〈子どもの権利〉を考える

四角いスイカと「隣る人」 

森越智子

 子どもの権利にかかわる活動を始めてかれこれ四半世紀になる。
 きっかけは二男二女の子育てをする中で、どんなに我が子だけを守っていても、教室の隣の席の子ども、同じ地域、同じ町に暮らすすべての子どもたちが幸せでなければ意味がないのではと思ったからだ。
 子どもに関わるいろいろな立場の人たちと継続的に交流することから始めた取り組みの中で、子どもたちの現状を知れば知るほど、容易に解決できない多くの問題は根っこで繋がっていること、その解決には「子どもの権利」という視点で子どもとの関係を築き直すことにあると気が付いた。日本が批准した国際条約『子どもの権利条約』との出会いはまさに水戸黄門の印籠を手に入れたような思いだった。
 以来『子どもの権利条約』の理念の普及と社会での具体的な実現を目指して様々なことをした。子どもが子どもとしていられる時間と空間を提供する「子どもの遊び場フェス」の開催に始まり、子どもの権利条例の制定のため、地域発民間による『子ども白書』の作成に取り組んだ。子どもが自分にかかわることについて、年齢や発達、その能力に応じて参加し意見表明権を行使出来る環境と、子どもの声を社会に生かす仕組みを作ることは緊急の課題であると思った。子ども時代はとても短い。ようやく発した言葉が聞き置かれてしまうのではなく、丁寧な対話をもって尊重されなければ、子どもたちは無力さを学ぶだけではないのかと。子どもはやがて私たちの前に立って、社会を作る大人になる存在であるというのに。

 思い返せば初めて書いた児童向けの作品が「子どもの権利」をテーマにしたものだった。権利条約の普及の一翼になればと書いた『私たちの人権宣言~転校生はおばあちゃん!?』(法務省・人権教育啓発推進センター、2004年)は法務省の人権啓発ビデオとして中村メイコ主演で映像化され、全国の学校現場で上映されたが、権利条約の理念は相変わらず絵に描いた餅で、受け入れない大人社会の壁は厚かった。権利という言葉自体をまるで振りかざす刃のようにとらえ、権利を言う前に義務を、子どもに権利など「与えたら」わがままを助長するだけとよく言われた。権利とは人として産声を上げたときから付与されているものであって、第三者から与えられるものでない。まして憲法で定める義務は納税、勤労、教育の義務の3つで、義務教育は教育を受ける権利の主体者である子どもに対して大人が負う義務であるのに、それさえ理解されていないことがある。

 私たちは子どもたちに何を求めているのだろうか。社会に適応する人間か、優秀な人材か。個性や多様性を尊重するといいながらも、四角い枠に嵌めて四角いスイカを作るように、子どもを育てようとしていないか。その延長線上に、若者の幸福度や自己肯定感の低い国日本、不登校全国30万人、500人を超える小中高生の自死があるとさえおもえてならない。子どもたちの無言のNO!に私たちはどう向き合い、どう応えていくのか。
「自由で平等な、戦争のない世界になってほしい」
これは「子ども白書」の作成にあたり実施した6664名のアンケート調査での子どもたちの『願い』に書かれていた言葉だ。環境や社会を変える力を持っていない子どもたちはその多くを大人に託しながらも、もしなんでもできる力をもっていたとしたらの問いに「子どもたちみんなを笑顔にしたい」「いじめや差別をなくし、みんなが平等に暮らせるような環境をつくりたい」と答えた。高校生は学校や教育全般に教育の当事者としての鋭い意見を投げかけ、「社会の一員」としてまっすぐ大人社会を見つめている。その思いと声を封じ込めているのは間違いなく大人なのだと思う。

 ある児童養護施設の方が、子どもにとって信頼できる大人像を「隣る人」と称した。いつもそばにいなくても、心の中に存在していて、踏み出す力や踏みとどまる力を与えてくれる人を指すのだという。
 ならば本も、今、瀬戸際にいる子どもたちにとっての「隣る人」でありたい。
そして同時に、本を通して子どもの前に立つ大人として、四角い枠を打ち壊す意識をもって子ども固有の権利を守り、その権利行使を支える立ち位置で物語を書きたい。子どもたちを四角いスイカにしないために。