会の歩み
1946(昭和21)年 | 3月17日、朝日新聞東京本社会議室で創立総会(創立時の会員39名。創立時の名称は「児童文学者協会」)。会結成の基本方針を5項目の*「綱領」として定める。同年5月関西支部が発足。9月に機関誌『日本児童文学』創刊。 |
1949 年 | 初代会長に小川未明を選出。 |
1951年 | 第1回児童文学賞。児童文学賞(現在の協会賞)は壷井栄と岡本良雄、新人賞は松谷みよ子。 |
1955年 | 二度にわたる中断を経て、第三次『日本児童文学』が創刊される(現在に至る)。 |
1963年 | 社団法人となる。これに備えて、58年に会名を「日本児童文学者協会」と改称する。 |
1965年 | 「新日本童話教室」を開講(現在の児童文学学校の前身)。 |
1967年 | 第1回「言語教育と幼児童話夏期講習会」を静岡県熱川温泉で開催(その後の夏のゼミナール、サマースクールの前身)。 |
1971年 | 第1期日本児童文学学校を開講(現在に至る)。 |
1976年 | 創立30周年記念行事、各地で取り組まれる。30年史『児童文学の戦後史』(東京書籍、刊行は78年)、記念出版「県別・ふるさとの民話」(偕成社、完結は83年)が企画される。 第1回「児童文学・夏のゼミナール」を茨城県潮来ホテルで開催。 |
1981年 | 自民党などによる国語教科書への「偏向」キャンペーンに対して、「教科書問題委員会」を発足させ、反対運動を展開する。 |
1983年 | 「夏のゼミナール」に替わる「第1回サマースクール」を東京・日本青年館で開催する(96年、第14回・横浜まで)。 |
1991年 | 公開シンポジウム「あなたと児童文学in金沢」を開催。従来の支部代表者会議の文学討議をオープンにし、持ち回りで隔年開催(第2回から「児童文学セミナー」と改称)。 |
1993年 | アジア児童文学大会(協会、宗像市などで実行委員会を構成)を福岡県宗像市で開催。 |
1996年 | 会創立50周年記念集会、沖縄・東京・関西で開催。記念出版「県別・ふるさと童話館」(リブリオ出版、完結は01年)取り組まれる。 |
1997年 | 機関誌『日本児童文学』を隔月刊、自主発行に(発売は小峰書店)。 |
2006年 | 会創立60周年記念行事取り組まれる。記念集会、東京・関西ほか。記念出版「おはなしのピースウォーク」(新日本出版社)「戦後児童文学論集」(日本図書センター)ほか。 |
2010年 | 第1回「公開研究会」を開催。(東京と地方持ち回りを交互に。翌年度は沖縄で開催。) |
2012年 | 公益法人制度改革に伴い、一般社団法人に移行。代表者は会長から理事長に変更(移行時の理事長は那須正幹)。 |
2021年 | 創立75周年を記念して、応募のあった全国の小中学校に、協会の編纂図書や会員のサイン本をプレゼントする。また、創立以来の基本文書、活動方針などを収録した「記念資料集」をまとめ、発行する。(発行は2023年) |
2023年 | ホームページを全面改定。併せて、2021年の逝去の際、その著作権を協会に遺贈された那須正幹氏の業績を記念して、那須正幹電子記念室を開設。(予定) |
*会結成の基本方針(綱領) 1946年制定・1973年一部改定
- 民主主義的な児童文学を創造し普及する。
- 文学によって児童の創造的な思考と欲求とをよび起こす。
- 児童文学の社会的地位を確立するために努める。
- 児童文学の思想・表現の自由を守り、その生活権の擁護に努める。
- 内外の民主的な文化運動と提携する。
〈歴代代表者〉
塚原健二郎(委員会議長)・小川未明(以下、会長)・秋田雨雀・藤沢衛彦・坪田譲治・酒井朝彦・ 与田凖一・塚原健二郎・小出正吾・川崎大治・藤田圭雄・関英雄・古田足日・砂田 弘・木暮正夫・ 那須正幹(那須正幹在職中に、定款変更により代表者が会長から理事長に。以下、理事長)・丘 修三・内田麟太郎・藤田のぼる(現・理事長)