147、読書感想文のこと(2024,10,25)
【昨日、必要があって……】
・今年の読書感想文コンクールの選考も進んでいると思いますが、昨日、必要があって、これまでの読書感想文コンクール(はいくつかありますが、ここではSLAと毎日新聞社主催の読書感想文コンクール)の課題図書のラインナップを、SLA(全国学校図書館協議会)のホームページで見てみました。
少し前は、課題図書になる回数が多い作家として最上一平さん(今もですが)の名前があがり、近年ではいとうみくさんの作品も何度か課題図書になっているように見受けられます。1970年代あたりから見てみたのですが、「そうそう、そう言えば、この作品が課題図書だったね」と、当時の周りの人たちの反応を思い出したりもしました。
かつては、「課題図書になれば家が建つ」(本当かどうか知りませんが)とまで言われた感想文コンクールも、少子化と参加校の減少で、「車が一台」という話もあります。そもそも「課題図書」という方法が、あるいは感想文コンクールという仕掛け自体が、子どもの自由な読書を阻害する面があるのでは、という議論が、1970年代あたりは結構あったように思いますが、近年はほとんど聞かれなくなりました。
【感想文は、読書の強要なのか?】
・この議論は、なかなか難しいですね。僕も元小学校教員ですが(私立で、感想文コンクールには学校としては参加していませんでした)、僕の場合なら、一人ひとりの子どもに、その子にあった、あるいはその子に勧めたい本をイメージできたし、実際(そんなに熱心でもなかったですが)そのようにしたりしました。ただ、自分でいうのも変ですが、それができる先生は、まあ例外でしょう。
感想文について改めて考えるようになったのは、自分がコンクールの審査員になってからです。上記の感想文コンクールとは別ですが、総合初等教育研究所という財団が主催しているコンクール、それから家の光協会の『ちゃぐりん』が、雑誌掲載の記事を対象にしている感想文のコンクールの審査員もしています。それらを読むと、実におもしろいのです。「おもしろい」という言い方は語弊があるかもしれませんが、結構教えられる面もあります。
考えてみれば、僕のやっている評論というのも「感想文」の延長みたいなもので、だからこそ、そうした子どもたちの感想文に“おもしろさ”を感じるのかも知れません。もちろん、本が好きな子に感想文などを書かせるのは誰も否定しないし、それを全員に“強制”するということが問題ではあるのでしょうが、それを言えば、運動が苦手な子も歌うのが苦手な子も、みんな体育や音楽をやらされるわけで、結局は教師の指導のありよう、ということになるのでしょうか。
【「感想作文」というあり方も】
・感想文について改めて考えたのは、これは今年が初めてでしたが、少し前に、全国学習塾協会という所の、感想文コンクールの審査をしたこともあります。ちょっとびっくりしたのは、(という言い方は失礼かもしれませんが)こちらも課題図書があるのですが、その選ばれた本が「なるほど」と思える作品ばかりだったこと、そして、こちらは、「感想文」というより、「感想作文」という感じで、本を読んだ感想を基に、それをさらに広げたり、発展させていく、という形でのコンクールでした。ただ、実際には、作品から離れすぎてもいけないし、評価が難しくはあったのですが、このコンクールに関わる塾の先生たちの思いが、作品選定も含めて、とても貴重に感じられました。
・実は、これは前にも書きましたが、こうしたコンクールの審査は今が時期で、大体夏休みに書かせたものが一次審査を終えてこちらにまわってくるとなると今頃になるわけで(SLAのコンクールは規模が大きいので、時間がかかるのでしょうが)、今日はこの後、『ちゃぐりん』の感想文に目を通さなければなりません。これは予選がなく、全国のJAを通して送られてくる感想文を直接見るわけで、優等生?ばかりでなく、いろんなタイプの子の感想文が読めるので、楽しみです。