130、「子ども」「こども」「子供」(2024,5,5)

理事長ブログ

【「こどもの日」?】

・今日は5月5日、「子どもの日」です。女の子の成長を祝う「桃の節句」の3月3日でなく、男の子のための「端午の節句」の5月5日のほうを「子どもの日」にしたのは措くとして(まあ、間をとって4月4日というわけにもいかなかったでしょうし)、これ、正式には「こどもの日」なのですね。この名称は、戦後この日を祝日とした時からだと思いますが、昨今気になるのは、僕らが慣れ親しんでいる「子ども」という表記ではなく、「こども」という表記になっているケースが多くなっているような感じがすることです。

特にそれを感じたのは、一昨年に制定された「こども基本法」、そしてそれを管轄するのが「こども家庭庁」という名称になったことです。あれっ、政府だって、「子どもの権利条約」を批准した時は「子ども」という表記だったはずなのに、いつから「こども」になったの?と思いました。

【「子ども」の歴史】

・僕らが子どもの頃は、むしろ「子供」という表記が一般的だったように思います。僕自身も、多分高校生のころまでは(1960年代ですが)“こども”と言われれば「子供」という漢字をイメージしていたのではないでしょうか。それが、大学生になって児童文学に触れるようになってから、「子ども」という表記になじむようになった、というのが実際のように思います。

・それで、児童文学の世界では、いつ頃から、「子ども」という書き方をするようになったのか、調べてみました。こういう時に役立つのは、『創立75周年記念資料集 戦後児童文学の証言』(はい、PRです)。この資料集には、創立時からの様々な文書が収録されているわけですが、1946年の創立の趣意書や綱領などには、「児童」という言葉は出てきても、そもそも「コドモ」という言葉自体が出てきません。そんなにていねいに見たわけではないですが、「コドモ」が現れた早い例として、1949年の『会員ニュース』21号の引用の中に、〈われわれの作品がどのようにこどもたちに受け入れられているかを知るために……〉というのがあり、ここは「こども」ですが、同年の声明は、「子どものために平和を守る声明」となっています。50年代に入ると、ほぼ「子ども」になってきますが、54年に日本童画会や児童劇作家協会などと連名で出した「教育二法案に反対する」声明では、「日本の子供の幸福を守るためにも」と書かれています。創立時は、むしろ「児童」という言葉が目立ち、その後「こども」「子ども」「子供」という表記が混在する時期があり、1950年代半ばからは、ほぼ「子ども」表記で統一されるようになった、というところが実態のようです。

・この「子ども」表記が主流となった一つの要因としては、協会も団体として加盟した(というより、創立に深くかかわった)「日本子どもを守る会」の創立(1952年)があげられるかもしれません。一説には、この会の会長を長く務めた羽仁節子さんが、「子供」の「供」という字を嫌ったから(「供」という字には、見下したニュアンスがあるから)という説もあります。

【どれが、いいのか?】

・もう大分前からのことですが、児童文学の世界で「アンチ・子ども」の急先鋒とでもいうべき方がいて、『はれときどきぶた』の矢玉四郎さんです。今調べてみたら、矢玉さんのHP(ブログかな?)の

「はれぶたのぶたごや」の中に、「×子ども表記 子ども教の信者は目を覚ましましょう」というのがあって、「やってるな(笑)」と思いました。以前は、児童書の著作権関連の会合でよく顔を合わせる機会があり、「子ども教」の一人として(笑)やりあったこともありました。

僕自身は、絶対に「子ども」でなければならないというほどの信念?があるわけではなく、「こども」「子供」と書きたい人は書けばいいと思いますが、「子ども」という表記がけしんらん、という意見には組みしません。「ども」というのは接尾語で、友達を「友だち」と表記するのと同じようなニュアンスでしょう。「ども」とか「たち」というのは、どちらかというと複数の感じでしょうが、一人でも「友だち」と言ってもおかしくないように、一人でも「子ども」と言ってもおかしくないわけです。つまり「子ども」は「子」+「(接尾語の)ども」をつけて、「子」という言葉をより一般化というか抽象化した言葉、「友だち」も同様に「友」に接尾語の「た(だ)ち」をつけて、友という言葉をより概念化させたような言葉だと思います。ですから、漢字の「子」にひらがなの「ども」をつけても、いわゆる「まぜがき」(小学校の教科書にあるような「結こん」「さい判」というような、不自然な熟語表記)には当たらないと思うのです。

・今回、矢玉さんのブログを見ていて、むしろ初めて知ったのですが、矢玉さんから言えばこの件ではっきりしなかった文科省で、時の大臣が「公用文では子どもをやめて、子供にしろ」と指示を出したのは、平成24年で、その大臣というのは下村さんでした。矢玉さんはむしろ肯定的にこれを紹介しているのですが、今や裏金問題で時の人ということもあり、なにやらうさんくさい。

ただ、それでも結局「子供」という表記が政府内で定着せず、上記のように今回の「こども基本法」にみられるように、「こども」表記に落ち着いた、ということでしょうか。そこまでして、「子ども」を避けたいですかね。それは、とても不自然なことのように、僕には思えます。というか、矢玉さんに、もちろんそういう意図はないでしょうが、「子ども」と書くか「こども」と書くか、あるいは「子供」と書くかを、何か踏み絵のようにして区別する、ということは絶対にあってはいけないことのわけで、言葉や表記への感度をあげることは大事ですが、こうした議論にはこれからも気をつけていきたいと思います。