〈子どもの権利〉を考える

子どもの権利について考えること

小川メイ

 10月21日、公開研究会『児童文学と子どもの権利』にオンライン参加しました。『子どもの権利』というのは、自分の中でずっと大事に考えていたテーマなので興味深く拝聴しました。
 わたしは研究者でもなんでもないのですが、一個人として、自分の人生が子どもの権利と交わってきた部分について書かせていただこうと思います。

 子どもの権利条約が批准されたとき、わたしは中学生でした。そのとき、母が児童憲章と子どもの権利条約が書かれた冊子を「あなたの権利だから」といって手渡してくれました。当時、家の中がごたごたしていて、両親は離婚するとかしないとか、どっちが育てるだとかそんな話をしていて(結局離婚しましたが)冊子を読んだ時に、ああ、親がいなくなっても国が、社会が守ってくれるんだ、と思ったことを覚えています。これが子どもの権利条約との出会いでした。
 もう一つ、印象的なできごとがあります。
 わたしが通っていた中学には厳しい校則がありました。髪型については、男子は丸刈り。女子の前髪は眉にかかってはだめ(目ではない)、後ろ髪は肩につくとアウト。髪ゴムもヘアピンも禁止なので、みんな同じように前髪ぱっつんのショートカットでした。男子は他校との行事に参加すると、野球部ではないことがわかっているのにわざと『野球部』といわれてからかわれたりしました。髪型のチェックが定期的にあり、その日は廊下に並ばされました。男子は頭に手をのせられて、先生の指から髪がはみ出したら「切れ」といわれ、女子は膝をつき床にスカートがつかないと「短い」と叱られた。内申に響くといわれていたのでみんな従っていました。たまに「昭和の話でしょ?」といわれることがありますが、違います。平成の話です。公立中学で、同じ市内の他の学校にはそんな校則はなかったので、なんでうちの中学だけ? と不満に思っていました。今でも中学時代の写真はあまり見返したくありません。
 クラスメイトが生徒会長になったときに、この校則を変えようという動きになり、生徒総会を何度も開きました。子どもたちの力だけではかなわなかったことなので、あのとき裏でおとなである先生方が力添えをしてくれたのだと思います。『思います』とぼやかして書いているのは、当時わたしは子どもだったので実際の先生方の動きを知らないからです。これも、子どもの権利条約が批准された次の年のことでした。中学三年生のときだったので実際に校則が変わったのは、翌年度、わたしたちが卒業した後のことでしたが。

 大学生のときに、『子どもの権利条約の源流をめぐる旅』というツアーに参加しました。コルチャックに関わる養護施設や、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所、コルチャックが子どもたちと一緒に亡くなったトレブリンカ絶滅収容所など、コルチャックの縁の地をめぐるという企画でした。参加者はコルチャックの研究者と、教員、保育士がほとんど。子どもに関わる仕事をしている方々の熱意を感じました。当時、ポーランドへの直行便がなかったので、フランクフルトで乗り継いで、ワルシャワ、クラクフへ行きました。施設の子どもたちの部屋の壁に好きなスポーツ選手のポスターが貼ってあったことが印象に残っています。好きなものを好きといえる環境なのではないかと感じました。トレブリンカは、建物のない墓標ばかりの寂しい場所で、静寂の中、コルチャックの記念碑に折り鶴を捧げたことを覚えています。ビルケナウには日本人ガイドが一人いて、その方に説明をしていただきながら見学しました。二年ほど前でしょうか、まだその方がガイドをされているという記事を目にしました。こういう場所でずっと活動してきた日本人がいることは、あまり知られていないかもしれません。ポーランドは1978年に子どもの権利条約の草案を国連に提出したわけですが、それには大きな背景があったことをやはり忘れてはならないと思います。

『子どもはだんだんと人間になるのではなく、すでに人間である。
理性に向かって話しかければ、それにこたえることもできるし、心に向かって話しかければ、感じることもできる』

 コルチャックの言葉です。
 わたしは、児童担当司書、保育士などを経て、今も保育、教育関係の仕事をしています。現場で起きる、驚くようなニュースをたびたび目にしますが、子どもに関わる仕事をするわたしたちは、もう一度この言葉を思い出したい。
創作をする上では、子どもたちがおとなを信じて発した言葉を安易に『ネタ』にしないようにしたい。それをやってしまったら、自分が大切にしたい『子どもたちの信頼』を失うと思うからです。
 今回、増山先生の講演の中で『若い人が児童憲章を知らない』というお話があったと思いますが、今、学校教育で児童憲章や子どもの権利条約はどのくらい取り上げられるものでしょうか。少なくともわたしは、中学生以来、保育士資格を取るときくらいでしか出会いませんでした。子どもたちには、理不尽なこともいっぱいあるけれど『あなたの権利は守られている』ということをもっと伝えていけたらいいと考えています。