はじまりの扉 小林史人
都内神楽坂某所、雑居ビルの五階にその事務所はありました。エレベーターを降りると小さなホールに出るのですが、そこは昼間でも薄暗く、なかなかにあやしい雰囲気です。湿気を含んだ薄暗がりに目を凝らすと、奥に「児童文学者協会」のプレートが貼られた鉄扉が浮かび上がってきます。質実剛健。なんの衒いもない造り。昭和の時代にタイムスリップしてしまったかのような佇まいです。
僕がその扉——日本児童文学者協会の扉を叩いたのは2018年の秋、もう三年以上前のことです。第68期創作教室、その初日の講義に出席するためでした。
当時の僕は四十八才。この歳になってこんなに夢中になれることが見つかるなんて思いもしませんでした。昼間、仕事の合間にメモしたアイデアを寝る前に文章に起こし、早起きしては推敲しました。文字通り寝る間を惜しんでの奮闘です。とはいえ出来上がった作品は未熟もいいところ。それ以前に物語を最後まで書き切ることがこんなに大変だとは知りませんでした。
それでも書いては消し書いては消しを繰り返して、なんとか完成した作品を抱えて神楽坂へ向う時の充実感そして不安な気持ちは忘れません。
教室での講義は合評形式で行われます。集まっているのはそれぞれ志を持って受講生ばかりですから、講師の先生も真剣勝負です。社交辞令だけでは済みません。鋭い指摘や時には厳しい言葉が飛び交います。ヘコむことがなかったと言えばウソになりますが、僕の場合とにかく自分の作品を読んでもらえることが嬉しくて仕方なかったです。何を言われても書いて書いて書きまくりました。
創作教室では性別や年齢、仕事や家庭の状況、全て関係ありません。文章の巧拙だって関係ないのです。必要なのはただ一つ、創作への熱意だけ。それさえあれば素晴らしい経験ができること請け合いです。僕自身、創作の苦しみと喜びを知りました。己の未熟さと可能性を知りました。素晴らしい先生方や作品の数々、仲間たちと巡り合いました。そして、そこで得た学びや絆は今もさまざまな形で僕を支えてくれています。
早いもので、創作教室を卒業してからもう二年が経とうとしています。そのあともずっと書き続け、最近ようやく手ごたえのある作品を書けるようになってきました。
そしてこの度「5分ごとにひらく恐怖のとびら 百物語」第二期に入選することができました。とても嬉しいです。
応募する際に気をつけたことは山ほどありますが、ここではとっておきの秘策を一つ、そっとお教えします。どんな公募にも通ずるもので、これさえ守っていれば必ず目標が叶うという優れものです。
それは……
「書き続ける」です。
なーんだとお思いでしょうか? ですが、これは僕が創作教室で繰り返し学んだことです。そしてこれ以上強力なメソッドを僕は知りません。
このメソッドを信じて僕はこれからも書き続けていくでしょう。
全てはあの扉を叩いたことから始まったのです。
第68、69、70期創作教室受講生