今を読み解く児童文学―共存のエネルギーをここから 繁内理恵
『ミシュカ』と『世界でくらすクルドの人たち』を読んで考えたこと
※『ミシュカ』(エドワルト・ファン・デ・フェンデル、アヌッシュ・エルマン 作/アネット・スカープ 絵/野坂悦子 訳/静山社)
※『世界でくらすクルドの人たち(月刊たくさんのふしぎ ; 2026年3月/第492号/福音館書店)
世界中が戦争で揺れている。物流もエネルギーも、張り巡らされた供給網で世界中が密接に繋がっている今、もう私たちが生き延びるためには、平和であることは絶対最低条件なのだ。そこを無視した愚劣な動機で付いた戦火は泥沼になって拡大し、子どもたちの上に爆弾となって降り注いでいる。ライフラインは寸断され、ミサイルの下では誰かが手足を吹き飛ばされ、暮らしの全てが焼き尽くされる。よしんば生き残っても、生活の根を奪われた人々は、戦火を離れて避難するしかない。そして、戦争は様々な弾圧を生む。思想統制や密告によって命の危険を感じる人たちもまた、祖国から逃げるしかなくなっていく。
『ミシュカ』の主人公ロヤの一家も、戦火の続くアフガニスタンから弾圧を逃れ、難民としてオランダに亡命してきた。五年かかってようやく居住許可がおりて、一家はやっと自分たちの「家」で暮らすことができるようになった。
「家にはふつう、動物がいるもんだよ。わたしはそう思うな」
というロヤの提案で、一家は小さなドワーフラビットのミシュカを飼うことになる。掌に乗ってしまうような、小さな命。猫もそうだが、小さな生き物を飼うことは、その子の安心を保障すること。ミシュカは、ロヤの一家がやっと手に入れた安心と平和の象徴なのだ。緊張と不安に張りつめて日々を送っていたロヤたちが、ミシュカと暮らしていくうちに、少しずつ心の鎧がほどけ、封印していた苦しみと悲しみを、堅く閉めていた蛇口から水が漏れるように語り出す。家族の愛情と共に語られるひとつひとつのエピソードが心に沁み込んでくる。それがどんなに苦しい旅だったか。九歳のロヤにとっては、逃亡と流浪の日々が物心ついてからの記憶そのものなのだ。だから、ロヤはいちども泣いたことがない。幼いからこそ、全身で家族の痛みを感じ、引き受けようとしたのだ。そんな彼女のなかに凝り固まっていた涙が、ミシュカをめぐるある事件をきっかけに流れ出す。
物語は、あたたかい挿絵とミシュカの可愛さに導かれ、子どもたちが自分の体験も踏まえて、難民となって生きてきたロヤの心情と、助け合う家族の愛情を体感できるように描かれている。子どもが、子どもとして自由に心を解放できる日々を奪われてしまうことを、世界共通の痛みとして感じ、その思いを共有する。これは、人種や国という線引きを使っての武力を使った蹴落としあいが常態化しつつある今、失ってはいけない人間としての最後の砦ではないかと思う。池澤夏樹氏の『ノイエ・ハイマート』(新潮社)を読んで知ったのだが、2016年瀬戸内国際芸術祭で林舜龍氏が小豆島の海辺に『国境を越えて・潮』というインスタレーションを作った。砂でできた子どもたちがずらっと海岸に並び、風雨にさらされ、少しずつ崩れていく。世界中の子どもたちの受難と、どう相対していくのかを問う作品だ。『ミシュカ』と、このインスタレーションが問いかけるものは響き合っている。
『ノイエ・ハイマート』は、ドイツ語で「新しい故郷」という意味だという。大きな民族だが国を持たないクルドの人々は、世界中にノイエ・ハイマートを求めて移り住んでいる。日本でもあちこちにコミュニティを作って住んでおられているが、日本で難民認定を受けることは非常にハードルが高く、最近排外主義のターゲットにもされがちな存在だ。『マイスモールランド』という映画に、そのあたりの事情が描かれているのでぜひ見て頂きたい。金井真紀さんが、日本だけではなく、世界中で難民・移民として生きてらっしゃるクルドの方々を、自分の足で尋ね、ルポルタージュとしてまとめられたのが『世界で暮らすクルドの人たち』(月刊たくさんのふしぎ2026年3月号)だ。金井さんは、自分で切り開いたネットワークに乗って、世界中の人にクルドの人々に会いにいく。日本、イラン、イラク、カナダ、オーストラリア、イギリス、ドイツ。どこの国でも、人々は日常を送るために、働き、学び、そしてクルドの新年であるネロウズを祝って、美しいドレスを着て踊る。だからといって、彼等のことをひとくくりにするのではなく、金井さんは、出会ったひとりを大切に、そこでどう暮らしを営んでいるかを丁寧に描いて、そこに確かに彼等が生きて存在することを、友達を紹介するように教えてくれる。この戦火のなかで、金井さんが出会ったイランのタクシー運転手さんの一家はどうしてらっしゃるかと胸が痛くなる。あの国に暮らしているのは、確かに私たちと変わらぬ、日々の暮らしを営む人間なのだ。
国を越えて、民族を越えて、そこにはただ「人間」がいるのだということ。この、シンプルな子どものまなざしが捉える、衒いも何もない普遍的な真実は、今最も必要とされているものではないだろうか。世界中の児童文学に触れ、地球のあちこちに友達を増やしていく。子どもの本の持つ力は、共存のエネルギーを生み出すことができるのではないか。私は今、真剣にこのことを考えている。