119、古田足日シンポジウムが終わりました(2023,11,26)

理事長ブログ

【一日遅れとなりましたが】

・5の日に更新のブログが一日遅れになりましたが、昨25日、神奈川近代文学館で、古田足日の仕事を振り返るシンポジウムがありました。タイトルは誰がつけたのでしょうか、「子どもの味方・子どもの見方」というので、座布団一枚という感じです。チラシを会報と一緒にお送りしたので、ご覧いただいたかと思いますが、僕もパネラーの一人として参加しました。

・主催は白梅学園大学で、神奈川近代文学館が共催という形でした。前に書いたかと思いますが、古田さんの蔵書3万冊余りを引き受けてくれたのが、白梅学園でした。ここは元々保育系の学科が中心の大学で(今は子ども学全般に広げているようですが)、古田さんと親交のあった教育学者の汐見稔幸さんがかつて学長を務めていて、そのご縁もあったようです。そして、これも前に書きましたが、ただ蔵書を引き受けるということではなくて、それをベースに、「古田足日研究プロジェクト」を立ち上げています。今回のシンポジウムは、その研究プロジェクトの中間報告的な位置づけでもありましたが、来年の夏に神奈川近代文学館で古田足日展が開催されることになり、その予告的な意味も兼ねてのイベントでもありました。

・汐見さんは、教育テレビの子育て関係の番組にコメンテーターとしてよく出演される“ひげ”の方です。『日本児童文学』が今の隔月刊になったばかりの頃(1997年3・4月号)ですから、もう25年以上前のことになりますが、当時東大教育学部の教授だった汐見さんに、僕はインタビューに行ったことがあります。子どもにとって、文学作品を読むことがどういう意味を持っているかについて、とても示唆を受け、2001年に出した『児童文学への3つの質問』の中でも、最後の方でこのインタビューを引用しています。

その白梅学園で、古田さんの膨大な蔵書を全部引き取ってくれ、そしてそれを子ども学のための研究資料にしてくれるというのは、本当にありがたいことでした。

【シンポジウムでは】

・パネラーは4人で、白梅学園からお二人、そして西山利佳さんと僕、加えて宮川健郎さんがコメンテーターで、佐藤宗子さんが司会というラインナップでした。西山さんの演題は、「古田足日が生きていたら、ウクライナ情勢をどう語っていただろう」というタイムリー? なテーマでしたが、僕の演題は「〈方法化された誠実〉を追って」というものでした。なにしろ発言時間が15分という枠だったので、“時間との闘い”のようになってしまったのですが、このタイトルはかつて『季刊児童文学批評』という評論の同人誌(古田さんや僕、上記の宮川さんや佐藤さんも同人でした)に書いた古田足日論のタイトル「古田足日あるいは方法化された誠実」に拠ります。この同人誌は、81年に創刊されたのですが、「季刊」と謳いながらもちっとも季刊では出なくて、83年8月にようやく6号を発行、そこに僕は古田足日論を書いたわけです。今回改めて気づきましたが、もう40年前のことです。ただ、この古田論は一回では収まらず、「次号に続く」ということになりました。ところが、この同人誌が6号でぽしゃってしまい、結局その続きは書かれないままになりました。多分、僕の唯一の“未完”の評論ということになると思います。

・このタイトルは、シンポジウムでも冒頭に話したのですが、二重に“パクリ”で、「あるいは」の方は、塩野七生の『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』から。この本は塩野七生の初期の著作ですが、82年に文庫化されており、それを読んだ僕が「〇〇あるいは〇〇」という言い回しを使ってみたいと思ったのでしょう。ですから、中身は全然関係ありません。「方法化」の方は、『国文学』という研究誌で大江健三郎の特集を組んだ時に、そのサブタイトルが「方法化した想像力」でした。今回確認したら、79年の2月号でしたが、かねがね僕は古田足日と大江健三郎は似ているという思い込みがあり、それもあって「方法化」という言葉が印象に残ったのだと思います。ちなみに何が似ているのかというと、まずは風貌。四国出身という共通点もありますが、僕は大江はテレビでしか見たことがありませんが、しゃべり方もよく似ていると感じました。そして、文学者としてのありようという意味でも、かなりに重なるものがあるようにも感じていました。

・それはともかく、大江の「想像力」というフレーズは、大江自身が例えば「核時代の想像力」というような形で、自身の文学を語るひとつのキーワードとして使っていますが、「誠実」の方は、古田さん自身が言っているわけではなく、僕が古田足日という人物を語るうえでのキーワードとして持ち出したわけで、そこは違っています。

ただ、今回、その未完の「古田足日論」を読み返してみたら、「誠実」という単語は一回しか使っておらず、僕がその先、どんなふうにこの論を展開しようとしていたかは、40年経った今では覚えていません。この論を完成させるのは無理としても、今回のシンポジウムの発言の準備の過程で、古田さんが残していった問いが何だったのかを、見つめ直すきっかけにはできたように思います。

【付録です】

・最後、今までの話とまったく関係ありませんが、昨日届いたJRの「大人の休日俱楽部」(これに入っていると、切符が3割引きになる)の12月号に、前回書いた秋田内陸鉄道の紹介記事「マタギに会いに行きたい」がありました。ご紹介まで。