127、次良丸さん、お疲れさまでした(2024,3,24)

理事長ブログ

【次良丸さん、定年退職です】

・前回(15日)も、またも“1回休み”になってしまい、ごめんなさい、です。その埋め合わせでもありませんが、今回は一日早い24日のアップです(明日は、朝から出かけるので)。

さて、協会の事務局長を務めていた次良丸(じろまる)さんが、この3月で退職されます。60歳を迎えての定年退職です。協会事務局は本人の希望で65歳までは続けられるので、できれば残ってほしかったのですが、ここで区切りにしたいという次良丸さんの意向で、今年度までということになりました。後任は一年前から決まっていて、会員で理事でもある原正和さんが、それまで勤めていた財団を辞められて、事務局長を引き継いでくれることになり、「事務局長見習い」という感じで一年間を過ごしました。その原さんが、一年間事務局の仕事をしてみて、「こんなに大変とは思わなかった」という仕事量を、次良丸さんは黙々と? こなされてきました。僕は「お疲れさま」という言葉はいかにも紋切り型みたいな感じがして、あまり好きではないのですが、次良丸さんには心からこの言葉を送りたい気がします。

・次良丸さんの勤務は、1990年度から。ですから、34年間にわたって協会事務局の仕事を続けたことになります。会社とかなら、これは普通のことでしょうが、協会のような団体にとっては、これは結構稀なケースです。

前にも書いたかもしれませんが、協会の事務局は、僕が入るまでは、大学を出て事務局員になり、3年くらいで退職というパターンでした。そこから教員になったり、出版社に勤めたり、言わば「ちゃんとした仕事」に就くまでの“つなぎ”のような場だったわけです。なので、僕が1979年に教員を辞めて事務局員になった時は、みんなにびっくりされましたが、そこから10年後の89年に宮田さんが入り、上記のように90年に次良丸さんが入り、近年まで事務局はこの三人の体制が続いたわけです。こんなふうに事務局のメンバーが固定化されたのは、協会の歴史の中でも初めてのことです。

【事務局員という仕事について】

・次良丸さんが入った時は、事務局員を公募しました。十人以上の応募があり、面接をしました。正直、履歴書を見た時は、次良丸さんは候補としては一番手ではありませんでした。というのは、彼は大学を出てから何年かブランクがあり、名古屋で書店のアルバイトをしたりして、児童文学の勉強をしていたのですが(『日本児童文学』の「創作コンクール」の常連投稿者でした)、職歴の欄には何も書かれていませんでした。後で聞いたら、「正式の勤めではなかったから」ということでしたが、ですから僕は大学を出た後、単に「ブラブラしてたのかな?」という印象を持ったわけです。このあたり、僕ならなんとか取り繕ってアピールしようとするでしょうが、そういう小細工をしないところが、次良丸さんらしいと、今なら思います。

・しかし、面接をしてみると、そうした予測とは違って、「こいつは使えるな」という印象でした。ただ、こういう言い方は誤解を生むかも知れませんが、問題は彼が男であることでした。

というのは、(更に語弊があるかもしれませんが)協会の事務局員というのは、いわゆる男子一生の仕事としては、給与などの条件が悪すぎます。僕のように、それを承知で児童文学の仕事と両立させようというのならいいのですが、そのあたりは、なかなか伝えにくいのです。

もうひとつの“心配”としては、これは男女に関係なくですが、事務局の仕事が“文学的”な中身だと思ってはいないだろうな、という心配? でした。文学団体といっても、事務局の仕事というのは、経理、講座受付や設営、会議の準備・設定、各種の発送、寄贈本や資料の整理、問合せへの対応等々、文字通り事務仕事全般で、会社のように業務によって部署が分かれてない分、本当に雑務の山なのです。もちろん、事務局にいれば作家たちと会えるといった“余得”はありますが、仕事自体は、きわめて地味な仕事です。それで、次良丸さんには、採用に当たって、「とりあえず一ヶ月仕事をしてみてくれ。それで、これは無理と思ったら、遠慮なく辞めてくれ」というようなことを告げた気がします。

【次良丸さんの最初の日】

・次良丸さんが、初めて事務局の仕事を始めたのは、多分1990年3月17日です。なぜわかるかと言えば、その日は、安藤美紀夫さんが亡くなった日だからです。安藤さんが亡くなったという報せが入り、僕はそれへの対応で大変な一日になったと思います。新事務局員(この時点では候補)である次良丸さんに“構ってる”ヒマはありませんでした。というより、新聞社への連絡など、早速手伝ってもらったと思います。

覚えているのは、その日の仕事の帰りです。今はありませんが、神楽坂に昔屋という居酒屋があり、帰りに彼をそこに誘いました。そして、安藤さんの思い出などを語ったように思います。ビールを飲みながら、その時僕は「この男とは、長い付き合いになるな」と思いました。それから、34年が経ったわけです。

・言うまでもなく、次良丸さんはその後作家としてデビューし、新美南吉児童文学賞を受賞した短編集『銀色の日々』を始め、いい仕事をしてきました。協会の事務局員は退かれますが、「お疲れ様」と共に、作家としてこれからいい仕事をされることを願っています。