〈子どもの権利〉を考える

「記録」ではなく「記憶」を遺したい・幼年期編

岡田なおこ

 還暦記念に「自叙伝的な作品を描こう」と構想を練っていた。
 私はデビュー作「薫ing」1991年・岩崎書店刊で自身の高校時代をモチーフに、身体にしょうがいのある少女が養護学校から普通校に進み繰り広げる青春ドラマを描いた。
 また「なおこになる日」1998年・小学館刊では、しょうがい者が一人暮らし・恋愛など「当たり前な経験」を追い求めるストーリーを、エッセイとの二部構成でまとめた。
 「サムデイ~いつか」2007年・岩崎書店刊は高学年向きに、電動車椅子に乗り自由奔放に生きるアラフォー女性と子どもたちとの交流を描いた。
 どの作品も私自身がモデルではあるが、「実話」ではない。自叙伝は描きたいが、「私小説」を書くには勇気がいる。グダグダ悩んでいる内に、私は「大病」を患った。
「ここで死ぬのかなー?」「もう死んだ方がいい!」
 自暴自棄になった時、書きかけの作品の「声」が聴こえた。
――書き上げないで、死んじゃっていいの?
 これまで私は「障害児者の歴史」の渦中にいたのに、書いてこなかったと気がついた。歴史は「記録」としては遺るだろうが、そこにいた子ども・人間の「記憶」は書かなければ忘れ去られる。
――何が何でも、形にしなければ!
 私は今、自分を奮い立たせてキーボードを打っている。
「自叙伝@生い立ちの記」はフィクションに仕立てだが、しょうがいのある子ども・人間たちが「踏み付けられながらも、いかにして権利を勝ち取ってきたか」を書いている。
 タイムリーにこのエッセイのご依頼をいただいた。
 そこで「ネタバレ」にならない程度に「未完の作品」から抜粋し、「子どもの権利・しょうがい者の人権」が軽視されていた時代のエピソードを紹介する。
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●傷痍軍人               
私が生まれたのは日本が「高度成長期」に入った頃ですが、まだまだ戦争の爪痕は色濃かったです。
幼い私は、街角で傷痍軍人が「物乞い」している姿を何度も見かけました。
私は自分がしょうがいを持っていたからなのか、その光景は「悲しい」とか、「かわいそう」ではなく、怖かった。
                   
●療育園
私が大人の中で甘えん坊だったので、両親は、療育園の機能訓練の先生から、
「寄宿舎生活をした方が効果が上がる」と勧められ、私は五才で寄宿舎に入りました。
入ってみると、その療育園は「しょうがい児の訓練施設」というより、「しょうがい児の収容施設」に近かったのです。
思うに・・・
戦争後まだまだ「軍国主義」が色濃く残っていた時代でしたから、寄宿舎の指導は「制圧的」になってしまったのでしょう。
しょうがい児であろうが容赦なく、上から抑え込んで“キマリ”に従えなければ“体罰”を与えるのは「当たり前」で、保護者からのクレームもなかったようです。
食事は全員そろわないと「オアズケ」です。歩くのが遅い子が食事の時間に遅れたりすると、その子は寄宿生全員の前で「ごめんなさい」を100回言わせられました。でも、それは「軽い刑」です。
 病院と連携しているので、両親はその療育園を選んだのに、夜間や休日は当直医が足らず、
夜中に高熱が出ても、翌朝まで放置されることもしばしばありました。
 私の両親は教員で職業柄「子どもの安全管理」を重視していましたから、事あるごとに「物申す親」でした。それが原因で私は職員から「NAOKOのおうちの人は煩いから、あなたの面倒はみません!」と脅されるハメになります。

 ●幼稚園
 療育園に入る前、私は家族が付き添う条件で近所の幼稚園に通っていました。
そこはもともと「戦争未亡人の自立支援」のための託児所でした。
園長先生ご夫妻は戦時中つらい目に遭われた経験から、そこには「規則」は特にありませんでした。
園長先生の口癖は「『制服』を見ると軍隊を連想してしまって嫌いなんです」。
そして「この『幼稚園』には制服の類の物はありません。服装も持ち物も自由です。ここを必要とするお子さんや親御さんがいたら、いつでも受け入れます」。これがモットーでした。「しつけ」は厳しかったけれど、のどかな園でした。
しょうがい児に限らず様々な問題を抱える子も多く、保護者会が喧々諤々することもあったそうですが、先生方は常に「困っている側」に寄り添う姿勢を貫かれていました。
嬉しいことに、それは現在も続いています。
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人間には二つの種類がいると思う。
「『悪』に洗脳され、負の連鎖を引きずるタイプ」と、
「負の連鎖を断ち切り、次世代と『善』を模索できるタイプ」
 近年「多様性の時代」となり単純ではないが、私の「記憶」が次世代の指針になるような作品を描いていきたい。