こんにちは。
濱野京子です。前期にひきつづき、子どもと平和の委員会に席を置くことになりました。通算で5期目です。これまで、この委員会では、広い意味での平和を考えるための学習会、ブックトーク、戦争に関係する施設の見学などを行ってきました。広い意味、と申し上げたのは、私が関わった学習会だけでも、憲法、貧困、道徳教育など様々なテーマがあったからです。前期は、3月に登戸研究所の見学、6月に「子どもの権利条約」にからめた学習会を予定していましたが、いずれも、COVID19感染の影響で中止になってしまいました。
また、子どもと平和の委員会は、子どもの本・九条の会との共催イベントや、児文協の新しい戦争児童文学委員会(https://jibunkyo.or.jp/old/index.php/warliterature/index)と共同で学習会なども行ってきました。
現在、私は子どもの本・九条の会の運営委員もしているのですが、実は、それほど多くの戦争児童文学を書いているわけではありません。単著で、そういえるのは『アギーの祈り』と『すべては平和のために』の二冊です。ちなみに『すべては…』は、新しい戦争児童文学委員会の活動から誕生した作品で、タイトルの含意は「すべては平和のために、という名目で行われる、戦争さえも」ということになります。
主要なテーマではなくとも、戦争に言及した作品はほかにもありますし、戦争と平和への関心は、比較的若い頃より常に持っていました。私が生まれた頃は、まだ戦争を忌避する感情が社会を支配しており、戦争=悪であることは自明、という空気の中で育ったこともあるかと思います。
それから何十年かたち、為政者にも戦争経験者がいなくなっていく現在、感情としての厭戦をさえ継承することが難しいと思わざるを得ない時代となりました。そもそもが、厭戦は反戦にならないことは、すでに戦争末期に、清沢洌が指摘していますが(『暗黒日記』昭和45年1月1日)。
歴史を継承することの重要性(たとえ当事者の語りとは違うものになってしまうとしても、語り部を引き継ぐ活動をされている若い世代に敬意を表します)はいうまでもありませんが、これからの戦争を考える時、過去の戦争の悲惨さを語るだけでは足りないとの思いがあって、加害のこと、また人の心理や経済活動と戦争についてなど、あれこれ思いを至らせながら、書き手としては、新たな戦争文学に取り組むことができたら、と願っています。
5年前に、アウシュビッツ博物館に行き、さまざまなことを考えました。その一つが、南京に行かねば、ということでしたが、今年の春に予定していた南京ツアーも残念ながら中止となってしまいました。アウシュビッツ訪問後に考えたことについては、いつかこのブログで書く機会があれば、と思っています。