岡山セミナー通信 No.4 ~夢見る夢二~
竹久夢二は明治17年岡山県邑久郡に生まれた画家であり詩人です。岡山後楽園の入り口に竹久夢二の詩碑があります。
待てど暮らせど来ぬ人を
宵まち草のやる瀬なさ
今よひは月も出ぬさうな
この「来ぬ人」は夢二が銚子で見初めた女性のことです。片思いに終わってしまい、その気持ちを歌にしました。待ってもあのひとは来なかった、空を見あげても今夕は月も上ってこないだろう、とうちひしがれた思いを詠っています。詩碑の隣には友人の有本芳水の「岡山に帰り旭川の河原に咲いた宵待草に思いをよせてよんだ」と書かれた副碑があります。
この詩が広く多くのひとの心にすっと入ってくるのは、ひとというものは「来ぬ人」だけでなく「来ぬもの」を待つ存在だからではないのかと私は思っています。かなえられないと知りつつも、憧れや夢を抱き、抱くことが現実の苦さや苦しさをやわらげ、希望を失わずにいられるのではないでしょうか。口にして夢を語っても実際にかなうことは少ないのですが、心の奥に夢をひそかに持ち続け、自分自身の芯にすることで苦しいときも折れずにいられるのではないかと思います。
夢二はその名の通り、夢を持ち続けました。ちなみに夢二の本名は茂次郎といいます。田舎臭いと嫌い、夢二と名乗り、ほんとうは本庄村という村に生まれて育ったのに、「物心ついてからずっと東京に住んでいた私」(「東京地図」)と都会育ちだと見えを張っています。
夢二は随筆「赤いペン軸」(『竹久夢二童話集』)で書いています。
美術家になりたい。けれど父が許してくれまい。美術家になって、見たことのない国々を歩くのは、どんなに楽しいだろう。軍人になるのはいやだ。それより曲馬師になってもいい。知らない町を、旅から旅へと歩いてみたい。
夢二は実際に旅を続けました。生家から近い牛窓の港で幼いころ遊んだのでしょう。各地にある古い港が好きでした。飾磨、室津、酒田、石巻など港を旅し、のちに妻たまきと開店した店も「港屋」と名付けました。
明治45年28歳のとき、京都府立図書館で第一回個展を開きました。毎日数千人の来場があり、油絵、水彩画、ペン画など飛ぶように売れました。そして大正3年31歳のとき、東京日本橋に「港屋」を開店しました。かわいいカードや半襟や千代紙などは若い女性に大人気でお客は引きも切らずでした。
ごく普通のひとなら、30歳を過ぎ店を持ちしかも繁盛しているのだから、ここに腰を落ちつけ絵を描き詩や随筆も書いていこう、と考えると思うのですが、しかし夢二は違いました。夢を追い続けます。何の夢なのか、それははっきりした確たるものではないのです。
旅人は、幾十年の昔から同じ目的に倒れた旅人の死骸を踏み越えては、城門に佇んで、たたけども、たたけども、かつて開かれぬ城の城門を叩いている(「野に山に」)
夢二は夢を追い旅を続けました。愛の遍歴を重ねました。50歳になる2週間前に病気で亡くなりましたが、晩年の2年半ほどは欧州や台湾を旅しました。ひたすら絵を描き日記も綴りました。「開かれぬ城門を」叩き続けたのです。私もかなわなくても叩き続けたいと思います。
斎藤恵子
△『夢二郷土美術館』
岡山県岡山市中区浜2-1-32
アクセス城下(岡山県)駅[出口]徒歩11分