藤田のぼるの理事長ブログ

74、那須さんを偲ぶ会が終わりました(2022,7,16)

【一昨日、偲ぶ会でした】

・ネットのニュースなどでもかなり流れたので、ご覧になった方もいらっしゃると思いますが、一昨日、7月14日、那須正幹さんを偲ぶ会が東京會舘で行われました。本来なら、昨日が15日でしたから、すぐにも報告をアップするべきところでしたが、さすがに疲れて、昨日は一日ぐったりしていました。おまけに、夜の会食(偲ぶ会自体は、コロナのことがあり、飲み食いなしでしたが、夕刻、那須さんのご家族を囲んで、発起人とポプラ社のスタッフとで、懇親会でした)の後、帰宅して寝る前に鏡を見たら、ぐらついていた歯のところが腫れていて、翌朝になってもっとひどくなり、午後に急きょ歯医者に行ったら、結局抜く羽目になりました。余計にぐったりでしたが、これが一昨日でなくて良かったなと思った次第でした。

・さて、偲ぶ会ですが、東京會舘のかなり広い会場に(300人位は楽に座れそう)、間隔をあけて椅子を並べ、120人ほどの参会を得て、午後1時から始まりました。僕は発起人を代表して「開会あいさつ」というお役目でした。僕は結構“緊張しい”なのですが、まずまず頭の中にあったことを、言えたような気がします。

 その後、やはり発起人の中から、同人誌『亜空間』で一緒だった肥田美代子さん、『絵で読む広島の原爆』などの絵本を共に作った画家の西村繁男さん、そして俳優の原田大二郎さんのスピーチでした。原田さんは「ズッコケ三人組」の映画に出演したことがきっかけで那須さんと知りあい、同郷で魚釣りが趣味といった共通点もあり、「50を過ぎて、こんなに親友づきあいできる人が現れるとは思わなかった」というほどの親交を結ばれました。二人が一緒の時の場面など、さすがに臨場感たっぷりでした。

・その後、司会の村上信夫さん(元NHKアナウンサーで、村上さんが山口放送局にいらした時に、やはり親交を結ばれました)が持っておられた那須さんのインタビューの録音の一部を会場に流し、その後、那須さんの「読者代表」、一緒に仕事をした画家さんや編集者からの思い出が語られました。

・那須さんには四人のお子さんがいらっしゃるのですが、今回の偲ぶ会には、美佐子夫人はもちろん、ご長男、ご長女(とお連れ合い)、ご次男の三人が参加され(次女の方はご都合で残念ながらご欠席でした)、ご長男は四人のお子さん(つまり、那須さんのお孫さん)も連れてのご参加でした。一番下のお嬢さんが昨年の6月生まれということで、まだ一歳なわけですが、7月に亡くなった那須さんはコロナのために会うことができないままだった、ということでした。そのご家族がズラッと並ばれて、美佐子夫人からのご紹介があり、ご挨拶がありました。最後にポプラ社の千葉社長から閉会のご挨拶があり、献花に移りました。

・「那須家」としてのご葬儀やお別れ会ではないので、出口の所に、ご家族とともに、僕や千葉社長も並んでご参会の方たちにご挨拶しましたが、ほとんどの参加者が、美佐子夫人にこもごも那須さんとの思い出を語り、僕は隣に立っていましたが、美佐子夫人は(初めて会う方も多いわけですが)ちゃんと一人ひとりの関係性を把握している感じで、その点もさすがだなあと、那須夫妻のありようを思ったことでした。

【マスコミ関係の方たちも】

・偲ぶ会でちょっと驚いたことの一つは、マスコミ関係の取材が多かったことで、新聞社、テレビ局など、13社がきてくれました。さすがは那須さんだと感じました。帰りにスマホで検索したら、僕の開会あいさつや、NHKのニュースでは、原田さんと共に僕の写真も載っていて、こんな時に「うれしい」という表現は適切でないかもしれませんが、昨年の秋ごろから、かなりの時間をかけて準備してきたことだけに、本当にいい会になってよかったなと思えましたし、つまりはそれは那須さんの人徳、ということに尽きるのでしょう。

 これまで僕は、協会関係の方の、ご葬儀、お別れ会、偲ぶ会などに、かなり関わってきましたが、(比べるわけではありませんが)忘れられない会になったと思っています。

2022/07/16