務局責任者だった関英雄氏の回想などで知っていましたが、その文書はもちろん見たことはありませんでした。ところが、今回、資料集の編集作業の中で、この「幻の文書」が見つかったのです。ということで、これは今回の資料集の、いわば目玉の一つでもあり、全収録資料の中で、唯一今回初めて外部発表されるものです。

 それで、ガリ版の文書をパソコンに入力し、印刷所に渡したわけですが、その際「粛正委員会」を「粛清委員会」としてしまったのです。この文書の解題でも、同様に「粛清委員会」としていました。それらに気がついたのは、何度目の校正の時だったでしょうか。ぞっとしたというか、反面笑えてしまいましたが、万一そのまま「粛清」だったら、児文協がスターリンになってしまうところでした。ちなみに、パソコンで「しゅくせい」を変換すると「粛清」のほうが先に出てきます。全然違う同音異語だとまあ気がつくのですが、これはかなり似た言葉でもあり、何度も見過ごしてしまったわけです。

 というわけで、資料集を読む機会がありましたら、発見された「幻の文書」、「粛清」ではなく「粛正委員会」で、児童文学者の戦争責任がどのように語られたかを、ぜひご注目ください。  もう一つ、裏話というか、語っておきたいことがあるのですが、それは次回にします。

2022/01/25

57、初読書、初仕事(2022,1,15)

【初読書は、】

・良くいうフレーズですが、今年ももう半月、うかうかしていると、すぐに2月、3月になりそうです。半月も経ったので「初ナントカ」も今さらですが、今年の“初読み”は、前回書いたように、元旦のポストに入っていた信州児童文学会の高橋忠治さんの追悼号でしたが、本としては、森忠明さんの『末弱記者』が、今年初めて読んだ本でした。暮れに森さんから送っていただいたのが、そのままになっていたのを、読んだわけです。Tuuleeという出版社から出ていて、森さんとしては久しぶりの児童文学の単行本ではないでしょうか。7編の短編と3編の詩が収録されていて、7編の内5編は90年代に『飛ぶ教室』などに発表した作品、最新作が表題作でもある「末弱記者」です。僕は“末弱”という言葉を知りませんでしたし、そもそもこういう言葉があるのかどうか、放たれた矢が最後まで勢いの衰えないことを「末強」というのだそうで(これは広辞苑に載っていましたが、これも初めて聞きました)、その反対言葉として使われています。

 森さんは僕と同年代ですが、ほとんどの作品で、東京・立川で過ごした自身の少年時代を題材にしています。この作品もそうでした。中学校に入学して新聞委員になった主人公が、尊敬する先輩から「中学生になって」という文章を書くように言われ、つい心にもないことを書いてしまった自分を恥じて、“末弱”記者と自嘲しているわけです。「自伝的な作品」という言い方はありますが、森さんの作品は児童文学で“私小説”は可能なのかという究極の試みともいえ、今度の作品でもそうした森さんの変わらぬモチーフが見てとれ、いやいや作家としてはとても“末強”ではありませんか、と言いたい感じでした。

・森さんの本は短篇集でしたが、今年の長編初読みは、山下明生さんの『ガラスの魚』(理論社)でした。 (やました・あきおと読まれた方が少なからずいらっしゃると思いますが、「はるお」です。)山下さんと言えば、『海のしろうま』などで知られる「海の童話作家」の第一人者で、もはや大ベテランと言っていいでしょう。帯に「『海のコウモリ』『カモメの家』に続く 山下明生が描く自伝的少年小説」とあったのに、まず目を惹かれました。幼年から中学年向けが多い山下さんの作品の中で、この二作はかなりの長編の小説的な作品で、『海のコウモリ』はアニメにもなっています。三部作ということになるのでしょうが、『カモメの家』が出たのはかなり前です。調べてみたら1991年だったので、実に30年ぶりに完結ということになったわけです。

 とにかくおもしろかった。かつて『海のコウモリ』を読んだ時、それまでの山下作品とは違う小説的なテイストにややとまどった覚えがありますが、今回は中学一年生の主人公が、学校の前の川でいきなり死体を発見するという出だしから、一気に引き込まれました。「ベテラン健在」などと言ったら失礼になるでしょうが、これこそ“末強”でしょうか。

【初仕事は、】

・さて、初仕事の方ですが、頭脳労働(?)の方では、締め切りをとっくにとっくに過ぎていた、「戦後日本の児童文学の歴史を、400字15枚で書く」という、ある事典のための原稿を書いたことでしょうか。どうすればその短さに収められるかと気になりつつ、昨年は協会の資料集のことに頭を取られて、なかなか手を付けられないでいましたが、資料集が終わったので、ようやく着手。しかし、最初の原稿は1960年代までで10枚になってしまい、「少し長くできないか」と編集担当に打診してみたのですが、「無理」とのこと。そこからは、意外に一気に進みました。こんなことなら、もっと早く手を付けていれば迷惑をかけないで済んだな、と思ったのですが、これは皆さんも経験があるでしょうが、一見何もしてないような助走期間があればこそ、できたのだと思います。まあ、言い訳半分ですが(笑)。

・そして、肉体労働の方です。こちらもずっと気になりつつ、でしたが、『日本児童文学』のバックナンバーなどを置いてある倉庫の整理。倉庫とはいっても実際は1Kのアパートで、僕の家から車で7、8分のところ。1997年に機関誌が協会の自主発行になった際に、バックナンバーを保管する倉庫が必要になりました。ただ置いておけばいいわけではなく、注文があった場合には対応しなければなりません。発売をお願いしている小峰書店が新しいものには対応してくださいますが、古いバックナンバーなどは協会自身が対応しなければなりません。もちろん倉庫を置いて専属のスタッフを置くなどという余裕はないので、僕の家の近くのアパートを一室借りて(埼玉の結構奥なので、2万円台で借りられるのです)、そこに並べていくわけですが、この体制になってからもう二十五年近くになりますから、なかなか整理が追いつきません。古いバックナンバーは多少の保存分を残して、泣く泣く(?)処分してスペースを作り、新しいものを並べるという作業が何年に一度か必要なわけで、ようやく取りかかったところです。ただ、いつまでも僕の家の近くにというわけにはいかないので、この後どうするのか、頭の痛いところです。

 とはいえ、ともかく、気にかかっていた二つのことができて、まずは悪くない初仕事になったような気がしています。

2022/01/15

56、「三年日記」の三年目です(2022,1,5)

 【新しい年を迎えて】

・2022年、会員の皆さんはいかがお迎えだったでしょうか。僕は、一昨年までの年末年始は、非常勤講師として担当していた東洋大学の創作の授業の提出作品をすべて読んで(2コマで300編以上!)コメントを書くという(年明けに返却するために)、すさまじい年末年始だったのですが(1年前のこの日のブログにそのことを書きましたが)、去年からは解放され、大晦日も元日も、息子や娘婿とおいしいお酒をたくさんいただきました。その時ふと気がついたのですが、お酒(ビールと焼酎でしたが)を飲むペースが、40代の彼らより、僕が一番早いのです。僕はお酒は弱くはないと思いますが、そんなに強いというほどでもなく、要するに「ゆっくり味わう」という飲み方ができないのですね。70歳を越えているわけですから、(今さらですが)もっと“大人”な飲み方を心がけなくては、と思ったりしました。

・今年の“初読み”は、年賀状と一緒に元旦のポストに入っていた(前日の遅めに届いていたのかもしれませんが)信州児童文学会(協会の信州支部)から送られてきた『とうげの旗』の別冊、高橋忠治さんの追悼号でした。高橋さんは詩人として、また信州児童文学会の中心的存在として活躍された方で、協会の60周年の学習交流会の時に、あまんきみこさん、西内ミナミさんと並んでお話をされたので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。その時の聞き役は僕でした。そんなご縁もあり、僕も追悼文を書かせていただいたのでした。高橋さんには毎年の年賀状に書かれた自作詩をまとめた『だいじなものは』という詩集(「年賀状詩集」と銘打たれています)もあります。高橋さんからの年賀状をいただくことはもうないわけですが、懐かしい想いで追悼集を手にしました。

【さて、「三年日記」のことです】

・新年と共に改まるものといえば、まずはカレンダーでしょうか。僕はスケジュールに関しては、数年前から紙の手帳は使わなくなり、スマホのカレンダーに予定を書き込んで使っています。そんなにハードなスケジュールでもなし、これで充分なわけですが、なくすと困るし(それについては前科が何度かあるので)、小さな卓上カレンダーに予定を書き込んで、机の目の前で見えるようにしています。あと、横を向けばすぐ見えるように、2ヵ月分が見える形のカレンダーに仕事の締め切りを書いて、貼っています。

・そして、僕は一昨年から「三年日記」というのをつけています。年が改まったところで、また最初のページに戻ったわけです。三年日記の三年目です。

 僕は人生の中で(?)日記をつけたという経験はほぼなくて、例外は高校生の時の三年間でした。毎日というわけではなく、胸の中でもやもやしたことがあった時に書きつける、まあ青春ノートといった感じだったでしょうか。以来、日記を書こうと考えたこともありません。「面倒くさい」としか思えませんでした。それが一昨年つけ始めたのは、銀の鈴社さんから(そこのアンソロジーの編集委員などの仕事をしている関係もあり)同社発行の「三年日記」をいただいた、というのが、直接のきっかけです。但し、1月からではなく、4月28日から書き始めています。

・今思い出すと、僕はその年の3月までは、三つの大学の非常勤講師を務め、協会の事務局に行く日もありましたから、ウィークデーはほぼ出かけていました。それが定年で講師を辞めたことで、まあかなりフリーになったわけです。曜日のしばりがなくなると、下手をすると2、3日、なんだかわからないうちに過ぎてしまう、という感じになります。「これはいかん」と思い、年末にいただいた「三年日記」を書き始めてみよう、と思い立ったような気がします。ちなみに、三年日記というのは、A5判の1ページが二日分になっていて、上下三段に分かれているので三年使えるわけです。ですから、一日分のスペースはごく小さいので、日記というより日誌という感じでしょうか。

 その書き始めの2020年4月28日ですが、(ちょっと恥ずかしながら)「ボウコウ炎らしい症状発症。夜に尿に血が混じる」と書かれています。そうなのでした。初めてのことでいささか不安でした。そして、次の4月29日は(更に恥ずかしながら)「カミさんを車で送り、その帰り駐車場で向かい側の車にぶつけてしまう。不動産屋のHさん(ここは実際は名前が入ってます)に電話」とあり、翌30日は不動産屋からぶつけた相手を聞いて電話で謝ったり、保険会社に連絡を取ったり、午後から病院に行ったり(やっぱりボウコウ炎でした)と、かなりに忙しい日。そして、次の5月1日が初孫誕生(娘が結構前から実家に帰ってきて、近くの病院でした)と、なかなかに波乱万丈の日々でした。

・書き始めがそんな具合だったせいかどうか、多分長くは続かないだろうという僕の予想は外れ、三年目に突入したという次第です。この日記のいいのは、上記のように一日分のスペースが小さくて負担にならないし、一年前、二年前と比べられる、というところが、おもしろい。来年は(今から?)ちゃんと買い求めて、二冊目の「三年日記」も続けようと思っています。

 さて、今年一年どんな文字が並ぶことか。日々いい報告が書けるよう、まずはがんばりたいと、新年の“決心”です。(初詣のおみくじの〈学問〉の項に「決心が足りない勉学せよ」とありました。)

2022/01/05