〈NO WAR 子どもたちの明日を守りたい〉
005 新たな戦前2
女性差別、外国人差別、部落差別、障害者差別、同性愛者への差別、トランス差別、子どもの権利侵害、あらゆる差別でよりどりみどりのこの国では人権なんて今までだって守られてこなかったけれど、少なくとも戦争放棄と平和主義を掲げていたことは、私にとって子どものころからの気持ちの拠り所だった。その一点でのみ、私は日本を愛していた。
2026年4月、日本は殺傷兵器を輸出して商売していくことが閣議決定された。閣議決定だ。国会での審議もすらなかった。今後、メイドインジャパンの武器で人が死ぬのだ。
児童文学作家として、子どもに希望を語るのが生業である私は今、ひどく悩んでいる。この国の成り立ちが大きく変わってしまったように感じている。
戦後80年、日本が戦争放棄と平和主義を貫くことで培って来た国際的な信用も失われるだろう。抑止力と宣って軍拡も進んでいくだろう。かつてのイラクや現在のイランのように「あの国は危険だ」と言われ攻め込まれるリスクをなぜ自ら背負い込むのだろうか。戦争になれば原発を狙われるだろうし、現在の食料自給率では輸入が止まればすぐに餓死者が出るだろう。国はシェルターを作るとか抜かしてる。あのさあ。
コロナ禍のとき、作家仲間と「いつからコロナのこと書く?」と話し合ったことを思いだす。マスクとソーシャルディスタンス、この状況が一過性ならすぐにこの時代だけの話になる。しかしもしも続くなら、今までの生活を書いてもSFでしかなくなる、と(補足。2026年現在、なんとなく収束した気になっているが、基礎疾患を持つ人や年配の方とってはコロナは未だ脅威だ)。
日本の平和主義はがりがりと削り取られていく。マスメディアはもはや機能していない。国家情報会議法案も23日に衆院本会議で可決。政権与党は憲法改正に王手をかけている。新たな戦前と言われて久しいが、その空気は日に日に濃くなるばかりだ。
今までの日常はきっともう戻らない。我々はそれを認めなければならない。それなのに、いつまで『戦後民主主義児童文学』を書いているのだろう。
子どもに社会問題を丸投げするべきではない。世界が苦しい状況にあるからこそ幸せな世界を描くべき。その意見に異論はない。しかしそれは現実を見なくていいという話ではないはずだ。子どもたちにうそをつき続けていいという話でもないはずだ。
だけど、だとしたらなんて言えばいいだろう。
私たちは、これからを生きる子どもたちになにを伝えられるだろう。なにを手渡せるのだろう。それだけの価値があるものを、我々はまだ持ち合わせているのだろうか。
我々が支払っている年金からも出資されているイスラエルの軍需産業。2023年10月から現在までにガザでは二万人を越える子どもたちがイスラエルによって命を奪われた。ペンを握る我々の手は、すでに血に塗れている。