講座ブログ

2022年2月

公募入選 おめでとうございます ④

子どもの頃の私が誘った      瀬川青加

 

怖いものは苦手です。テレビで怖いものの特集をしていると、慌ててチャンネルを変えます。でもこれは大人になってからのこと。子どもの頃の私はホラーマンガを書店で立ち読みしすぎて、書店のおばさんから「あなたはもうおしまい」と言われたこともあるくらい、怖いものが大好きでした。子どもたちに向けてお話を書くとき、私の心も子ども時代に帰っていきます。今回の「5分ごとにひらく恐怖のとびら 百物語」第二期の募集を知ったときも、子どもの頃の私が「書いてみなよ」と誘ったのでした。また、第69期の創作教室の仲間からも「応募してみたら?」とお声をかけていただいたことも背中を押してくれました。

 

その創作教室に参加させていただいていたときに書いた、原稿用紙十枚ほどのお話がありました。これが募集されているテーマのひとつに応募できるのではないかと考え、枚数を増やすことにしました。そのときに気をつけたのは、講師の先生と仲間の皆様からいただいた評価を思い出すことでした。そして、子どもたちが読んでくれたときに、余韻が残るようにと努めて書いてみました。

 

結果。採用通知の封書が届いて、ものすごく嬉しかったです。今でもその通知は、父の遺影の前に飾ってあります。創作仲間の皆様からも、お祝いのお言葉をいただき、とても嬉しかったです。仲間の皆様も採用されていて、励みにもなりました。過去に出版に携わったことや、雑誌に掲載されたことはありましたが、自分の創作作品が本になるのは初めてのこと。正直に書きますと、このまま芽が出ないのかと悩んでいたこともありましたが、ここから第一歩が始まるのだと、身が引き締まりました。選んでいただき、大変光栄です。本当にありがとうございました。これからも書き続けていこうと思います。

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2022/02/10

公募入選 おめでとうございます③

はじまりの扉  小林史人

都内神楽坂某所、雑居ビルの五階にその事務所はありました。エレベーターを降りると小さなホールに出るのですが、そこは昼間でも薄暗く、なかなかにあやしい雰囲気です。湿気を含んだ薄暗がりに目を凝らすと、奥に「児童文学者協会」のプレートが貼られた鉄扉が浮かび上がってきます。質実剛健。なんの衒いもない造り。昭和の時代にタイムスリップしてしまったかのような佇まいです。

 僕がその扉——日本児童文学者協会の扉を叩いたのは2018年の秋、もう三年以上前のことです。第68期創作教室、その初日の講義に出席するためでした。

 当時の僕は四十八才。この歳になってこんなに夢中になれることが見つかるなんて思いもしませんでした。昼間、仕事の合間にメモしたアイデアを寝る前に文章に起こし、早起きしては推敲しました。文字通り寝る間を惜しんでの奮闘です。とはいえ出来上がった作品は未熟もいいところ。それ以前に物語を最後まで書き切ることがこんなに大変だとは知りませんでした。

 それでも書いては消し書いては消しを繰り返して、なんとか完成した作品を抱えて神楽坂へ向う時の充実感そして不安な気持ちは忘れません。

 教室での講義は合評形式で行われます。集まっているのはそれぞれ志を持って受講生ばかりですから、講師の先生も真剣勝負です。社交辞令だけでは済みません。鋭い指摘や時には厳しい言葉が飛び交います。ヘコむことがなかったと言えばウソになりますが、僕の場合とにかく自分の作品を読んでもらえることが嬉しくて仕方なかったです。何を言われても書いて書いて書きまくりました。

 創作教室では性別や年齢、仕事や家庭の状況、全て関係ありません。文章の巧拙だって関係ないのです。必要なのはただ一つ、創作への熱意だけ。それさえあれば素晴らしい経験ができること請け合いです。僕自身、創作の苦しみと喜びを知りました。己の未熟さと可能性を知りました。素晴らしい先生方や作品の数々、仲間たちと巡り合いました。そして、そこで得た学びや絆は今もさまざまな形で僕を支えてくれています。

 早いもので、創作教室を卒業してからもう二年が経とうとしています。そのあともずっと書き続け、最近ようやく手ごたえのある作品を書けるようになってきました。

 そしてこの度「5分ごとにひらく恐怖のとびら 百物語」第二期に入選することができました。とても嬉しいです。

応募する際に気をつけたことは山ほどありますが、ここではとっておきの秘策を一つ、そっとお教えします。どんな公募にも通ずるもので、これさえ守っていれば必ず目標が叶うという優れものです。

 それは……

「書き続ける」です。

 なーんだとお思いでしょうか? ですが、これは僕が創作教室で繰り返し学んだことです。そしてこれ以上強力なメソッドを僕は知りません。

 このメソッドを信じて僕はこれからも書き続けていくでしょう。

 全てはあの扉を叩いたことから始まったのです。

第68、69、70期創作教室受講生 

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2022/02/07

公募入選、おめでとうございます ②

駅伝の如く   空 千佳子

 

出発点は、二十年ほど前の満月の夜。子どもたちを守りたい、という強い思いに駆られた。その数年後に、日本児童文学者協会に入れていただき、一日講座や実作通信講座を受講した。

多くの尊い同志と学び合い、無数に応募し無限に落選。締切りに追われ、目が回る日々。

「頑張ろう!」「もっと頑張ります!」「頑張りましょう、次回こそ!」

言い飽きるほど言ったし、聞き飽きるほど聞いた。

なぜ、頑張ってるんだっけ? ねえねえ、頑張るって何⁈

でも、『5分ごとにひらく恐怖のとびら 百物語』第二期に応募して、ようやく気が付いた。今まで、頑張っているフリをしていただけだった、と。

本当は、締切り二週間前に、一作品だけで応募しようとしていた。

ところが、あることが引き金になり、ひとり駅伝モードに突入。

「お前はもっと頑張れる」「俺はまだ生きてる」「お前、走れ!」「俺、走る~っ!」

もう踏ん張れないという時点から、更に踏ん張ってみた。初めての体験だった。

ギリギリで、三作品に増やして応募し、秋に結果が出た。

二週間で書き上げた内の一作品だけが入選し、残りの二作品は落選。

嬉しさ半分、焦り半分。なんで、ひとつだけ? 他のふたつは、なんで、だめ? 

いやいや、おごるなかれ。『三分の二は圧倒的に実力不足』というメタファーなのだ。

今、静かに、出発点の自分と向き合う。微力でも書き続けたい。子どもたちを守りたい。

すぅう、はぁあ……呼吸を整え、次の駅伝へ。

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2022/02/04

公募入選、おめでとうございます

日本児童文学学校に感謝 小川メイ

わたしは2013年に41期の日本児童文学学校を受講しました。大学で児童文学を勉強しましたが、卒業して何年も経っていましたし、そもそも忘れっぽいこともあって、学びなおしたいと思ったことがきっかけです。普段はそんなに方向音痴ではないのですが、高田馬場という場所は自分の中の方位計がくるうらしく、会場に向かう度に、道に迷っていました。「ビルが多すぎて今どこにいるのかわかりゃしない。これだから都会は」などとぶつぶついいながら、地図を片手に坂をのぼったりくだったりしたことを思い出します。懐かしいです。その時に一緒に受講した仲間と、月一回の合評会を続けています。

この度、日本児童文学者協会と文渓堂の共同企画『5分ごとにひらく恐怖のとびら 百物語(第2期・仮題)』に応募し、ショートショートの部で2作品を選んでいただきました。ありがとうございます。

この公募への挑戦を決めたのは2021年の1月のこと。何作でも応募可ということでしたので、できるだけたくさん書こうと思いました。応募する前にだれかに読んでもらいたい。でも合評会は1人1作品までです。3月が締め切りなので、2月と3月を合わせても2作品しか出せない。むむむ……。そこで、わたしはずるをして、3作品を掌編集にして1作品として提出し、2月と3月の合評会で計6作品を読んでもらいました。みなさん優しいので、なにもいいませんでした。そして、そのうちのテーマに合ったものだけ応募しました。入選一覧に著名作家の皆様のお名前を拝見し、首をひっこめたカメのように縮こまっております。

新型コロナウイルスの流行前は、ずっと対面で合評を行ってきました。2020年3月から6月はやむを得ず中止にしましたが、7月からZoomを使ってオンラインでの合評を開始しました。最年長の方は89歳ですが、毎月Zoomで参加されています。物語を紡ぐ目的はそれぞれで、プロ志向の方ばかりではありません。でも、歩んできた人生が一人一人違うように、その人にしか書けない物語があり、そういう作品を読むことが毎回楽しみでもあります。

素敵な仲間と引き合わせてくださった日本児童文学学校に感謝しています。

 

公募

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2022/02/02