129、もう一度“50年”の話(2024,4,25)

理事長ブログ

【『おしいれのぼうけん』刊行50年イベントが】

・3日前、4月22日ですが、都内で「『おしいれのぼうけん』刊行50周年」を記念したイベントがありました。僕は初めて行きましたが、地下鉄の新御茶ノ水駅とつながっているワテラスタワーの中のホールが会場でした。言うまでもなく、『おしいれのぼうけん』は、古田足日さんと田畑精一さんによるロングセラー絵本ですが、3回前の誕生日の時のブログに書いたように、僕が古田さんと出会った1974年は、この絵本が出た年でもあったわけです。

版元の童心社主催で、集まった方たちは、児童文学関係者というより、書店や取次、図書館関係の方がほとんどのようで、知った顔は宮川健郎さんや西山利佳さんくらいでした。(僕も含めこの3人は、古田さんの全集の編集協力者でもあります。)それで、版元としては、刊行50年を機に、すごろくとかトランプといったグッズも製作したりして、さらにこの絵本を普及しようとの狙いのようでした。

主な内容は、朗読とトークイベントで、朗読をされたのが、かの又吉直樹さんでした。又吉さんは、子どものころ『おしいれのぼうけん』が愛読書だったのだそうです。この作品は、なにしろ絵本としては破格の文章量で、全部読むと30分近くかかるということで、途中からの朗読でした。そして、その後のトークイベントは、又吉さんと童心社会長の酒井京子さん、酒井さんはこの絵本の担当編集者だった方です。

・又吉さんの朗読は、幼稚園(保育園?)時代に出会ったこの絵本が、自分の物語体験の原点ともおっしゃって、ねずみばあさんは結構怖かったし、だからこそそれに立ち向かう二人の男の子に感情移入したとも(言葉は違っていたかもしれませんが)おっしゃっていました。酒井さんのお話で印象的だったのは、古田さん、田畑さんと、保育園に取材に行った日の夕刻、それまで黙っていた古田さんが、しみじみと(?)「子どもって、あせもができるんだ」と何回も言っていた、という話。保母さんから、昼寝をしないで押し入れに入れた男の子を出してあげた時、あせもができていた、という話が印象的で、その間の男の子たちがどんな時間を過ごしていたのだろう、というところから、あの絵本のストーリーが動き出したということのようでした。(絵本でも、おしいれから出てきたあきらのおでこに、あせもができているのに先生が気づく、という場面があります。)

この絵本の初版は1974年11月で、僕が古田さんに最初に会ったのがその年の5月あたり。そして前に書いたように、卒論の一部を送り、『日本児童文学』に載せてもらったのが9月ですから、絵本の最後の追い込みにかかっていた時期ということになります。

【いわさきちひろさんの没後50年】

・今年は画家のいわさきちひろさんの没後50周年で、そのことはちひろ美術館がそれを記念した展示をしていることで、知っていました。たまたま昨日事務局で、読書推進運動協議会の会報の最新号を見たら、巻頭ページに、ちひろさんのご子息である松本猛さんが、そのことを書いていました。ちひろさんが亡くなった後、原画などの資料を美術館に収蔵してほしいと思ったが、当時は絵本の原画というのは“美術”作品としては認められておらず、あちこちから門前払いを食い、そのことがちひろ美術館を作ろうとしたモチーフになったという話でした。

その時、突然思い出したのですが、僕の中で、いわさきちひろさんの「没後50年」というのは、古田さんとつながっているのです。

・というのは、上記の、僕の『日本児童文学』デビューですが、この時は(「現代児童文学の出発点」という特集でした)僕も含めて20代から30代の若手評論家だけが執筆し、そのため、そのメンバーに編集長の砂田弘さんと、担当編集委員の古田さんを交えて、それぞれの原稿の合評(というか指導というか)をしてから、雑誌に載せる形でした。

その最後の合評を終えた後だったと思いますが、打ち上げでお酒を飲んだ後、大阪から来ていた執筆者の一人の松田司郎さんと僕が、時間も遅かったので、タクシーで一緒に田無の古田家に行き、泊めてもらったのです。僕は当時王子に住んでいましたから、充分帰れたはずですが、あこがれの古田さんの家に泊まれるというので、図々しくもついていったのだと思います。

そう言えば、僕が古田さんから児童文学者協会への入会を勧められたのも、そのタクシーの中でした。古田さんの主なターゲット(?)は、むしろ松田さんで、僕はややついでのように「藤田さんも入る?」と言われたように記憶しています。その僕が理事長をしているのだから、おもしろい?

さて、その翌朝のことです。僕と松田さんが遅めの朝食をいただいていた時、スーツ姿の古田さんが部屋に入ってきました。それまで数回は会っていたわけですが、ネクタイを締めている古田さんなど、見たことがありませんでした。奥さんの文恵さんとの会話から、これからお葬式に行かれるのだと知りました。それがいわさきちひろさんのお葬式だったのです。

そのことを、ちひろ美術館の「没後50年」の時は全く気づかず、昨日猛さんの文章を読んで思い出しました。僕は24歳、古田さんは僕より23歳年長ですから、当時46、7歳くらいくらい。まだ?児童文学が、もう少し“若い”時代のお話でした。