藤田のぼるの理事長ブログ

2021年10月

49、イヌ派か、ネコ派か?(2021,10,25)

【気がもめる一週間に……】

◎衆議院選挙が告示され、投票日まで一週間となりました。投票日が公開研究会の日と重なりましたが、ご参加の皆さんは(特にリアル参加の方は)期日前投票を済ませた上でご参加いただければと思います。もちろん、僕もそのつもりです。

 それにしても、自民党総裁が変わったと思ったら、とにかく急げという感じの解散、総選挙。新政権があまり突っ込まれないうちに、野党の共闘体制が整わないうちにという思惑だけがミエミエで、充分な選択肢を示したうえで国民の審判を仰ぐ、といった姿勢がカケラも見えません。特に第二次安倍政権以来、国民は「政治なんて、そんなもの」という場面をあまりにも見せられてきていて、今さらそんなことに驚いたり怒ったり、ということができなくなっているように思えます。これこそ危機ですね。 選挙の行く末に加えて、僕はロッテの51年ぶりの「優勝」も気にかかり(何度か書きましたが、僕は60年来のファンです)、大いに気がもめる一週間になります。もちろん、公開研究会の成功を願いつつ、ですが。

 その公開研究会ですが、リアル参加が60人、リモート参加が110人を越え、まずまずではあるのですが、特にリモート参加はもっと増えてもいいはずなので、お申し込みがまだの方はもちろん、すでに申し込まれた方も、今からでも関心のある方にお勧めいただければと思います。

【イヌ派か、ネコ派か?】

◎突然ですが、ペットのなかでイヌとネコのどっちが好き?というのが、よく話題になりますね。なぜ今回こんなことを書こうかと思ったかというと、我が家にはネコが一匹住んで(?)いますが、月に一回、イヌもやってきます。というのは、昨年の5月に生まれた初孫が、というか、都内に住んでいる娘の一家が、月に一度泊り掛けで遊びにやってきます。この週末もそうでした。その際に、人間3人に加えて、飼っている犬も連れてきます。(猫も飼っているのですが、一晩なので置いてきます。)つまり、月に一回、犬と猫がいる状況になるわけです。猫はもちろん?歓迎しません。体の大きさはどっこいどっこいですが、猫の方はもともと自分の縄張りですから、威嚇して近寄りがたい雰囲気を漂わせています。

◎僕は子どものころ、犬も猫も飼ったことはありません。秋田の田舎でしたが、犬とか猫とかを飼っている家というのは、あまりなかったように思います。そんな余裕がなかった、ということでしょうか。一度だけ中学生の時に、兄の嫁さんの実家で飼っている犬を、お母さんが入院して留守になるというので、預かったことがあります。二カ月くらいだったでしょうか。初めて犬の散歩をしたりしましたが、やはりそもそもなじみがないせいか、今に至るも犬も猫もそれほど好きという感じはありません。

 昨年孫を出産した下の娘が小学生の時、僕がファンタジー大賞の選考で小樽に行っていた時に、カミさんからメールが届き、「犬を飼ってもいい?」というメールでした。おいおい、と思いました。スーパーマーケットの掲示板に、虐待されたり、引き取り手のない犬を預かっている所の張り紙があって、それを見た娘とカミさんがそのうちの一匹を引き取りたい、という話でした。もともとカミさんの方は、実家で犬も猫も飼っていたことがあり、こういうチャンスを狙っていた?節があります。

 こんな時、「だめだ」と返信するほど、僕の神経は太くありません。結局一匹のトイプードルを飼うことになりました。すでに六歳で、前の飼い主に虐待されたのか、最初はオドオドというか、こっちがなにか長い棒のようなものを持つととたんに逃げ出すような感じでした。そして、六年間ほど暮らし、死にました。犬の葬式というのも、初めて体験しました。

 それから、そんなに間が経ってない頃、娘が今度は友だちからもらったといって、猫を連れてきました。二年ほど前のことで、それが今いる猫です。散歩に連れて行かなくても済むのはいいですが、カーテンとか畳とか、ふすまとかはズタズタです。

◎僕がそういう経験を通して、犬や猫を好きになったかというと、まあ慣れたことは確かですが、「好き」とまではいかない気がします。ただ、猫を見ていて思うのは、それまで写真などで見ていた猫独特の(確かに優雅ともいえる)ポーズを、本当にするのだなあ、という当たり前の発見。犬の時はそんなに思いませんでしたが、やはりこれは本来野生のものなんだなあ、という感じを強く受ける時が少なくありません。

 そんなわけで、僕はイヌ派でもネコ派でもありませんが、どっちとも同居した体験を通して、両方の気持ちは少し理解できるようになったかもしれません。というわけで(?)ということは全然ありませんが、『日本児童文学』の今度の11・12月号の特集は「ファンタジーの猫」。創刊以来75年、猫とついた特集はこれが初めてでしょう。ちなみに、犬は2017年3・4月号で、「犬と暮らせば」という特集を一度やっていますから、これでアイコ(?)になったわけです。この時は僕も編集委員でしたが、編集委員の中に、名うての?イヌ派の今西乃子さんがいました。そして、今の編集委員会には、生粋の?ネコ派の間中ケイ子さんがいます。ネコ派の方はもちろん、イヌ派の方も、僕のように中立?の人も、初めての“猫特集”をぜひ楽しみにしてください。

2021/10/25

48、僕の先生遍歴(2021,10,16)

【一日遅れとなりました】

◎ブログ更新日(5の日)の昨日でしたが、午前中は高田馬場のフラワーデザイン学院に、そこから神楽坂(地下鉄東西線で二駅です)の協会事務局に行って、2時から理事会(リモート)、そして夕刻から再びフラワー学院に戻って、理事長の池田さんと久しぶりに一杯やりました。前にも書いたかと思いますが、フラワーデザイン学院は協会の講座や会合等でも使っていたので、覚えがある方もいらっしゃるかと思います。児童文学学会の例会なども、以前はここが会場でした。

 フラワーの学校がなぜ児童文学かというと、ここの理事長の池田さんが同じ高田馬場で最初に開校したのが児童文化専門学院という専門学校でした。彼は僕と同年代で、この時まだ三十歳そこそこだったと思います。児童文学科の学科長が安藤美紀夫さんで、安藤さんから言われて、開校2年目から僕はそこの講師として週一回出向くようになりました。協会事務局に入って3年目くらいのことで、僕も三十代前半でした。その後協会事務局員になった奈良規子(結婚して赤木規子)はここの卒業生ですし、現事務局員の宮田さんも、ここの夜間講座の出身です。

 ただ、その児童文化専門学院は認可がとれず、その後池田さんはフラワーデザインの専門学校を設立して、認可を得ました。そんな関係で、僕はフラワーデザインの学校になってからも、理事としてお手伝いしてきました。ですから、池田さんとは四十年来の付き合いです。フラワーデザイン学院は、残念ながら二年前に閉校となりましたが、同年代の池田さんが若くして学校を設立し、理想主義的といえるようなカリキュラムで学生を育て、送り出すのを、ずっと見てきました。そんな“昔話”をしながらの、昨日のお酒だったわけです。

【で、僕の先生遍歴ですが】

◎僕は、29歳の時、小学校教員をやめて協会の事務局員になったわけですが、第一には児童文学に専念したかったということは確かですが、もう一方で、小学校教員という仕事に行き詰っていたというのも、正直ありました。我が家は学校の先生の家系で、兄弟6人のうち僕も含めて4人が先生でした。ですから、一番馴染み深い仕事でしたし、学生時代セツルメントという子どもたちとつきあうサークルにいたこともあり、言わば自信満々で小学校の教員になったわけです。しかし、やっぱり現実はそんな甘いものではなく、僕は自分が「人を育てる」仕事には向いてないのではという思いを抱くようになりました。やや大げさに言えば、教師としての挫折感を味わったわけです。正直、教員を辞めることになって、ホッとした思いもありました。もう先生という仕事とは縁が切れたと思いました。

 ところが、上記のように、それから3年後に専門学校の講師という声がかかって、やや迷いましたが、やってみることにしました。結果としては、とても楽しいものでした。まあ、小学校の授業に比べれば、児童文学の作品を読んだり、それについて話をしたりということで、楽だし、学生の読み方から新鮮な刺激を受けることも少なくありません。ああ、やっぱり僕は教えることが好きなんだな、と思いました。

◎その後、淑徳短期大学の国文科で10年ほど、その後、2、3年のブランクがありましたが、聖学院大学、東洋大学、学習院女子大学で、講師を務めました。学習院以外は、いずれも講義科目の児童文学だけでなく、創作の実技的な指導もしてきました。最後は三つの大学に行っていたので体力的にはしんどい面もありましたが、精神的にそんなにきつくなかったのは、やはり教えることが嫌いではなかったから、だと思います。特に創作の授業では、こちらの助言で作品が見違えるようになったりすると、やりがいも感じました。

 淑徳短大の講師をしていたのは、三十代から四十代前半にかけてですが、その時期は団塊ジュニアの学生が入学してきていて、学生数が膨らんだこともあり、一年だけですが、非常勤ながらゼミも担当し、その学生たちとは今も交流があります。数年前ですが、その一人が(もう四十代になっていますが)小学校の司書の仕事を始めますという手紙をくれて、その採用試験の時に一つの作品を子どもたちに勧めるブックトークをするというのがあったらしいのですが、「先生の『みんなの家出』にしました」と書いてあって、先生冥利だなと思いました。

 大学の講師はほとんどの大学が70歳定年で、僕は一昨年度で終了でした。さすがに学生との世代間ギャップを感じることが多く、まあ退き時だなという思いもあったので、ちょうど良かった感じです。でも、そんな長かった「先生」としての原点が小学校教員時代であるとともに、児童文化専門学院での講師としての体験だと思っているので、そんなことを思い出しながらの(話題の中に昔の学生のことなども入ってきますから)昨日の“一杯”でした。

2021/10/16

47、地元商店街のこと(ドラマ撮影の話)(2021,10,5)

【まずは、31日の公開研です】

◎31日の公開研究会ですが、会員の皆さんには9月の会報と一緒にご案内を送りましたが、その時点では(リアル参加とリモートを組み合わせた)ハイブリッド開催にするか、あるいはコロナの状況によっては無理をせず全面リモートにするか、5分5分くらいかなと思っていました。その後思いの外感染者の数が減少し、9月末の会議でハイブリッド開催にすることを決めました。このことは、すでに協会のホームページの「お知らせ」欄でお伝えしています。参加について様子見の方も少なくなかったと思いますが、リアル、リモートいずれでも、ぜひご参加ください。

 実は、上記の9月末の会議では、感染対策として、参加者全員にその場で抗原検査を実施しようという話になっていました。ただ、この点も含めて理事や各部の部員の皆さんにお伝えしたところ、抗原検査について、「その場で」といっても、飛沫などのリスクがあるが対処できるか、また万一陽性が出た場合(その方は公共交通機関も使えないわけで)どう対応するのか、といった指摘があり、正直そこまで想定していなかったので、急きょ参加者の抗原検査というのはとりやめました。感染対策ということで、なんでも並べればいいものではなく、いろいろな場合をきちんと想定して準備することの大切さを改めて学ばされた思いでした。

【それで、地元商店街の話です】

◎話はガラッと変わって、ついこの前、ちょうど上記の会議のあったあたりですが、地元の商店街の駐車場に車を止めようとしたら、なぜか全部空いていて、「撮影のため駐車はご遠慮ください」という貼り紙がしてあります。商店街は僕の家から歩いて2、3分という近さで普段は車を使う必要はないのですが、その日は宅急便を出すため荷物を積んでいたので、車を止めようとしたのでした。

 僕が住んでいるのは、埼玉県の結構奥ですが、4、50年前に小高い山を造成して作った、いわゆる住宅団地です。僕はそこに住んで二十数年になりますが、引っ越したときはほとんどの店が営業していましたが、ご多分に漏れず、今はシャッターを下ろしている店も少なくありません。といっても、全部で二十軒もないかという小さな商店街です。その中に本屋さん(兼文房具屋さん)もあり、僕は急がない時はそこに本を注文したりもしています。今は少なくなった昔ながらの町の本屋さんというたたずまいなわけです。

◎その本屋さんが、一年前くらい前か、テレビのドラマの撮影で使われたのです。今検索したら、今年の1月ですね。上白石萌音主演の「オー!マイ・ボス」で、彼女の実家が本屋という設定だったようです。撮影は多分何度かあったと思いますが、僕も一度スタッフがカメラを回しているのを(ロケハンだったかもしれませんが)見かけました。

 それで、今回もまたなにかのドラマでその本屋が使われたのかと思ったら、2、3日前に配られた自治会の会報にそのことが載っていて、今度撮影の舞台になったのは商店街の中にある小さなスーパーで、今度はNHKのドラマだったようです。この商店街は、言わば時代から取り残されたようなところで、逆に言えば一昔前のいかにも商店街という感じだし、都心から高速を使えば一時間半くらいなので、距離としても局の負担にならないのかもしれません。住宅団地というのは一斉に入居しますから、今は高齢化が問題になり、空家も少なくないのですが、そのうち撮影のメッカになって脚光を浴びるかもしれないなどと、ちょっと思ったりした今日この頃でした(笑)。

2021/10/05