126、74歳の誕生日に~“50年”を想う~

理事長ブログ

【誕生日を迎えました】

・前回書いたような事情で、2月はブログをお休みにさせていただきました。そして今日、74歳の誕生日を、いささか落ち着かないままに迎えました。

僕の家から車で30分ほどの所に、関東三大梅林のひとつである越生梅林があり、先日3歳の孫も一緒に家族で出かけた日は温かかったのですが、今日はこの後雪になる模様です。

さて、今日のタイトル「“50年”を想う」は、いかにも高齢者のエッセイめいていますが、もちろん? 50年先のことではなく、50年前のこと、そしてこの50年間のことです。

というのは、50年前、つまり僕が24歳の時ですが、これはいろいろな意味で人生の節目の年でした。ひとつは24歳の9月ですから、もう半年先ですが、その年に僕は結婚しました。前の年に秋田から出てきて、都内の私立小学校に勤め始めた2年目のことでした。いちいち断らなくてもいいのですが(笑)、その後35歳で離婚、41歳で再婚しました。ですから、50年前は(2回の結婚の間を別にすれば)独身最後の誕生日だったことになります。

・そして、結婚とほぼ同じ時期に(これは偶然ですが)、僕は児童文学者協会に入会しました。この年、1974年の春ですが、僕が学生時代にモロに影響を受けた古田足日さんに初めて出会い、卒論の一部を送ったら、驚いたことに、その一部を書き直せば『日本児童文学』に載せてくれるというので、74年の10月号に本当に載りました。これが僕の“評論家デビュー”なわけで、ですから今年は50周年ということになるわけです。我ながらよくも続けてきたなあ、という思いと、50年もやってきて何を書けたんだろう、という思いとが、半分半分というところでしょうか。

【活動方針、そして世代交替ということ】

・児童文学者協会は、役員交代は2年に1回で、ですから2年が活動のサイクルになり、今年はその2年目になります。ですから、2022,23年度がひとつのサイクルだったわけですが、今期はそれまでと違ったところが一つありました。その前の20,21年度までは、2年間の「活動方針」というのを、最初の年度の総会で定めていたのです。大体3章仕立てで、第1章が「情勢」、2章が前期2年間の活動の総括、そして3章が次期2年間の重点課題、というような構成でした。ですから結構長くなるのですが、特に“厄介”なのが1章の「情勢」でした。かつてはそれこそ世界情勢全般について語っていましたから、ここだけでもかなりの長さです。なので、近年は児童書をめぐる状況にほぼ絞っていましたが、状況の捉え方というのは理事間でもやはり微妙に、時に明らかに違うわけで、活動方針についての論議がいつも1章の情勢の部分に止まって、なかなか肝心の次期2年間の課題ということを深められないという嫌いがありました。

それで、前回、「75周年記念資料集」にまとめられたということも一つの契機に、「活動方針」を作成するのをやめようということにしました。長く続けてきたことをやめるというのは難しい面があり、これはなかなか「決断」だったと思います。そして、代わりに、(情勢はやめて)2年間の活動を振り返り、次期2年間の課題を明らかにする「総括文書」というのを作ることにしました。これが2年前のことです。

・で、今度の3月理事会を前に、2回目の「総括文書」の案文を作ることになったわけです。2年間の活動の総括の方は、割合すらすら書けましたが、さてこれから2年間の課題というところで、ハタとパソコンを打つ手が止まってしまいました。このあたり、中身を書くとごちゃごちゃしてしまうので、いささか説明抜きになってしまうのですが、改めて思ったのは、いま協会にとって(前から言われてきたことではありますが)「世代交替」ということが急務になっているな、ということを改めて思ったわけです。

・大きく振り返ると、協会の75年を超える歴史の中で、明らかな世代交替の時期がありました。それは1960年前後ですから、随分昔のことになりますが、関英雄さんや菅忠道さんといった、会創立の際の中心的な働き手だった、言わば旧世代に対して、古田足日さん、鳥越信さん、いぬいとみこさんといった若い世代がいわゆる「現代児童文学」自体をスタートさせ、それが協会の活動や役員の構成にも当然反映したわけです。僕はこの世代、松谷みよ子さん、安藤美紀夫さん、神宮輝夫さん、今江祥智さん、砂田弘さんといった人たちを、現代児童文学の「出発世代」と呼んでいますが、この方たちが、日本の児童文学を、そして協会をほぼ50年近く引っ張ってきました。

しかし、当然ながら、その方たちのほとんどは鬼籍に入られたわけで、その世代に上記の僕のようにとても影響を受けた団塊の世代が、協会の理事の中でもかなりの割合を占めるようになりましたが、その世代ももう70代半ばです。協会の存在の意味や活動の理念をどう共有していくのか、いけるのかが、いま切実に問われていると、今回「総括文書」を書く段になって、ハタと考えてしまった、というのが、昨日であり、今日でした。

多分、今まで以上に意味の取りにくい内容になっていると思いますが、今回はそうした僕の混乱もそのままに、ブログにアップしようと思います。