今こそ読破を 石井英行
『失われた時を求めて』マルセル・プルースト
これをテキストに挙げることに、今更何を、と思われるかもしれない。しかし、待ってほしい。というのは、忌々しいほどに長いこの小説を、いったい何人の人が通読しているだろうか。多くの人たちが途中で、いや、数ページで挫折していることを知っている。だから今、プルーストなのだ。かく言うぼくも、実は二度挫折している。
「この世界には、二種類の人間がいる。それは失われた時を求めてを読んだことのある人間と、読んだことのない人間である」一度目の挫折の後の高校を卒業する頃だから、今では思い出しようもないのだが、何かの記事でこんな趣旨の文章を読んだ。今にして思えば全くばかばかしいレトリックなのだが、本好きの青少年にとっては何とも刺激的なプロパガンダであった。
そのころ(1960年代後半)、出版の世界では「○○全集」「○○百科事典」と言うのがたくさん出ていた。今でも個人全集は引きを切らないが、その頃はぼくも少ない小遣いの中から、毎月発売になる世界文学全集を購読していた。全巻を予約していたので、黙っていても家に届く。本屋さんが配達してくれていたんですね。良い時代だったなあ。支払いはその時に現金。ぼくは昼間は留守なので、受取りの時は、祖父母が立て替えてくれていた。毎回とはいかなかったが時々はちゃっかりと踏み倒した。まあ、かわいい孫であるし、よく本を読む高校生は祖父母の自慢でもあったから、言ってみれば祖父母孝行であったかもしれない、と勝手な理屈を付けている。閑話休題。
その中の一冊に「花咲く乙女のかげに」が有った。題名もなんとなくロマンチックであったので、さっそく読んでみた。ところがさっぱり分からない。話しは進まないし情景ばかりがやけに詳しく書かれているが、そのイメージは全く湧いてこない。しかも解説をよく読むと、それは長い長い物語の途中の話しではないか。それなら最初から読めばもう少し理解出来るはずだ、と思い、翌日さっそく学校の図書館へ行ってみると、十数巻がズラリと並んでいるではないか。意気込んで借り出した。しかもその貸し出しカードを見るとなんと憧れの先輩の名前が記されているではないか。さっそく教室に持て来て取りかかるが、これまたさっぱり。我が家にある一巻よりもさらに分からない。回りくどい。お手上げでカバンの中にしまい込むと、あっという間に一週間だ。次の週、読んだふりをして第二巻を借りにゆき、それを取り上げて図書カードを見ると、先輩の名前がない。念のため三巻目も見てみたがやっぱりない。先輩の名前どころか全て空欄である。なあんだ、誰も借り出してはいないのだ。ホッとしたことを覚えている。
冒頭の文章が気になっていたものだから、大学生になりたての頃、退屈な授業を抜け出して再チャレンジを試みた。大学の図書館へ。しかし、挫折はすぐにやってくる。ぼくはこの世界的な名作を読める能力は持ち合わせていないのだ。そう思ってどんなに落ち込んだことか。しかも忘れもしない。図書館のシリーズは図書カードに最終刊まで同じ名前の人が借りていたのだ。それがずっとずっと心のシコリになった。
長々と、我が読書遍歴を書かせてもらったのは他でもない、こんなぼくでも上手く読めた本を紹介したかったからだ。決してプルーストを解説しようという無謀な試みではない。それは、鈴木道彦の個人訳のプルーストである。集英社から出ている。鈴木氏はきっとぼくのような多くの挫折者を見てきているに違いない。それは本書の前書きを読めば分かる。あきらかに挫折者に向けて書かれている。そして編集方針を確認すればさらに納得する。そして励まされもする。
まずは巻末の細かな注釈だ、これが心憎い。「桃太郎」だとか「サザエさん」といえば誰でも知っている。だけど物語の中に突然現れたらそのニュアンスは日本人にしか分からないだろう。「失われた時を求めて」には、このたぐいのフランス版桃太郎がいくらでも出てくる。何とか侯爵だとか、何とか将軍が活躍したどこどこの町、といった具合だ。しかも十九世紀末のサロンの光景や恋物語、はたまた社会現象であったり政治問題の解釈で登場してみたりする。高校生に分かりっこない。その解説が丁寧なのである。その他にも人物の紹介、家族の相関図もある。極めつけが、各巻の本当に大まかなというかざっくりとした粗筋が書いてある。これが挫折者に心強い。粗筋を書かれては読む意味がないではないかと思われるかもしれない。ところが違う、ここがこの小説の名作と言われる所以である。知っていてもなお飽きさせない展開や言い回しが待っている。なおかつ読むうちに作品の細部が見えてくるのだ。入り組んだ筋の一つ一つが俯瞰するように見えてくる。どういうマジックなのだろう。それらに導かれてぐんぐんと読める。極めつけと言ったが、鈴木氏の思いやりはそれだけではない。○巻まではわかりにくいかもしれないが頑張って読んでほしい。そこを過ぎると前半までの複雑さが次第に結びついて物語が大団円に向かってくるのが分かる。とさらに読者を励ましてくるのだ。こんな前書きを読んだことがない。鈴木氏はどれほど累々とした挫折者たちを見てきたのだろう。
さてさて、こんなに読者を励ましてくれる鈴木氏に敬意を払おうではないか。あなたが挫折者であるならなおさらだ。と言うことでこの本をご紹介したい。読んだ側の人にぜひなって下さい。