歩みを刻み続ける~協会創立80周年号を読んで

『日本児童文学』編集部

「今、被爆した方たちって、だんだん亡くなって少なくなってきてるじゃないですかぁ。だから私たち、伝えなきゃいけないんだなって思うんです」中学二年生のある生徒が、小声で私に言った。
二月下旬、広島修学旅行をひかえた探究学習(平和学習)のサポートに入った時のこと。はたして彼らに「戦争」が伝わるのか、「こわい」「えぐい」と目をそらすんじゃないかと不安もあったが、学校司書の私は、とにかく五十冊ほどの調べる本や新聞、雑誌、絵本、戦争を描いた児童文学をブックトラックに積んで行った。教室では各自がテーマを設定し、担任も驚くほどの静けさの中で真剣に、深く学んでいて、学んだことがこの言葉に結集したのだった。
 二〇二五年は、総合雑誌をはじめ、新聞にもネットニュースにも「戦後八十年」の文字が大きく前に押し出されていた一年だった。だが「日本児童文学」の表紙には見られず、あえて、この文字を使わないのはなぜだろうとぼんやり考えていた。
 三・四月号が届いて分かった。そうか、協会にとっての戦後八十年の節目は、今だったのだ。
 特集の藤田のぼるさんのエッセイで、敗戦とほぼ同時に会結成に向けて動き出した人がいたと知った。「広い意味での文学運動団体でありたい」との願いで結成されたという。新型ウイルスとか、物価の高騰とか人員不足とか、この下降社会で八十年も続いているのは稀有だ。そして、これからも「看板を掲げ続ける意味はある」とは、なんと力強い励ましだろう。
「広く」という理念は民主主義的で、おかげで作家ではない私もご縁をいただいた。いつも本誌からは気づきや発見をもらっていて、読者として、学校司書として作家のみなさんを支えたいと思う。
 学校図書館では、子どもに本を届けるためにいろんな活動をしている。例えばブックトーク。テーマに沿って何冊かの本を紹介するが、かならず核となる本を据える。核となる本には、いとうみくさん、濱野京子さんの本を置くことが多い。あるいはビブリオバトル。五年生のクラスでバトラーとして『二日月』を紹介した時、断トツでチャンプ本に選ばれた。彼らは口々に「こんな本が読みたかったんよ!」と言っていた。それから読書案内。図書室でうろうろと、何を読んだらいいか決められない子には「ミルキー杉山」の一場面を見せる。一冊読めば、シリーズ制覇してしまう最強の本。そんな日常だから、作家特集も「霧の中の児童文学」もとても興味深かった。
 菅野雪虫さんの「国境のカリンバ」。朝鮮半島を想起させる国境の短編で、彼の地に思いをめぐらせた。国境にひかれる鉄線は、「カミソリのような棘」があるという。鉄線というとこの挿絵にあるトゲトゲのイメージだったが、カミソリの棘ならさらに鋭く絶望的だ。実際、国と国との間には、「抑止力」と正当化される核兵器や、必ず標的を破壊するAI搭載ミサイルのような殺傷能力の高い棘が人の行き来を阻む。その棘をはさんで向き合わなければならない時、トッケビや「宝石のような朝」の喜びをひそかに分かち合える人を見つけられるだろうか。土地も社会も分断されるこの時代の希望は、国境で心を交わす未来の友達を持てるかどうかにあるのかもしれない。二〇二四年十二月、シリアのアサド政権が崩壊したニュースを聞いた時、まっさきに思い出したのは『シリアからきたバレリーナ』(キャサリン・ブルートン作 偕成社)だった。主人公のシリア人少女アーヤを思い出したのだ。アーヤは難民としてイギリスに渡り、困難な生活だったが、大好きなバレエにまた心ひらかれていく。アーヤは間違いなく、私の大切な友人だった。また、昨年の関西万博、賛否両論があったけれど、関西の私の周辺の人は何度も何度も訪れていた。各国の文化の片鱗に触れて、これからも行くことはかなわないであろう遠い国の人々とあいさつを交わしたのだった。あの時、各国のブースに自らの感性を接続することで、かすかにカリンバの音を聴いたように思う。
「じゃあ、また会った時に言えばいいね」「友達になろうって!」そうだ。今、児童文学を掲げて次世代に希望をつなごう。
       
                                    川嶋智美