落選続きの僕がデビューするまで 南田幹太
この四月、佼成出版社から『ぼくの師匠はスーパーロボット』でデビューした南田幹太です。五月には、二作目の『Surf Boys 伝説になった12歳の夏』をPHP研究所から出すこともできました。
僕は児童文学学校の44期生です。今、49期ですので5年前の今頃、高田馬場の日本児童教育専門学校に月に一度、通っていたことになります。
僕の児童文学歴を簡単に紹介すると、書き始めたのは2014年からです。44期は2016年ですので、その間の二年間、様々な児童文学賞に出品しては、落ち続けました。
2016年は少しばかり幸運が続きました。福島正実記念SF童話賞で最終候補に残りました。北日本児童文学賞では、優秀賞を受賞しました。以前、書いて同人誌に発表していた「どんま」という作品が、中央大学付属中学の入試問題に採用されました。
児童文学学校の授業は実践的であり、先生方からは多くの教えを受けました。この調子ならば、すぐにデビューできると思わなかったといえば、嘘になります。
ところがそこからが長かったのです。相変わらず多くの文学賞に応募を続けていましたし、さらに出版社への持ち込みも始めました。ところが賞は落ち続け、持ち込みは不採用のみ。正直、腐りそうになりました。そんなとき励みになったのは、児童文学学校で出会った仲間たちです。
先ほど同人誌の話題に触れましたが、入っていたのは大人向け小説の同人誌でした。できれば児童文学の仲間も欲しいと思っていたのですが、そのときの事業部長であり、児童文学学校の講師でもあった中野幸隆先生にその旨を相談すると、ご本人が所属する「牛の会」という同人に入らないかと誘ってくれたのです。それがきっかけで牛の会に入り、その後の僕の執筆活動の、心強いバックアップとなりました。
それからは牛の会の皆さんから、アドバイスや叱咤激励を受けながら、2019年の日本児童文学者協会長編児童文学新人賞で佳作を受賞することができました。しかし佳作では書籍化されず、その後も暗中模索は続いたのですが。
そしてようやく今年、持ち込みをしていた佼成出版社とPHP研究所から、二冊の本を出版できるところまでこぎ着けました。デビューまでに応募した文学賞と、持ち込みの数の合計は、ゆうに50は下らないように思います。
そんな僕にとって、児童文学学校から受けた恩恵は計り知れないものがあります。もし入学していなかったら、きっと諦めて、児童文学から逃げ出していたのではと思ったりするほどです。