〈NO WAR 子どもたちの明日を守りたい〉

002 ヨーンの道、私、ガザの街頭

黒川裕子

 先日、石垣島に行く機会がありました。
 河平湾に向かうタクシーの中でした。リュウキュウマツが両側に生い茂る細道を走りながら、地元のご年配のドライバーさんが教えてくださいました。
「この道路はヨーンの道といいます。ヨーンの意味はね、暗いとか夜とか。戦争の時は、あっちの方からグラマンがバーッとやってきてね……」
 グラマンてなに、と11歳の娘がききました。
 私は「後でね」とこそっと言いました。

 
 廃墟と化したガザの街頭を映したニュース映像でした。
 9歳の息子にきかれました。
「なんで、この子はこんな痩せてんの?」
「大人はなにしてんの? 親とか」
 息子の声にはショックと戸惑いと、怒りがありました。

 さて、どう答えたらいいだろう……。
 一瞬のうちに、頭を悩ませました。

 イスラエルとパレスチナ自治区の長年にわたる問題と、そのはじまり。
 中でもガザという地区で「紛争」という名の虐殺が起こっていること。
 現在、食料支援が人の手によって断絶されていること。
 保護者がすでに亡くなっている可能性があること。
 慎重に、わかりやすく答えたつもりですがあまり上手にいきませんでした。


 後になって、こう思いました。
 どう説明するかを考える前に、息子の気持ちに共感して、まずは一緒に怒るべきだったんじゃないか?
 また、石垣島から「内地」に帰ってきたいまになって思うと、「後でね」は間違いだったのではないか?

 私は説明より先に息子の怒りに勝る怒りをおぼえるべきだったし、話を遮ってでもあのヨーンの道でグラマンとはなにか、沖縄で八重山でなにがあったのか、教えなくてはならなかったのではないか。

 私は、このように日々迷ったり間違いを犯したりする一人の愚か者にすぎませんが、本の向こうの読者に誓って、決めていることがあります。

 なにかが起こったあとで「時代だった」「しょうがなかった」と言わないように生きたいということ。

 子どもが大人の争いのために飢えていい時代や爆弾を浴びせられる理由はこの世にひとつも存在しません。決して、存在してはなりません。

 平和という言葉は、正直いまの私には大きすぎて書きあぐねます。責任。ただただ、この時代の日本で生きている私には責任があると思っています。