子どもと平和の委員会

2022年02月28日

 今、戦争を読む、平和を考える (指田 和)

今、ヒロシマの原爆被害のことを、改めて調べたり書いたりしています。

 

この2月半ば、近くの図書館の児童書ルームの棚でふと目に留まったのは、『ヒロシマのうた ー新選・子どもの文学21 戦争と平和のものがたり2』日本児童文学者協会・編/小峰書店(1990年6月 第五版)でした。思わず手に取りました。

「ヒロシマのうた」今西祐行/「おかあさんの木」大川悦生/「月のおんば」菊池 正/「かあさんのうた」大野允子/「救命艇の少年」石川光男

そう長くない文字数の中に、先達たちが、力、心、そして祈りをこめて、時に拳を握るように、戦争のむごさやかなしさ、どう考えても理解できないおかしさを記していました。それは、平和への切なる願いを込めての精一杯の体現でした。

 

そんな余韻も冷めやらぬ2月24日。そしてその後の日々。

 

灰色の道を続々と侵攻する、いかつい戦車の列。

一般市民の住宅に着弾するミサイル、そして爆発。

地下鉄の駅構内で子どもの肩を抱きかかえる大人たち。

防空壕で「死にたくない」と涙する女の子。

こんな暴挙があって良いわけがない。

その暴挙に反対の声をあげる自国の人々を力で封じ、侵攻の先に核の使用さえちらつかせる、あまりにも凶暴な国の指導者の姿。

 

こんなことは絶対にあってはならないし、許してはいけないと思います。

ならば今、わたしに何ができるのか。

戦車の前に立ちはだかって、その進行を阻もうとしたウクライナの人のようなことはできないけれど、せめて声を上げなければ、書かなければと思います。

 

ロシアのウクライナ侵攻に反対

核による威嚇に反対

どんなことがあっても、戦争反対

 

過去の歴史から学んだ辛酸や平和への思いが描かれた様々な作品を、わたしたちは今こそ読み直す時だと思います。

(20220228)

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2022/02/28

ウクライナに平和を ( くぼひでき)

2月24日夜に、わたしはこうツイートしました。
 
人間は進化しない。太古から戦争を繰り返し、侵略、強奪、凌辱、殺戮をしてきた。勝てば正義と自制できない。
人間は進化してきた。太古から反戦を唱える人はいた。その数は歴史を反省する中で増えているはずだ。人類は愚かではないと私は信じる。
#反戦を訴えます
#ロシアはウクライナ侵攻を止めよ
 
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人間の歴史は数千年を遡ることができます。その時どきで戦があって、名もなき民が巻きこまれてきました。個人と個人の諍いを皮切りに、集落と集落の争いになり、時には部族間やがては国家間と、その規模が大きくなりました。財産や土地などの経済をめぐる戦い、自己中心的な繁栄を求めての争い、憎しみは連鎖して、間断なくこの歴史の中で起こってきました。
 
20世紀にわたしたちの世界は大きな転換期を迎えました。国家間による争いが本当の意味で地球規模となり、科学力の進展とともに大量殺戮兵器を生み出したのです。その後も大国同士の競り合いは続き、武器開発は凶悪化の一途をたどるばかり。
 
それでも、人々は進歩してきたと考えてきました。21世紀になって、もう、少なくとも大国による侵略戦争など起きないだろうと高を括っていました。
しかし違った。
覇権主義はいまだ顕在で、恐れていた侵略が始まった。かつて、第一次世界大戦はサラエボにおける暗殺事件をきっかけとしました。第二次世界大戦はドイツとソ連によるポーランド侵攻がきっかけでした。
 
わたしたちはこのウクライナ侵攻を第三次世界大戦の端緒とさせてはならない。
そのためには国境をこえて、平和を求める人々の声をあげなくてはならない。
ひとつのきっかけが、世界を不穏な影で覆わないようになさねばらない。
 
日本からできることは小さいかもしれない。届かないかもと不安になる。
しかし声をあげること、反戦を訴えることはできます。
 
「ロシアはウクライナ侵攻を止めよ」
「すべての国家は他国侵略の意図を解除せよ」
 
ウクライナに平和を。(20220228)

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2022/02/28

ロシアのウクライナ侵攻について、アメリカで思ったこと (小手鞠るい)

いちばんに思ったことは「アメリカに、介入して欲しくない」ということだった。戦争が嫌いだったトランプにもいいところはあったな、とも思った。これは、私がかれこれ30年以上もアメリカで暮らしてきたことと大いに関係している。もしも日本で暮らしていたら「アメリカに介入してもらって、戦争をやめさせて欲しい」と思ったかもしれない。

 

なぜ、アメリカに介入して欲しくないのか。この理由も、日本在住の人たちにはちょっと理解し難いかもしれない。ストレートに書くと、私は、アメリカの若者たちに、戦場で死んで欲しくないと願っている。ここで言う「若者たち」とは、アメリカの軍人たちである。アメリカの兵士たちは、アメリカから遠く離れた場所で、命を落としてきた。ヴェトナム、イラク、アフガニスタン・・・そしてこれから、ウクライナで死ぬことになるのかと思うと、私は居ても立ってもいられなくなる。

 

なぜなら、私には、アメリカの若い兵士たちの顔がひとり、ひとり、見えているからだ。かつての日本で、特攻隊の兵士の顔が見えていたように。アメリカの軍人は、常に私たちの身近にいる。姿形がはっきりと見えている。笑顔も見えている。礼儀正しい態度も、優しい性格も、凛々しい性格も、人それぞれに魅力的だ。そのような若者たちに、私は無駄死にして欲しくない。切にそう願っている。

 

兵士の顔が見えているかどうか。これは、戦争に対して、どう反対していくかに関する大きな鍵ではないだろうか。今の日本人には、自衛隊の人たちの顔は見えているのだろうか。アメリカが参戦したら、自衛隊の兵士も戦争に行かなくてはならなくなる。自衛隊の戦死者が出たときに、日本は初めて「集団的自衛権」の重さに気づくのだろうか。

 

すべて、無知な素人の考えていることである。しかし私は、ロシアのウクライナ侵攻に際して、ロシアから駆り出されている若者たちの「顔」を想像してしまう。「ロシア」ではなくて、ロシアの権力者に対して、抗議をしなくてはならないのだと思う。一般市民同様、兵士もまた、死なせてはならない子どもたち(←比喩としての言葉です)なのである。(20220227)

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2022/02/28

ロシアのウクライナ侵攻に反対します(西山利佳)

ご無沙汰してしまいました。

 

なんなん?これ、いつの時代だよ、と思っている間に事態が進行しています。

26日、渋谷にいたけれどデモには参加できなかった私です。

 

そのデモを教えてくれたのが学生で、彼女は憤慨しながら授業で読んだ『灰色の地平線のかなたに』(ルータ・セペティス作、野沢佳織訳、岩波書店)を読み返していると言っていました。

 

今日は近所のお寺を会場に、おとな4人と小学6年生2人で『ある晴れた夏の朝』(小手鞠るい、偕成社)を読み合いました。原子力防災などの学習会を重ねているおとなたちとその子どもさんですが、テキストを選んでくれたのは6年生。アメリカのティーンエイジャー、それも様々なルーツを持つ人たちが原爆投下の是非を議論するというのが面白いんじゃないかと選んでくれたそうです。

 

それぞれの日常生活の中で出会う差別発言、違う意見の人と議論することが苦手な自分、現在進行中の「戦争」……と、初めての試みの読書会でしたが、いろいろ考える事ができる時間となりました。

 

「〇〇人」で括らないのが、文学の力の一つだと思います。

とてもとても間接的なのですが、私にとっての反戦の足場はここかなと思います。

 

さて、

3月19日(土)に日本ペンクラブ「子どもの本」委員会主催で「11年目の「3.11」」というイベントを開催します。詳細はこちら→http://japanpen.or.jp/2021kb02/

原発が軍事的要所であることを見せつけられ、東京電力福島第一原子力発電所事故の被害者のみなさんはどんな思いでいらっしゃることでしょう。

これもまた、間接的な営みですが、いま自分にできる平和構築の運動として頑張らねばと思っています。

 

ロシア国内を含め、各地で抗議の声を上げている全ての人に敬意と感謝と連帯の思いを込めて。(20220227)

 

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2022/02/28